最近、私よりも妻の方が余程辛そうに思える。



妻は現在、実家にいるのだけど、お母さんは仕事をしている。

お父さんは、たまに子供と遊んでくれはするものの、一日子供を預かれる訳ではないようだ。


また、2歳の娘はまだ保育園に通っていない。

7月から始まるようだけど、今はまだ実家で面倒を見ているようだ。


つまり、現在私の妻は、2歳の娘と、2ヶ月の娘を、ほぼ一人で面倒を見ている状態のようだ。



私は最近、家族がこの家にいないという状態に慣れてきた。

最初のうちは、泣いたり叫んだりしていたけれど、この頃はもう受け入れつつある。


また、生活スタイルも変えた。


居間で過ごすと、妻や子がいた光景を思い出して寂しい。

寝室で寝ようとすると、娘が隣にいない事が悲しい。


その為、もう最近は、家族で過ごした空間をなるべく使わない事にして、ほぼ玄関で探している。



私の家は、昔の農家の家を、中古住宅で購入したものだ。

だから、家全体が無駄に広く、これまで私達は、2部屋しか使っていなかった。


この2部屋を避けて、やたらと広い廊下に、ハンモックを設置して過ごしている。

まぁ、ご飯の時だけは、どうしても居間に行く事にはなるが。



現在、私が暮らすこの家は、まだ私が妻と出会う前、25歳の頃に、35年ローンを組んで購入した家だ。


祖父が亡くなった時、土地や住宅の相続権があまりにも複雑で、我々は土地も家も相続を放棄したのだ。



実家を失った母。

寄る辺のない母。

だから私は、

『私達家族の拠り所として、土地と家を買う。

それが、母の幸せになると思うから。』

そういう思いで、この家を買ったのだ。



しかし現在は、たった一人、私だけがここで暮らしている。



私には父親がおらず、母は女手一つで私たち3人を育て上げた。

姉も妹も、歪んだ環境で育ち、非行少女であった。



私が高校生の頃は、祖父と、母と、私の3人で暮らしだった。

古く貧しい家庭で、室内でも枕元に用意したペットボトル飲料が凍りつく家だ。


祖父も離婚しており、祖母はいなかった。

そして祖父は酒乱で、ビッグマンという安酒を毎晩飲んでは、怒鳴り、物を壊す。


母はそれに耐えかね、深夜、祖父に気付かれないよう、私を連れてこっそりと家を抜け出し、母の仕事場である布団工場で寝泊まりをした。



布団工場というのは、聞けば何となく想像がつくと思うけれど、ホコリがすごかった。


ハウスダストアレルギーの私は、目が痒くなり、鼻水も止まらなくなる。



そして母は、泣きながら私に言う。

『こんな惨めな思いをさせてごめんね。』


私は、『大丈夫だよ。』と言った。



姉も妹も、高校には行ってなかった。


姉は、どこか男の所に転がり込んだり、離婚した父親の家に世話になっていたようだ。


妹は、不良仲間の家に泊まったり、時には行き場を無くして、駅前のトイレで仲間と一夜過ごした事もあるようだ。



私は、母を一人には出来ないから、祖父の酒乱に耐えて、惨めに泣く母を見守り、大人になった。




私は、私の妻、娘達に、あのような酷い思いをさせたくない。

言葉には出さなかったが、私は、歪んだ。

あの環境で育って、心が歪んだ。


しかし誰も悪くない。


祖父は、酒を飲まない時は優しかった。

一緒に温泉に行って、遊んでくれた事を良く覚えている。

幼い頃は同じベッドで寝た。

祖父が大好きだった。


母は、私を育ててくれた。

女手一つで私たちを育ててくれたし、365日、一日も仕事を休まず、時にキッチンで倒れながらも、私達を守ってくれた。


父は、離婚こそすれど、私という息子を思って、連絡をくれた。

釣竿をプレゼントしてくれた。

山に連れて行ってくれた。

イワナの釣り方を教えてくれた。

いわゆるチョイ悪の父で、ヤクザにも負けないかっこいい父だった。

私は腕相撲に勝てなくて、強い父だった。



祖父は数年前に死んだ。

脳梗塞で倒れ、ボケて、施設送りになり、肺炎で死んだ。


母の事は見捨てた。

私の妻を愛してくれない。

私の娘を愛してくれない。


父は、どうなのだろう、話をしたい。

今の私の状況について、父はどのように考えて、何を言うのか、聞いてみたい気持ちもある。

しかし、その勇気はないし、もう、あちらから連絡が来る事はないであろう。

姉が父と強い結び付きがあるから。



大好きだった祖父は、母と私を苦しめた。


感謝すべき母は、私の得た家族を愛してくれなかった。


私たちを捨てた父は、それでもなお愛を持って我々を思ってくれたが、しかし思いだけがそこにあるのであって、私を守ってはくれなかった。



私は、母に恩返しをしたかった。

しかし、それ以上に、妻と娘に、惨めな思いをさせたくはなかった。


人生を掛けて、私を守ってくれた母。

偉大なる母。


なぜ、私の妻と子を愛してくれなかった?

それさえしてくれたら、私はあなたを捨てなかったのに。



私は、親になった。


私は、母も、父も、祖父も、決して憎んでいない。

感謝している。

愛している。


姉も、妹も、同じ家庭で育った。

彼女らの幸せを願っている。


私は、私のルーツの全てが、幸福で終えていく事を願っている。



だが、しかし、それでも尚、私は苦しかった。


こんな家に産まれてきた事を恥じた。

呪った。


なぜ、私はここに産まれてきたのか。

劣等感があった。

ずっと苦しかった。


私に向けられた家族の愛が、重たかった。

全部捨てたかった。

逃げたかった。


私の事を知る者が、一人としていない場所で、新しい人生を始めたかった。




私は、一人の女性と出会った。

彼女は私を愛してくれた。

私達は結婚した。

娘が産まれた。


私が生まれ育ってきた、この場所、私の家族、その全てが、私の未来を邪魔するかのように立ちはだかった。




だから捨てた。

心を病みながらも、それでも捨てる事にした。


何と残酷で心のない人間なのか。

そう思う。


しかし、私はどうでも良い。

妻と子の未来を守る。


私の事を守ってきた者達を、全て捨てしまってでも、私は、娘達を守る為に、こうするしかなかった。


他にやり方もあったのかもしれない。

でも、私にはこうするしかなかった。

私が壊れる。

全ては守りきれない。




私は、心を病んで、自分の妻や子に向き合えなくなった。

だから、離れて暮らす事になった。


家族に会えなくて辛い。


でも、私を失った家族もまた、辛い思いをしているようだ。


娘は寂しがっている。

妻は一人で戦っている。


私は、一人で孤独に耐えている。



どうして。


もう39年生きてきた。


いつまで私は、罪悪感や責任感に苛まれねばならんのか。

なぜ、真っ当な家に産まれて来れなかったのか。



今、私の昔の家族達は、どんな思いで、どんな暮らしをしているのだろうか。


全てを捨てて、自分の幸せだけを選択した私を、どんな気持ちで思い出すのか。



母は元気だろうか。

父は元気だろうか。

姉は離婚したと聞く。

その後息災であろうか。

妹夫婦は、まぁなんとか大丈夫だろうな。

私達が不遇な環境で育った故、いつも助けてくれたおばさんは、私の事を、姉妹からどのように聞いているのだろうか。



私は、会いたい人がたくさんいる。

でも、絶対に会いたくない。


ありがとうと伝えたい人がいる。

でも、どの面を下げて会いに行けるというのだ。


なぜ、私が得た新しい家族を、誰も愛してくれなかったのだ。


なぜ、私の古い家族を、あなたは愛してくれなかったのだ。



あなた達が折り合わないから、私は娘に惨めな思いをさせない為に、切り捨てねばならなかった。


そうだよね、あなたのせいではない。

私がそう決めた事なのだ。


しかし思う。

みんな、みんな、身勝手過ぎる。

みんな、自分の事しか考えない。


私は、みんなに幸せになってほしかったのに。

もう叶わない。

だから、私は今、一人なんだ。



人間って、ここまで精神的に追い詰められたら、病気になるんだよ。

みんな、知っておいて欲しかった。


私が病気になったのは、みんなのせいだ。



そう言いたい。


そう言っても、許されるよな?

だって、私は、こんなにも私を犠牲にしてるんだ。


少しくらい他人のせいにしたって良いだろ。



そして今、私は、娘達を一人で面倒見なければならなくなった、妻を思う。

私が病気にならなかったら、私達は、離れ離れにならず、あなたはこんなに苦労をせずとも良かったのだ。


母が我々家族を愛さなかったからだ。

あなたが私の母を愛さなかったからだ。

私が母を捨てて得た家族を選んだからだ。


その全てが重なり合って、私たちは今このような状況に追いやられているのだ。



私は幸せになりたい。

多くは望んでいない。

世界が私に優しい事も知ってる。

妻や子が私を愛してくれている事も知ってる。


私はただ、私が私の幸せと、家族の幸せの為に、他の何かを犠牲にした事実から逃れる為の理由と、それを受け入れるまでの時間が欲しいだけだ。


幸せになりたい。

普通の家庭を作って、家族に惨めな思いをさせないように生きていきたい。


たったそれだけなのに。

なぜなのか。

こうも苦しいのは、なぜなのか。


もう全てから解放されたい。

全てが私にまとわりつく。


自由になりたい。

そして自由になった今、とても寂しい。


幸せはどこにあるんだ。