痛いのは誰しも嫌ですね。その痛みについて東洋医学はどう考えているのでしょうか。

 

東洋医学の世界には、「不通則痛」という言葉があって「通ぜざれば、すなわち痛む」と読みます。

「何か?が通じなかったら痛むよ」と言っているわけですが、この何か?とは「気」を指しています。

気は健康な人ではぐるぐると常に身体中を巡っているとされます。

 

ところが、何らかの原因でその流れが局所的に妨げられると、その部分に痛みが起こるというわけです。

ただし、完全にストップしてしまうのではなく、流れが悪くなった状態と考えられ、その程度によって痛みの度合いや性質が変わると考えられています。

西洋医学では、組織の損傷が起こると痛むと考えられてきましたが、最近では一部の痛みは脳で感じる感情の一つで必ずしも組織損傷を伴うとは限らないと言った考え方もあるようです。

 

東洋医学の場合、身体のどこかに痛みを感じたら「あ、ここら辺で気が滞っているな」と考えて、なんとかその気の滞りを取り除いて痛みをとってしまおうと考えます。そうした気の滞りのことを「気滞」と呼びます。

皆さんも経験があると思いますが、肩こりで肩が痛い時に肩を揉んでもらったり、熱いお風呂につかったり、あるいは軽い運動をしたりすると楽になることがあります。

これは、揉んだり、お風呂につかったり、身体を動かしたりしたことで、つかえていた気が自然と流れたためと考えられます。

もちろん、そんなことでは楽にならない肩こりもありますが。

 

 

肩こりに鍼やお灸をするのも同じような考え方によるものが多いのですが、気の利いた鍼灸師であれば、気滞をただ取り除くだけではなく、気滞を発生させたそもそもの原因に対処しようと考えるでしょう。

どんな方法であれ気滞を一時的に取り去ることができれば症状は改善します。

 

しかし、気滞を生じさせた本来の原因が取り除かれなければ気滞が再び生まれて痛みだす可能性があるからです。

ただ、気滞を生じる原因には生活態度にまつわるものも多く、そういう場合には必ずしも鍼や灸が根本的な解決策になるわけではなく、生活の仕方の改善があわせて必要になります。

 

 

痛みには、ヒリヒリとかズーンとか刺すようなといったいろいろなタイプがあります

。また、上述のように入浴などで比較的簡単に楽になるものもあれば、慢性的な痛みや深夜や明け方に増強する痛みなどもあります。それらの違いについて、東洋医学では気滞の発生した原因が深くかかわっていると考えます。

 

詳細は今後ブログの中で触れていきたいと思いますが痰湿や瘀血と言われる東洋医学独特の病理物質の存在などもそれらの一つです。一例を挙げると、とてもわかりやすい瘀血として、打撲でできる内出血があります。

青黒い内出血がある程度吸収されるまでは痛みが持続することが多いようですね。