前回、東洋医学では「生活の在り方(積み重ね)」がその人の不調や病気の原因のほとんどだと考えると書きました。そのことを私は、我々が「本来、遺伝子が想定している生活」から逸脱した生活を知らず知らずのうちに送っていることだと解釈しています。

 

私たち現代人は、今も縄文時代の遺伝子を受けついでいると言われています。縄文人は約16,000年前から約3000年前までいたとされ、そんな時代の遺伝子が想定していた生活は、日の出とともに起床して働き、日没とともに眠る生活だったでしょう。食べ物も十分にあったわけではなく、飢えることはあっても飽食することはほとんど無かったはずです。

また、そこまで古くなくても、わずか400年前の江戸時代でも基本的に早寝早起きで素朴な食生活が普通だったはずです。まして、電球が発明されたのはわずか145年前(1879年)ですから昼のように明るい夜はそれ以降に始まったわけです。

もちろん遺伝子は環境変化に適応するために進化しますが、それには膨大な時間が必要で、我々の生活の急速な変化に進化が追いつくことはできていません。

 

 

「遺伝子の想定する生活」と現代人の生活の違いを如実に表している事例をひとつご紹介しましょう。私たちの体には血糖を上げるホルモンは複数備わっていますが、血糖を下げるホルモンはインスリンだけしかありません。これは、遺伝子の想定した生活では、血糖を高めないといけない局面は多いが、血糖を下げないといけない局面は少ないためだと考えられます。現代人は、そうした身体にもかかわらず飽食を繰り返したことで、肥満が問題となり、ひとつしかない血糖を下げるホルモンのインスリンが枯渇したり効かなかったりする糖尿病が蔓延してしまっています。

 

ここまで述べてきただけでも現代人の生活は大きく変わりましたが、直近の60年間で更に劇的に変化しました。1970年代前半まで日本は高度成長が続き技術革新が進みました。それでも1980年に私が社会人になった時にはオフィスにパソコンも携帯電話もありませんでした。ところが1990年代前半にはパソコンや携帯電話は当たり前になり、その後30年でインターネット、スマホ、VR、AIと怒涛の変化が押し寄せました。これらによって生活は一見便利になったと思われますが、実際にはより忙しく効率重視の社会になり、人々は精神と睡眠時間を削って生活をすることになっています。

 

 

もうお気づきかと思いますが、本来、日が暮れたら就寝し身体を休め、日が昇ったら身体を動かして働きながら、節度ある食事(時に飢えることはあっても飽食はない食事)、節度ある精神生活をするという前提で設計された身体が、昼夜の別なく深夜まで仕事をしたり遊んだりしながら、飽食、間食を繰り返し、神経をすり減らす生活が一般的になりました。

東洋医学では、夜に就寝することで陰を養う(腎を充実させる)とされており、夜更かしは腎を傷つけると考えます。同様に、飽食、間食は脾を傷つけ、あらゆる病気の原因になると考えます。(脾や腎などについても、今後ブログで触れる予定です)飽食、間食はダイレクトに脾を傷つけますが、夜更かしをし、パソコン、スマホに興じる生活は目を酷使するので間接的に脾や腎を傷つけます。これは、目を働かせるには血を消耗するという考え方から血を生み出す大元である脾や腎に負担がかかるという理由なのです。更に、精神的ストレスは肝を傷つけると考えます。

こうした考え方で見ると、「動き方(働き方)」、「食べ方」、「寝方」、「考え方」のちょっとした逸脱を正すことに健康維持の秘訣があるのかもしれません。これらの中に「考え方」、すなわち精神活動が体調に及ぼす影響について東洋医学が昔から注目していたことも興味深いですね。

 

 

ここまでを読まれて、「そうはいってそうした現代生活を送っていてもなんら重大な病気にならない人もいるではないか」と言う方もいるかもしれませんね。それはそうです。私たちには日々の生活から受ける負荷(無理)を受け止め、そこから回復する力を持っています。これは丁度、竹を曲げるとしなって受け止め、力を緩めると元に戻るようなものです。それでも竹を曲げる力が一定の強度を越えると竹は折れてしまいます。そうなると竹は元に戻りません。人も同じで、軽微な不調はいわば負荷が溜まってきたサインですから、限度を越さない間に改善する必要があります。しかも、その復元力の強さは人によって異なるので、同じような生活をしていても平気な人と体調を崩す人が現れます。

上記の生活の在り方に関することも、今後のブログで触れていきたいと思っています。