幼い娘と手を繋いで、散歩をするようになってから、私は思った事がある。
きっと私も、こうであったんだろうな、と。
自分一人では行けない場所にいけた。
親が私の手を取ってくれたから。
危険から守り、新しい場所を教えてくれたんだろう。
その手を握っていたからこそ、行ける場所があった。
しかしいつしか、その手が煩わしくなり、私は自由を求めるようになった。
その手を振り解かなければ、行けない場所が見えてきたから。
一人で歩く毎日の中で、妻と出会った。
妻と手を繋いで歩くと、また新しい世界が見えた。
一人のままでは、知る事が出来ない世界がある事を知った。
そして我が子が産まれて、その手を握る時、この子を通して、この世界にはまだこんな場所があるのかという事を知った。
この子が産まれなければ、私はここまで来れなかったのだ。
この世に産まれて、誰かと出会う。
手を取り合ったり、その手を振り解いたりして、人はバトンを渡していくように未来へ進んでいく。
いつか、この子の手が、別の誰かの手に届くように見届ける。
それが私の生きる目的なのだろうと思っている。
今は私達が、この手を握って、まだこの子が知らない世界へ行くんだ。
そして、いつかこの子は、私達の知らない世界へと進んで行くのだろう。
この先、何年と、人生が続いていく。
果たして我々は、どこまで行くんだろうか。
役目を終えた時には、新たな世界へ旅立つのだろうか。
今はまだ分からない。