今月末は第46回気象予報士試験お願い
受験を予定されている方は追い込みの時期ですね。
私も去年の今ごろは、持てる時間の全てを勉強に捧げていました真顔

これから何回かに分けて、
※気象予報士を目指したきっかけ
※勉強方法
※試験対策
※実際試験を受けてみて
などなど、回顧録的な感じではありますが、綴ってまいりたいと思います目

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その①の今回は『きっかけ編』です。


私が気象予報士を目指そうと思い始めたのは北海道でアナウンサーをして4年目の頃。
もともと空とかお天気の事とか好きではあったんですけどね。
北国の冬を体感して、天気予報の重要性を身を持って体験した事が、気象学を身に付けたい!と思ったきっかけです。

もうね、札幌、ホントに超雪が降るのガーン
当たり前のように毎日降るのガーン



朝一番の出勤は軽い雪山登山。
気温が低いのでサラッサラの雪。
叩けば落ちるので、風吹でも傘はささない。ちょっとした風吹なんざ日常だから普通に歩きます。
神奈川県出身で、数える程しか雪を見ていなかった自分。最初こそカルチャーショックを受けていたが、2~3年すると、すっかり慣れてしまいました。


たとえ自宅の前がこんな景色になっても。


そんな頃。
当時私は、朝の情報番組の司会をしていました。その番組の中で毎日1分程の短い天気予報を読んでいました。
原稿は局に在中の気象予報士さんが書いたもの。



冬は毎日のように、『上空寒気…』『低気圧通過…』『大雪…』そんな文言が入っています。

お天気が荒れそうな場合は、局の予報士さんがお天気の情報を教えてくれたりもしました。

でもね、私には知識がなく、『上空に-40℃の寒気』と言われても、それがどれ程のレベルかがわからなかったのです。
だって、当たり前のようにしばしば、天気が荒れるから。


そんな中で起きたのが、2013年3月2日に北海道を襲った暴風雪。
9人もの方が大雪で命を落としたのです。
ホワイトアウトで自宅から近い場所で遭難のようになり、覆い被さるようにして娘さんを暖め、亡くなってしまったお父さん。
車が動けなくなり、雪で埋まった中でエンジンをかけていて一酸化炭素中毒で亡くなった方。

その直近の天気予報で、
週末は大荒れという旨を伝えていました。
ただ、その時の私の中では『大荒れ』というのがどのレベルか分からなかった。



局の気象予報士さんはこの事故を未然に防げなかったと狼狽していました。

そして私も、もし、自分に気象学の知識があったなら、なにか違う伝え方ができたのでは?
災害を未然に防ぐのに、天気予報がどれ程大事なものなのか。

事の重大さを認識して、伝えられる伝え手でありたい。

そう実感し、そのきっかけとなったこの出来事に関わることとして、気象学を学ぼう!気象予報士を目指してみようと心に決めたのでした。



とはいえ、学ぶならしっかりやりたい。
自分の性格、仕事をしながらはキツいと思い、北海道文化放送を退社した2014年の10月、気象予報士を目指して、本格的に勉強を始めたのでした。



と、初回から長~~く、なってしまいましたが、次回は勉強を始めた頃からを綴りたいと思います。