ここ最近、本当に調子が良い。

以前の自分に戻ってきたような感じがする。



そもそも病気関係なしに私はネガティブで、人と関わるのが苦手な自分なので、


『今の私がこのような状況なのは、本当に病気のせいなのか?

なんか元々、自分はこんな感じだった気もする。

回復する事なんてあるのか?

そもそも、もう回復しているのではないか?

私は今もまだ病気なのか?』

…という思考がずっと巡っていた。



これまで長らく、理由もなく感じてきた、モヤモヤ、焦燥感、不信感みたいなものを感じる時が、随分と少なくなった。


回復してきた今なら、良く分かる。

私は、病気故におかしくなってた。



完全に回復した訳ではないと思うし、時間帯や、日によって、やはり気分のばらつきはある。


以前であれば、そのばらつきは低い場所を推移していたけれど、現在では徐々に、高い所での推移となっている。



家族のいない寂しさにも、随分と慣れてきた。

育児を担う事がなくなった為に、時間を持て余している。


これまではずっと育児で忙しかったから、庭も荒れ放題だった。

なので最近、毎日少しずつ、庭の手入れをしている。



私の自宅は田舎で、家の周りにケヤキの木が沢山あって、これが枝を落とすし、秋には枯れ葉を落とす。


この枯葉が堆積し、取り除かないでいると、徐々に分解されて土となる。

そして、その土を土壌として、雑草が生える。

それを、もう数年間放置していた。


やがて雑草の根がコンクリートに達し、コンクリートを貫通してひび割れを起こす。


私の自宅の庭は、その影響で割れ散らかったコンクリート片でいっぱいだ。



この、堆積し、ほぼ土と化した枯れ葉を、スコップで取り除く。

そして、枯れ葉を山にしている土のゾーンに移動させる。


並行して、枯れて落ちた枝も、何度も拾い集めて、少しずつ燃やした。



ようやくコンクリート部分が露出する。

だけど、もうボロボロだ。

風化が進んで、砕けている部分が随分多い。


この瓦礫も、とりあえずまとめて山にした。



使えなくなったスノーダンプや、壊れた刈り払い機、犬がいた頃に使ってた犬小屋、猫トイレなど、色々な物が庭に転がっていた。


これらも、処分出来るものは処分して、処分に手間のかかるのものは、一旦端っこに寄せておく。




随分、綺麗になった。


本当はずっと、娘を庭で遊ばせたかった。

家族が帰ってきたら、ここで庭キャンプをしよう。

近々、会社の同僚ともバーベキューを計画している。


妻が帰ってきたら、驚くぞ。

子供が帰ってきたら、喜ぶかな?

会社の人達は、何て思うのだろうなー?


そんな事を考えながら、黙々と、庭を片付ける日々。



そして、ふと思い出した。

自分の行いは、それが未来に待つ何かと紐付いていると思えるから、頑張れるし、楽しめるんだ。


この庭掃除の先に、バーベキューとか、庭キャンプとか、家族との触れ合いがあるんだって思えるから、庭を片付ける事が苦痛ではない。



今まで、いつかやらなきゃ、綺麗にしなきゃ、みっともない、子供を遊ばせる為にも私が頑張らねば、

そのような強迫観念があって、頭の片隅ではやらなければならない事を理解しつつも、出来なかった。


今は、仕事が終わって帰ってくると、まず、庭の片付けを進める。


枯れ葉をどかす。

土を取り除く。

水をまいて土を流す。

鎌で雑草を刈る。

除草剤を散布する。

物を移動させる。

瓦礫を集めて取り除く。

枯れ枝を集めて燃やす。


それを、何度も何度も、ひたすら繰り返した。



まだ完璧に終わった訳ではないけれど、随分と過ごせるような状態になった。


先日は、一人で焚き火をした。



元々焚き火台は持っており、今度バーベキューをする為に買ったマルチグリドルもあるので、庭でソロキャンプをする事にした。


タープを張って、ハンモックをセットして、火を焚く。



ハンモックの中で寝袋にくるまって、眠る。


ああ、家族と過ごせないこの寂しさを、どうしたら良いのだろうと思った。


でも、また家族と暮らせるって思ってるから、私は、庭を綺麗に出来るのだ。



日々を穏やかに過ごそう。

今は一人だからこそ、みんなの為になる事も出来ると思う。


離れ離れだからって、何も出来ない訳じゃない。

自分の事が出来る。

家の事だって出来る。

そしてそれは、いつか必ず、家族の幸福に結びつくはずだ。



いつかみんなが帰ってくる時の為に、私は私なりの取り組みを持って、日々を過ごして行こうと思う。


あと5ヶ月だ。

頑張ろう。