案外、SNSのような感じで、人に見せる為にブログを書いている人は多いようだ。
なんか、そういう事を考え始めると、疲れないのかな、と思う。
私はSNSが苦手だ。
対象者を意識すると、結局、何かしら自分の発言に気をつける必要が出てくる。
そうなると、あまり過激な事は言えなくなるし、見えない束縛が発生するように思う。
私は結構、出力してしまうと、その後は気分が楽になる。
そんで、じゃ、言いたい事も言えたし、寝るか、みたいな感じになるから、その後は寝てしまう。
自己完結型なのだ。
人に見てもらう事を考えて、何かを発信するという行いは、それは本当に気晴らしになるのかな?
などと疑問に思う。
まぁ、私が思う以上に、ネットワーク上のソーシャルな活動を重視している人は多いんだろうなという予想はつく。
インスタとか、Xとか、やっていない人の方が、むしろ珍しいのが現代だ。
このようなSNSを通じて、距離が離れていても、ずっと友人のようにコミュニケーションを撮り続けている人もたくさんいる。
私の会社の若い子達は、もう何年も前に仕事をやめてしまった同僚なんかと、わざわざ約束を取り付けて遊びに行ったりしている。
私には、全く分からない感覚だ。
距離が離れると、それだけで、生活のステージが変わる。
生活のステージによって、人は思い抱く事も変化するし、そのズレは少しずつ友人を他人にしていく。
だから私は、常に身近な人としか仲良く出来ない。
みんな、本当に器用だよなぁと思って関心する。
私には、それは知識としては分かるのだが、感覚としては分からない。
人間関係を維持する為のツールとして、また、自分のやっている事を他人に伝えたいという承認欲求を満たす手段として、そういうものを活用している人がほとんどなのだろうと思う。
現代の人間関係は、そのような、SNSありきなんだろう。
大勢の人に監視されているとか、思わないのかな?
例えば、今日はこのお店でランチを食べましたって投稿して、それは知らない人が見たとしても、同じ時、同じ場所で過ごす人がいれば、個人が特定されてしまうものだろう。
それにそうやっていると、行動が自分の為ではなく、誰かの為になってしまう気がする。
自分の意思で行っている事が、何かしらのフィルターや強迫観念に駆られて、いつしか、そのようにせねばならないという義務感に置き換わってしまうんじゃないだろうか、と思うのだ。
このような状態に陥ると、常に他人を意識して、自分の発言、行動を行わねばならなくなる。
私のような人間にはとても耐えられない事なので、私はSNSをやらない。
やらないというか、やってた事もあるんだけど、どいつもこいつもうるさいし、好き勝手な事ばっかり言ってくるから、鬱陶しくてやめた、というのが正しい。
やっぱり、言葉を選んだり、コンテンツとして需要のあるものを発信したりと、ある種のタレントにでもなったような感覚で発信して、自分という人間の価値を、他人の評価によって確認したいんだろうなと思う。
まぁ、自分の価値を確認したいという気持ちは、分かるけどな。
私の場合は、私自身の経験や理論によって、何かしら合理的に正解を導き出す事により、それが社会的に良いものとなり得るかどうかで自己判断している。
その為、他人に、クズと言われても、私はクズではない、と言うだけだ。
私の理屈に則って考えれば、私はクズではない、お前とは価値観が違う。
それで終わるのだ。
逆に、他人に、あなたは素晴らしい、と言われても、ごく一部の側面のみでそのような判断をされても、それは決して相対的な評価とはなり得ないので、そうか、ではそのように思っていても良いけど、私はあまり、そのようには考えられないな。
などと思う。
なんか、人の事を気にしていないんだよな。
他人に興味がないのだ。
手の届く、身近な人々には、私は手を伸ばし、接して、関係を守ろうとする。
でもその人が、私の手の届かない所に行ってしまったその瞬間に、私の中で終わる。
この人は、もう別のステージに進む人間なのだ。
私は、そう思うのだ。
身近な人の批判は怖い。
だから、誰にも分からない場所で、好き勝手に発言する。
しかし他人の批判ならば、全く意に介さない。
きっと社会的に、人は、他人とも結びつきたいんだね。
誰かに分かって欲しかったり、誰かに認めて欲しくて、それ故に、どこか自分を美しく飾って、ソーシャルネットワークの世界に魂を宿らせてしまうんじゃないか。
なんかそれが、なんとも恐ろしく思えてしまうのは、私が若くないからなのかな?
この世の中で普通とされている価値観だから、そういうもんなんだろうと理解は出来るし、それを否定する気もないのだけど、私個人としては、SNSに魂は宿らない派だ。
手を伸ばしても、そこにあるデータに、私の手は届かない。
魂を感じない。
みんなすごいよな。
SNSで、手を取り合ってるんだから。
現代人は、本当に器用だと思う。