青森の実家で迎える大晦日。
兄弟3人が揃うのは父の四十九日法要以来。

忘れじの2012年。
1年の最後の日に12ヶ月をふり返ってみます。
お時間ありましたらお付き合いを。

1月。
父、緩和医療科の受診へ。
終末医療という言葉に「あきらめ」が感じられ反発していたが、通うごとに穏やかになっていく父を見てこれが最先端医療なのではないか、と思えた。
正月休み中に母が怪我。まさかの入院。夫婦二人でベッドを並べて寝たきり。
母は自分が父の世話をできないことを悔しがったが、父は「こんなにお母さんと1日中一緒にいるのは初めてだ」と嬉しそう。
事務所の移転とスタジオの移設を決める。デビュー21年目に向けた決断。

2月。
新スタジオ完成。
機材の移設とセットアップに2週間近くもかかってしまった。
月末にはグアムでライブというご褒美のような数日間。

3月。
震災から1年目の日を通い慣れた気仙沼市本吉町小泉地区で迎える。
被災地での1年を追いかけた青森放送テレビの制作チームの追跡取材が続く。
事務所の移転は意外に手間と労力がかかっている。
10年間使い慣れた事務所を離れるのは正直寂しい。

4月。
45才になった。
「ここまで来たか」という気持ちと「まだここまでか」という気持ちが半々。
5月に放送が決まった青森放送の特番用ロケは今月だけで10日間。
僕は基本的にどこに行くにも1人きりが多いため、スタッフと一緒に旅するのがとにかく楽しい。
月末、陸上自衛隊多賀城駐屯地で感謝状を受けとる。
昨年5月の激励ライブへの感謝、ということなのだがもう1年前の事。なんだか申し訳ない気持ちになる。
せっかく出かけて行ったのだからということで、またも駐屯地内でライブ。

5月。
ゴールデンウィークに大森洋平、堀下さゆりちゃんとイベントツアー「SMILE TOGETHER」開催。福島県相馬市、いわき市の2公演。
翌週、石野田奈津代と宮城県亘理町にて復興応援イベント「いつもいつでも」開催。
震災から1年。被災地でのライブの形も少しずつ変わってきた。
月末、青森放送テレビにて55分の特別番組「日、出づるところへ~坂本サトルが歩いた被災地」オンエア。
放送を見た岩手県大槌町の方から「これまでたくさんの震災関連番組を見たり、出演したりしてきたが、初めて自分たちと同じ目線の番組を見た」と感想が届く。
この感想をもらっただけで充分。やった!

6月。
1日、JIGGER'S SONの活動再開を発表。
みんながどれぐらい待っていてくれたのか、それとも待ってはいないのか?全く予想がつかないが4人でまたやろうと決めた。今はそれが嬉しい。
16日、父が73才で永眠。
余命宣告されてから9ヶ月。家族みんなで闘い、寄り添った。
悔いがないと言えば嘘になるが、僕らは支え合って生きていくしかない。
残された母をこれまで以上にみんなで大事にしようと決めた。
葬儀の準備が進む中、楽曲制作の締切が迫る。
この時に書き上げた曲のタイトルを「この街に生まれた意味」に決めた。

7月。
仙台青年会議所の依頼で制作した「この街に生まれた意味」完成。
本当に良い曲ができた。CD化されないのが残念。なんとかならんかなー。
13日より弾き語りツアー北海道編スタート。
札幌公演では急遽、JIGGER'S SONのギタリスト渡辺洋一が出演。
出会いから24年。この人とは一生こうやって一緒にやっていくのだろう。
月末、山中湖の某合宿スタジオでJIGGER'S SON、11年ぶりの再会。
11年間の隙間は10分ほどであっけなく埋まった。
再開初日はイベントリハ、翌日からマキシシングルのレコーディングという無謀なスケジュールだったが、予想以上の順調さで難なくクリア!
やっぱりこの4人って最高だ!

8月。
JIGGER'S SONのレコーディングと同時進行で夏のイベントラッシュ。
中でもJIGGER'S SONとして出演した仙台での夕涼みコンサート、そして出演10年目となった故郷、青森県南部町での夏まつりが印象に残った。
この夏まつりの他にも仙台花火祭カウントダウン点火式も出演10年目。
10年連続呼んでもらえることに感謝しつつ、今後も与えられた役割を果たしていこうと思う。

9月。
JIGGER'S SON、11年ぶりのライブ「再会20 ~僕らはみんな生きている」にて復活。
復活したぞー!

10月。
被災地への支援物資調達でお世話になった事からお付き合いが始まったスーパーマーケットチェーン「フレスコキクチ」のテーマ曲制作。
スーパーで1日中自分の曲が流れる日が来るなんて!
月末、福島県二本松市の中学校の文化祭にて宮城びっきの会のみなさんらとご一緒させて頂く。
個人的にはこの日見たアンガールズのコントが素晴らしかった。

11月。
青森県内の地方紙「東奥日報」に初めて劇評を書かせて頂く。なんだかすいません。
エンタテインメントガールズユニット「DOROTHY LITTLE HAPPY」のプロデューススタート。
彼女たちのプロデュースは約1年ぶり。よりホンモノになっていて嬉しい。
まずは来年1月発売のシングル曲に収録される2曲を仕上げる。
そして16日、長年温めてきた企画「おもいでレストラン」スタート。渾身の企画イベント。これから大事に育てていこうと思う。
21日、JIGGER'S SON、14年ぶりのシングル「バトン」リリース。
復活ライブのドキュメンタリーDVD、メンバー全員のロングインタビューを収録した40Pのブックレット付きというスペシャルパッケージ。
月末、福島市内にて復興イベント出演。

12月。
弾き語りツアー「限りなく生で。あるいは生で。」開催。
他にもイベントが多くて、年末によくよく歌わせてもらった。
その間、DOROTHY LITTLE HAPPY の次作のプロデュース数曲。
レギュラー番組「うたのちから」オリジナルソング企画もスタートしたため、ライブとスタジオワークがめちゃくちゃに交錯したのだが、以前のように「頭が切り替わらない」という事はなくなった。
ライブとレコーディングも同じことだ思うようになった。
これはここ数年で最も大きな収穫だ。


以上、私の2012年、終わり。
こりゃあ忘れられないな。

みなさんの2012年はどんな1年でしたか?
良かった人もそうじゃなかった人も、ご苦労様。
来年はきっといい事ある。いい年にしよう!するぞ!

今年もお世話になりました。
それでは最後に僕が挨拶の中で1番好きな言葉を最後に。

さあ、右手を大きく上げて…

「よいお年を!」


ギリギリ年末に間に合った!(>_<)
それにしても美輪さんすごかった…。