最近、人とおしゃべりをしている時が一番楽しいと感じる。
以前は違った。
一人で山に登ったり、釣りに行ったりしている時が、一番楽しい時間だった。
でもこの頃は、ちょっとした下らない事を思いついては、近くにいる人に話しかけている。
人が馴れ合うのは、寂しいからなんだろう。
寂しくなるのは、本能があるからだと思う。
人が沢山の人と関わるのは、様々な人から、少しずつ寂しさを埋める何かを貰えるから、なんじゃないかなと思う。
妻と出会って一緒になってから、嫌な事も沢山あったけど、思えば、そんなに寂しいと感じる事もなかったような気がする。
子供がいれば、もう寂しいとか寂しくないとか、そんな事を感じている暇なんか無かった。
寂しさは、人それぞれで、入れ物の大きさが違うものだと思う。
入れ物が大きい人は、中身を満たす為に、とても沢山の関わりを得たがるのだろうし、入れ物が小さい人は、少しの人とだけ関われたら満足なんだと思う。
私は、自分の事を、入れ物が小さい人だと思っていたけど、何の事はない。
妻と子がいたから、別にそれで十分だったんだ。
結婚をして、子供が出来ても、友達付き合いを大切にする人もいる。
その人は、入れ物が大きい。
しかし私の場合、あまり入れ物が大きくないから、何かが詰まっている場合、それ以上、物を入れる事が窮屈だったんだと思う。
だからこそ、一人の遊びが楽しかったのだ。
今、何も面白い事がない。
釣りにも興味がなくなった。
山も、たまに会社の人に誘われた時に行けばいいや、と思うようになった。
好きなYouTuberの動画も、別に新しいものが配信されても、全く見なくなった。
最近までは、今更ながらゼルダの伝説のティアーズオブキングダムをプレイしていたけど、もう完全にやる気を無くし、放置してる。
ウイスキーにも興味がなくなった。
テイスティングが好きで、様々な銘柄を複数所持して、味や香りの違いを比べていたけど、それもどうでもよくなった。
こんな気持ち、初めてだ。
独身の頃から、私は常に意欲があった。
やりたい事が、山のようにあった。
私は子供の頃、家庭が貧しかったから、やりたい事も出来なかったし、行きたい所も行けなかった。
欲しいものも買えなかった。
社会に出てた時は高卒で、就活に失敗し、派遣会社に登録してお金を稼いだ。
親の収入が少ない事を知っていたから、いつも家にお金を入れてた。
いつしか親が退職する。
親は年金を払って来なかったので、尚更、私がお金を家に納めなければならなかった。
私は、社会に出た瞬間から、自分の親を養ってきたんだ。
しかしそんな有様でも、子供の頃よりは金銭的に余裕は出来た。
アクアリウムを始めたり、中古のバイクを買ったり、サーフィンを始めたり、スノーボードを人にもらったり、レザークラフトを始めたり。
様々な趣味に手を染めた。
社会に出て何年か経ち、私はそれなりの会社に、正社員として転職をした。
収入が大幅に増えた。
そして、その会社で妻と出会った。
同棲を始めるようになってから、私は自由に使えるお金は、過去と比較すると、飛躍的に増えたのだ。
私はその頃から、色々と無差別に楽しんでいた趣味をやめてしまった。
妻との時間を大切にした。
二人で一緒にいる時間が楽しかった。
それでも、一人の休日に冒険心を満たせる登山とか、隙間時間に楽しめる釣りとかを新たに始めて、それは最近まで、楽しく出来ていた。
お金に余裕が出来るようになってからは、欲しいものをたくさん買った。
ウイスキーも、ちょっと良質な12年のシングルモルトを、様々飲み比べた。
グレンケアンのテイスティンググラスを買ったり、バカラのロックグラスを買ったりした。
モンベルのウェアや、ミレーのバックパックを買って、山に登った。
2,000円くらいする、シマノのストロングアサシンとか、マリアのラピードなんかを買って、青物を釣った。
お金を沢山使った。
そんな私を見て、妻は言った。
『あなたは今、若い時に出来なかった事を、取り戻そうとしているんだね。』
その通りだと思った。
私は今、ひとりぼっちだ。
妻も、子も、ここにいない。
こんなに自由なのに。
釣りにも、山にも、ウイスキーにも、何にも意欲が向かない。
会社の可愛い子の事を考えてたり。
期待している後輩と、キャンプギアの話をしたり。
会社の上司と育児の話をしたり。
パチンコ好きの女の子から、訳の分からない設定の話を聞かされたり。
躁鬱の子の事を思い浮かべたり。
今度予定しているバーベキューの為の準備をしたり。
その為に、みんなにカッコいい所を見せたくて、新しいタープを買ってみたり。
私は何をやってるんだろう。
もしかして私は、もう既に若い頃に出来なかった事を、取り戻していたのかもしれない。
あんなに他人が鬱陶しくて、一人の時間が欲しかったのに。
毎日毎日、タイドグラフをみて、朝マズメに行きたがってたのに。
北アルプスの山岳地図を見て、いつかこの山に登ろうと計画して、シュラフやツェルトを買ったのに。
頻繁に近所のスーパーや酒屋に足を運んで、山崎や白州が定価で販売されていないかチェックしてたのに。
こんなにも、虚しい。
こんなに上等なものを持ってて、色々な事が出来る道具が揃っていて、その気になれば、海にも、山にも自由に行けるのだ。
でも、休日になると、私は、何もしない。
午前中は大体、庭の雑草を処理してる。
アリを駆除してる。
それ以外の時間は、本当に何もせず、ハンモックに横になって、目をあけて、何も考えない。
そんな時間が、2時間、3時間と過ぎていく。
夕方になる。
洗濯をする。
ご飯をつくる。
お風呂に入る。
そして、また、何もしない。
部屋で横になってる。
徐々に、夜になっていく。
そして、雑に酒をあおって、布団に入って、スマホをいじって、寝る。
明日がくる。
そして、会社の人と、喋るのだ。
妻がいた事、子供を得た事。
そしてそれが、一時的にとはいえ失われた事で、私の生活が、私の楽しみが、全て変わってしまった。
他人が恋しい。
こんなにも、人と関わりたいと思うなんて。
知らなかった。
私は、寂しがり屋だったんだ。
他人に興味がなくて、見下して、心の中でバカにしてばっかりいたのに。
こんなに寂しい気持ちになるのは、想定外だ。
心は落ち着いている。
仕事も、随分まともに出来るようになってきた。
まだ鈍いけど、少し時間をかければ、頭も働くようになってきた。
そう言えば、6月になってから、私は欠勤してないな。
早退もしてないな。
5月までは、あんなに休んでばかりいたのに。
今は、静かな気持ちだ。
穏やか、という程ではない。
でも、ザワザワもしない。
少し寂しいだけ。
そこまで悲しい気持ちではない。
今日も妻から、LINEが来た。
家に帰りたいって。
でも、あなたの病気が本当に回復するまで油断できないから、辛いけど、もう少し実家で頑張るって。
そう言ってた。
私は、もっと、良い人間でありたい。
妻の為にも、子の為にも、誰かの為にも。
今、一番私が必要としているのは、人との触れ合いだ。
信じられないくらいシンプルで、生物としての根源的な願いだ。
今は少し、満足している。
私はきっと、たくさん悲しい経験をしてきたから、私を守るために、私を駄目な人間に作り替えて、悲しみを感じないように心掛けて、私は人とは違うという呪いをかけて、その事に苦しんだのだと思う。
でも、私って、なんか案外、一人だと寂しくなるという事と、寂しい時に他人と関わりたくなると感じるんだな、という事が、良く分かった。
案外、凡人なんだな。
ちょっと発達障害的な要素を持ってて、適応障害を患っているけど、よく考えると、私の事が好きな人は、いっぱいいるじゃないか。
その人達に助けられてる。
こうやって、今は何かに気付いた気持ちになってても、きっと明日になると、また嫌な気持ちになったり、自分の人間性に疑問を抱いたり、やはり他人を見下したりするんだろうな。
いつか、そういう事が少なくなって、素直に、健やかな気持ちで、もっと人と関わって、病気も直して、妻と子と向き合って、幸せに生きていけるようになりたい。
出来るような気もする。
出来ないような気もするな。
私は流石にもう若くないので、そんなに人間の心が簡単に変わるもんじゃないって事は、身に染みている。
流石に、自分の意識、メンタルまでは、合理的な結論を導き出せない。
感情だけはな、どうやってもコントロール出来ないからな。
それでもまぁ、やっていくしかないんだけど。