心を病むと、何かをしたいっていう気力が低くなる。
私は、釣りや登山が大好きだったんだけど、適応障害を患ってからというもの、どうも意欲が湧かず、趣味を楽しもうという気持ちも起こりづらくなった。
精神的な疾患は症状に波があるので、比較的、意欲がある時もある。
しかし、多くは塞ぎ込んでしまって、悲しみや虚しさに囚われて、何も出来なくなってしまう状況が続く。
このような時、ストレスを発散しようと思っても、その発散が分からない。
基本的には、脳のエネルギーが足りない訳だから、適度に動いて、健康的な食べ物を食べて、良く寝る事が望ましいとされる。
ただ、胸のもやもやがピークになると、本当に苦しくて、早くその状態から逃れたくて、何かをしなければならないような思いが発生する。
何も出来ないが、何も出来ずにただ目を閉じている事も耐え難い。
しかし、そういうもんなんだろう。
仕方ないと思うより他にない。
しっかり食べる。
よく寝る。
適度に運動する。
お酒を飲まない。
カフェインを取らない。
規則正しい生活をする。
極めて平凡な取り組み。
誰かに縋りつきたくなるが、今は一人で頑張らねばならない。
娘の寝かしつけは、私の仕事だった。
アンパンマンや、ノンタンの絵本を読んであげた。
3回くらい読んであげると、眠る。
その寝顔がいつも隣にあったのに、今は誰もいない。
幸いにも、私には不眠の症状は出ていない。
眠る事は可能だ。
食欲は若干落ちているが、食べる事は出来ている。
自炊も出来るので、栄養面においては然程問題はない。
問題なのは、さみしいって事だ。
妻だって、二人目の子供を産んでから、まだ2ヶ月といった所だ。
産後の身体は回復していない。
二人の子を妻に任せてしまっている。
妻は逆に、自分の時間が取れず、休む時間、睡眠時間が取れずに本当に疲れたと言ってる。
私達夫婦は、ずっと二人で家事育児をやってきた。
だから、私が娘を見ていられなくなった事によって、妻も疲弊してきている事を電話で教えてくれる。
私達は思い合い、協力してきた。
だから、離れて暮らしていても、心が離れるとか、離婚に至るだとか、そういう事に対する不安は全く無い。
ただただ、今隣に家族がいない寂しさと、そして、成長していってしまう子供達を、側で見ることが叶わない事が、今私にとって最も辛い事だ。
適応障害を治す為に、私らは離れて暮らす事にしたのに、離れて暮らすが故に、孤独や焦燥に駆られて互いに疲弊するとは、私達は選択肢を誤ったのだろうか?
しかし、それは離れている今だからこそ、その様に思えるのであって、あのまま家族と過ごしていたら、私は家族の方を向く事も出来なかっただろうし、妻もまた、自らも産後で苦しい中、心を病んで塞ぎ込み行き、家族から目をそらす夫に耐えられなかっただろうと思う。
私たちは、一度離れたからこそ、八方塞がりの状況打破に成功し、しかしそれ故に、新たな苦しみを得る事となったのだ。
焦ってはならない。
私はとにかく、病気の治療の為、継続的に薬を飲んで、健康的な生活をするのだ。
当たり前で、基本的な事。
ただこれを、しっかりやるしかない。