私は若い頃から、ACIDMANというバンドが好きで、現在でも、新曲が出る度、購入している。
ファンなのだ。
つい最近、発表されたばかりの新曲が、あまりにもかっこよくて、何度もリピートして聞いている。
若い頃は、私は本当に音楽が好きだった。
バンドサウンドが大好きで、様々なバンドのCDをジャケ買いしてたものだ。
しかし、年齢を重なるにつれて、次第に音楽から離れていった。
共感が出来なくなったのだ。
歌詞が邪魔をする。
少し前に流行った、ある曲の、
『君の運命の人は僕じゃない、辛いけど否めない、でも離れ難いのさ』
という歌詞があるんだけど、
私はそれを聞く度に、
『なぜ、まだ確定していない未来を、運命と定めて、わざわざ自分から権利を放棄するのか?
自分こそが運命の人であるように、向き合うべきだろう?
そんな弱気だと、好きな人を他の人に取られちゃうだろう。』
などと思うのだ。
私の、この発言に対して、その曲を聞いている妻は、
『みんなね、自分に自信がなくて、弱いし、不安なんだよ。』
と言う。
確かにな。
そうなのかもしれない。
でもやっぱり、その人の事が好きなんだったら、
『僕こそが君の運命の人だ、そう言える未来の為に、僕は全力で君を振り向かせてみせる。』
くらいの根性がないとダメなんじゃないのかなぁ?
…と、まぁそういう感じで、あらゆる音楽の歌詞に対して、いちいち何か癪に触るような表現を感じてしまう。
どうも楽しめないのだ。
年齢を重ねると、自分の価値観が定まってくる。
普遍的なものになっていく。
自分の人生における、自分なりの哲学が形成されていくのだ。
経験を重ねると、そういう損もある。
若かった頃は、エネルギーがあった。
心の中を、どれだけ吐き出しても、とても表現しきれず、圧倒的な感情が吹き出し続けていて、それはまるで源泉のように、溢れていく。
しかし、一体何が溢れているのかを理解が出来ない。
溢れる感情が何者であるかが分からないし、その感情を定義する事も出来ないのだ。
だから音楽に頼る。
自分の変わりに、自分の思いを、言葉に変えて欲しいんだ。
人間は弱いから、そして未熟だから、自分でも分からない強い感情を、音楽に変えてくれる人を探している。
だから音楽が救いになる。
若い頃の私は、何度も何度も、音楽に救われたんだ。
もうこの歳になると、音楽は私を救わない。
私は私の心を定義する。
この感情を正確に分析出来る。
それが可能になる程、経験して、蓄積した知識を活用出来るようになったんだ。
まだ未熟であった私に、最も大きな影響を与えてくれた音楽のリンクを貼って、今日は寝る事にします。
今日は終日、精神が安定していた。
明日もこうであるといいな。