4日夜、EPOさんから「角野恵津子さんが亡くなった」と連絡を頂いた。

角野さんとのお付き合いはJIGGER'S SONのデビュー時の資料用にインタビューを受けた時以来だから、もう19年近くと言うことになる。
その資料に「JIGGER'S SONの音楽はステーキではなく、お母さんが作る卵焼きだ」と書かれて、若かった僕はずいぶん角野さんにかみついたものだ。

彼女は恐らく一度もぶれることなく音楽とそれを作る音楽家を敬愛した。
気になったライブは深夜バスや格安チケットを駆使して各地へ見に行った。
大阪でのライブにひょっこりいて「今からバスで東京戻るよ」何てことは日常茶飯事だった。
貪欲で純粋なその信念と行動力。
音楽ライターという呼び方では物足りなくて、僕は音楽ジャーナリストなんて呼んだりしていた。
様々なイベントや番組を企画し、奮闘する姿はその純粋さゆえに時にまぶしく、時に痛々しかった。


晩年はライブハウス「晴れたら空に豆まいて」のブッキングマネージャーとして、様々なイベントのアイディアを僕にぶつけてくれ、電話で何時間も激論を交わしたものだ。
正直で誠実で優しくて、そして不器用な人だった。


彼女の日々の戦いは日記にちゃんと書かれている。「恵津子の部屋
哀しい知らせを聞いて何年かぶりにのぞいてみたら、「生き甲斐だ」とまで言っていた日記、休んでたんですね。
もっと話を聞いてあげれば良かった。
近くにいたつもりだったんだけど。


EPOさんと僕を結びつけてくれたのも角野さんだった。
葉山で3人でやった対談は面白かったなあ。

角野さんのイベントで僕の新作の試聴会をやった時に、角野さんがCDプレーヤーの設定をいじってしまって本邦初公開の新曲がだるんだるんのテンポで出ちゃって、あれは笑ったなあ。

曲を聴いてる間、何か映像を流さなきゃって、角野さんが持ってきたやつが何百匹ものペンギンがお互いをこん棒で殴り殺し合うという恐ろしいアニメで、「なんでこんな映像持ってきたんですか?」って聞いたら「えっ?そんなシーンあった?」って大慌て。会場は大爆笑!
狙ってたなら最高にシュール。でも絶対に狙ったりしない愛すべき天然さんだった。
思い出してまた今笑っちゃったよ!


角野さん。
楽しい想い出をたくさんありがとう。
やっと何の心配もしなくていいし、頑張らなくてもよくなったね。

ゆっくり休んで下さい。
またどこかで。