私には家族がいる。

妻と、娘が二人。

2歳の娘と、1ヶ月。


しかし、今は離れて暮らしている。

私が適応障害を患い、仕事や家庭、様々な物事に対して負担に感じるようになってしまったからだ。


病気を患って以来、毎日の積み重ねでストレスを重ね行き、日に日に精神が乱れも大きくなっていった。

そしてついに、自分の家族に対しても向き合えなくなってしまった。


私の病気の回復には何が必要だろうかと、妻と話し合った。

その結果、妻と二人の子は妻の実家に帰る事となり、現在私は、久々に独身のような日々を過ごしている。



結婚して、子供が産まれてからというもの、私の人生はほとんど思い通りにならなかった。


でも、幸せを感じていた。

妻とは喧嘩も多かったが、良好な関係だと思う。

子供も可愛くてしょうがない。

私は家族を愛してる。


それなのに、何故、離れ離れに過ごさねばならないのか。



私が精神的な疾患を患うまでに至った理由は、様々であるが、最も大きな理由は、

『親族達との諍い』

であろうと思う。


私は、田舎の出産で、長男だ。

母がおり、父親は存命であるが母とは離婚している為、母子家庭で育った。

その他、姉と妹もいる。


私は若い頃、最後には母の面倒を見るつもりでいた。

母は女手一つで我々を育ててくれたし、私は長男であるから、そのように考える事が当たり前のように感じられていた。

しかし、実際にはそうはならなかった。


全てを述べるにはあまりにも文字数を要するので省略するが、結果として、私達夫婦は、母と折り合いがつかなくなったのだ。

そして母は、妹夫婦の家庭で過ごす事となる。



私達夫婦は、家計から妹夫婦の家庭に対して、

『母の生活費』

として、毎月金銭的支援を行ってきた。


しかし、いつしか、私達夫婦には娘が出来た。

妻は育児休暇を取得し、家庭の収入は減る。


そして一人目の子供が産まれ、時は流れて、二人目を授かる時がやってくる。


丁度その頃だろうか、私は適応障害によって仕事を休職する事となった。



家族が増える。

しかし収入は減る。

決して裕福ではない生活なのだから、金銭的支援にもやがて無理が生じるのは自明の理だ。


私は、母に対する金銭的支援が不可能となりつつある現状を、姉や妹達に伝えた上で、今後の対応をどのようにするべきかを話し合った。



母には生活保護を取得してもらうような方向性で進めていたのだが、話し合いは難航。


この時の、私の親族の妻に対する対応や、全ての責任が長男である私に紐付くものであるとの主張に対し、ダムが決壊するかのごとく、私の忍耐に限界が来た。


私は自分の親族に対して、金銭的支援を打ち切る旨を通達し、そして関係を断つに至った。



確かに、母には、育ててもらった恩を感じてはいるし、私も人間だから、一緒に育ったかつての家族とこのような事になるのは不本意である。


しかし、自分に妻が出来て、子供が出来たとあれば、何よりも、自分の子供の未来を守らねばならないと思うのが私の考えだ。


そして、子供達を誰よりも愛し、守ってくれるのは、私を除くと、妻なのだ。


全てを背負いきる事は出来ない。



いうなれば私は、自分が得た新しい家族を守る為に、自分が育った、これまでのあらゆるルーツを全て切り離す事を決断したという事だ。


いつかはこの決断をせねばならないと、長年背負い続けてきた。


これによって、いよいよ私の精神は不安定となり、社会生活、および家庭の営みに支障をきたし、現在に至る、というものだ。



私は、自分の決定に後悔はないけれど、やはり、ずっと虚しさを感じている。


願わくば、自分の母にも、私の娘を可愛がって欲しかったと思うし、姉や妹の子供達と、仲の良い従兄弟になって欲しかったと思うからだ。



得たものを守る為に、自分のルーツを捨て、自分の病の為に、得た家族と離れ離れで過ごす。


治療の為とは言え、あまりにも酷いこの現状に、日々怒りが込み上げる。



この怒りは、何の怒りなのか。


妻に対する、姉や妹の無礼な振る舞いに対してなのか?

もしくは、母の振る舞いに対してか?

はたまた、私の親族に対して敬意を待てなかった妻に対してなのか?

あるいは、もっと自分が上手くやれれば良かったとでも思うのか?



いずれにせよ、私は、今一人で酒を飲みながら、やり場のない怒り、寂しさ、虚しさを感じている。


それを、何か犯罪的ではない形で、どこかに出力しなければならないと感じた為、ここにこのように記す事とした次第である。



家族に会いたい。

私の病気はいつ治るのか。


妻や子とは、ほぼ毎日テレビ電話をしている。

娘は、電話の画面に映る私を見て、嬉しそうにしてくれる。

『一緒に遊んで!』

『今日は一緒に寝よう!』

そう言ってくれる。


でも出来ないんだよ。



私の回復期間として、別居期間は半年と設定している。

つまり、半年のうちに私が回復すれば、またみんなで一緒に暮らせるのだ。

半年間、この生活を続けて、私は私の回復を待つ。



あまりにも長い。


上の娘は2歳半。

半年下の娘は、やっと1ヶ月ちょっと。


幼い子供が、半年という月日の中、どれ程変わってしまうのか。

私は一度経験したから知っている。


その変化を、成長の喜びを、ずっと側で見守りたかった。

二度と訪れない、大切で得難い、この愛しい時間を、私は一体誰によって奪われたのだ?


私か?

母か?

姉妹か?

妻なのか?


こんな事ばかり、延々と考えては、一人で寝室に向かって、泣いたり叫んだりしている。


娘が遊んでいたおもちゃを手に取っては、娘の名前を呼んで、娘が遊んでいた光景を脳裏に思い浮かべては孤独に苛まれ、最後には泣き叫んで、その後少し感情が落ち着いたら、惨めなものだと自重して眠るのだ。



そんな、自由を得た私の話。


こんな事で病気が治るのか?

ともかく私は、孤独を感じながら、寝る前にメイラックス錠を飲む事しか出来ないのだ。


無様な事だ。

早く家族に会いたい。