精神病と「哲」。 | 占星術小説家@酒井日香の占い死ね死ねブログ

はい。ということでどうも私です☆彡

 

今日は 「精神病」 と 「哲学」 

をテーマに書いてみますよん☆彡

 

 

 

↑ 人が 「自我」 を持った時から、誰もがみな

精神病であるのは必定なのです。。。。

 

 

 

 

 

 

ということで、わたくし、2003年頃に 「不安神経症」、 2011年

にも 「脅迫神経症」、 2017年にも 「脅迫・不安神経症」 という、

3回診断をいただいたたぶん立派な 「神経症患者」 でござんす☆彡

 

 

 

 

 

精神科っていいよ!! あたしがたまーーにいく病院さんは

カウンセラールームがあって、そこでお医者さんがことこまかに

聞き取りや成育歴を聞いてくれるので、精神科医と話すとだいぶ

気持ちが楽になる上に帰りは睡眠薬くれるので、辛くなったら

眠剤のめばいいんだし☆彡

 

 

 

 

 

でも、精神を語るとき、すべては 「スペクトル(連続体)」 である、

という大前提がありまして、人は誰でも些細なストレスや軋轢で

大きく 「病的」 方向に崩れることもあれば、 持ち直してまったくの

「健常」 方向に振れることもあり、常に状態が固定しているわけでは

ありません。

 

 

 

 

だからこの世の全員、みんな 「精神病」 なのです。異常と

健常を分ける明確なものさしはありません。 人に迷惑かけない

なら正常、いちじるしく迷惑かけるなら異常、というくらいの

あいまいな線引きしかできないですね。

 

 

 

 

 

あと、認知症の人や老人性うつ、老人性人格障害、老人性

統合失調症の方々と職業柄、年中いっしょにいるんですけど、

彼らを見ておりますと、若い頃にすでに彼らの中にあった 「哲学」

が、病気によって著しくなっているな、という気はします。

 

 

 

 

 

「哲学」 ――。 これは、命よりも

大事なことであり、生命にまさって

しまうほどのパワーあるものです。

 

 

 

 

 

 

そして私たちは誰しもが、自分なりの 「哲学」 を持っています。

 

 

 

 

 

 

「哲」 とは、なかなか定義の難しいことですが、私が若い頃

読んだ哲学全集の前書きには、 「哲、とは、“こつ” “秘訣”

のようなものだ」 という説明がありました。

 

 

 

 

 

たとえば 「カレー哲学」 なんて言ったりしますよね。

COCO壱番屋の 「カレー哲学」 。 社長さんはどんな

「カレー哲学」 を持っているのでしょうか?? なんて記事が

ダイヤモンドオンラインに出たりする。

 

 

 

 

 

野球やサッカーでもそうです。広島カープ現監督、

緒方考市さんの 「野球哲学」 とか、 現・サッカー

日本代表、森保一監督の 「サッカー哲学」 とか。。。

 

 

 

 

 

みんな、独自の 「こつ・秘訣・こうすればいいのだという

信念・貫く姿勢・考え方」 をお持ちです。それが普通の

ビジネスパーソンや主婦にも参考になるから、そうした、

一流の経営者や監督、アスリートやクリエイターの 「哲学」

や 「流儀」 を描いた本がいつも書店にあるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

こうした 「こつ・秘訣」 のことを 「哲」 というのだ、と、

酒井さんが20代のときに読破した哲学全集には書いて

ありました。

 

 

 

 

 

 

ものごと、なんでもかんでも、この 「哲」 は大事で、

なんのためにこれをやるか、なんのためにこれはあるのか、

という根本を見つめないと、なんでもおかしくなって混迷

していくことになります。

 

 

 

 

 

 

私が西洋占星術を始めとした占い全般を批判し、

占いの本質を描きたい一心で占い大河小説を描き、

超次元占星術などの実験をしているかといえば、

 

 

 

 

 

「そもそも占星術における 

“哲” とは、何なのだ???」

 

 

 

 

という根本がまるで見えてこないことへの激しい苛立ち

ゆえであります。

 

 

 

 

 

「哲」 がないから、無軌道になる。 「哲」 がないから、なんでも

ありになって言ったもんがち、やったもんがちで、ひたすら気色悪い

ポエムだの語りだのを出せばいい、になってしまって、あたかも

「哲」 が、星座ごとに違うのだという愚かな印象まで人に抱かせて

しまうのです。

 

 

 

 

 

生まれたときのホロスコープのほうが、その人の 「哲」 を

生み出すのだ、などというとんでもない論調になってしまう。

 

 

 

 

 

 

違うんです。 「哲」 があるから、ホロスコープは初めて

正しく運用できるんです。占い学理だのカードの意味だの

覚えるよりも何よりも、占い師がまず真っ先に見つめなくちゃ

いけないのは、 「哲」 なのです。 なんのためにこれがあるのか、

なんのためにこれを運用するのかという、ブレない方針、とでも

言いましょうか。

 

 

 

 

 

なんのための会社なのか。 なんのためのこの商売なのか。

カレーとは何なのか、野球とはなんなのか。サッカーとは

何なのか。 介護とは何か、看護とはなんなのか、医療とは、

税金とは、主婦とは――。

 

 

 

 

 

こういう、 「そもそも論」 の 「哲」 がブレてしまうから、

何事もものごとがおかしくなるのです。

 

 

 

 

 

だから、ブッダとか孔子とか孟子、老子といった中国

諸子百家の先人たちやイエス、ムハンマド、といった

ような人たちも、 「人はなぜ生きるのか」 という、究極の

そもそも論である 「哲」 を見つめてきたわけですね。

 

 

 

 

 

そしてその 「哲」 が、人格や行動まで変えてしまうのです。

性格を変えられない、行動を変えられないという人は、

「哲」 を考えたことがないから、変えられないだけです。

 

 

 

 

 

ある国が、諜報活動させるためのスパイを教育するときに、

もっとも大切なのは 「哲」 を心に育てることなんです。

 

 

 

 

 

共産主義がいかに理にかなっているいか、ある宗教が

いかに素晴らしいのか。 ある方式がいかに素晴らしいのか。

 

 

 

 

 

そういうものの考え方、思想という名の 「哲」 を教え込んで、

その 「哲」 が本人のこころの支えになってしまうように

丁寧に丁寧に教育します。

 

 

 

 

その心を抱いたまま敵国に行くので、敵国の国民を拉致しようが

何しようがまったく心が痛みません。彼らにしてみればそれは

正しいことをしているからです。

 

 

 

 

 

でも、そんなスパイでも、また別の 「哲」 に触れてしまって、

そちらの 「哲」 が美しいと思えば、スパイだった自分を恥じる

ようになります。だから、自分の 「哲」 がどこにあるのか、

誰の影響を受けているのか、どんな本や情報を見ているのか

ということはものすごく重要です。

 

 

 

 

 

そしてこの 「哲」 を心に育てることが 「教育」 であり、

「哲」 こそが行動と性格をつくってしまうのであれば、

精神疾患の最良の薬は 「哲の刷新」 しかないという

ことです。

 

 

 

 

 

たとえば、認知症の年よりに、ものすごい 「もの取られ

妄想」 の強く出る人がいます。

 

 

 

 

 

私の介護施設にもそういう方がいて、毎日毎日、不安感が

強くなると 「眼鏡がない」 「新聞がない」 「ティッシュがない」

と始まり、 「職員が盗んだ」 「娘が来てもっていった」 「どろぼうが

来た」 と毎回大騒ぎします。 もうその繰り返しです。

 

 

 

 

 

しかし、その人の成育歴や生活歴を見ていると、元気な中年

時代から人にだまされたり、生活苦ゆえに消耗品を自由に

使えない環境だったり、行動を制限されてきたり、そうした

環境だった人が多いな、と感じます。

 

 

 

 

 

そして、そうした環境が、その人の中に 「哲」 を生み出して

しまったがゆえに、それが信念化してやっかいなことに

なっている。

 

 

 

 

 

自分がティッシュに価値を見出しているので、他人もティッシュが

大事である、ゆえに誰かがティッシュを盗んだ、というロジック

なのです。んで、ご家族にいろいろ聴くと、お若いときから

そういえば無料配布のティッシュを集めていた、とか、包装紙や

紐が捨てられない人だった、というのです。

 

 

 

 

 

 

「節約しなければ」 「節約が美徳だ」 「節約節約」 と思う

うちにどんどんため込みはじめ、周囲がそれをやめさせようと

すると 「ほら! やっぱりみんなティッシュが欲しいんだわ!!

価値があるんだわ!! 奪われてなるものか!」 となってしまい、

脳の機能低下にともなってその妄執がますます固着化。

 

 

 

 

 

 

こうなると、もう認知の進行を祈るしかなく、あまりにもの取られ

妄想のせいで集団生活が困難をきわめるようであれば、

精神科医と相談の上投薬コントロールするしかありません。

 

 

 

 

 

それに、今のお年寄りが残念だな、と思うのは、みんな

「自分が死ぬとは思ってこなかった」 人たちです。だから

余計やっかいです。まだ自分はできる、やれる、人になんか

世話になるほど落ちぶれちゃいないという 「哲」 が強すぎて、

もうその 「哲」 自体を刷新する必要があるのに、まだ自分に

合わなくなった 「哲」 にしがみついている。

 

 

 

 

だから、なるべく 「永遠不滅・永遠不朽」 に近い 「哲」 を、

人は、求め続けなくちゃいけない。 そういう意味で、 「カレー哲学」

よりかは 「量子力学」 でしょうし、「トヨタ哲学」 「日産哲学」 なんか

よりは 「相対性理論」 でしょう。ブッダの教えや老子、孔子の教えの

ほうが普遍性に近いと言えるでしょうし、商売の 「哲」 や芸術の 「哲」

を求めるときも、ブッダや老子や孔子、イエスの言葉に近いニュアンス

があるとより普遍性に近い、ということが言えます。

 

 

 

 

 

 

ただ、ブッダの教えや偉大な諸子百家の教えには 「永遠不朽性」

があるとはいえ、それを今語っているのは現代人の僧侶や思想家

ですから、やはりブッダの 「哲」 に見せかけて、その人の成育歴

や環境、遺伝子由来の 「哲」 も混じっています。 だからこそ日々、

繰り返し問い直さねばならないのです。

 

 

 

 

 

「わたしがこれを行う “哲” とは何か?」

 

 

 

 

 

ということをね。。。。 毎日毎日、新鮮な 「哲」 をして

いかなくちゃいけないのです。 なんのために生きるのか、

なんのために人生があるのか、なんのために占星術や

占いがあるのか、なんのために仕事をするのか。

 

 

 

 

 

毎日これを問い直し、拾い直し、より理想の 「哲」 に

向かっていかなくてはいけません。 これこそが 「こころの

成長」 ということだと思うのです。

 

 

 

 

 

そしてその 「哲」 こそが性格や行動を作るのであれば、精神疾患

などは思想で乗り越えられるということです。 人は 「哲」 によって

生き、 「哲」 によって行動し、 「哲」 によって自殺したり自爆さえ

したりするからです。

 

 

 

 

ということで、占星術をテーマにした占い大河小説を

描いています。 占星術とは何か、占いとは何かという

酒井さん独自の 「哲」 を込めた作品です。

 

 

 

 

「VICE—ヴァイス―孤独な予言者」

https://ncode.syosetu.com/n0911cq/

↑ 無料で全文読めます。ログインも不要です☆彡

 

 

 

【あらすじ】

かつて、指定暴力団寺本組に、 雪村幸造という名の

天才占い師がいて、組長に次ぐナンバーツーの実力者でした。
 
 
 
 
 
雪村は細木〇子さんを彷彿とさせるような、占いで
テレビに出まくり、巨万の富を作りましたが脱税と
「占い賭博」 という不正賭博を興行した罪で逮捕され、
懲役6年の実刑判決ののち世間から姿をくらまします。
 
 
 
 
 
月日が流れて雪村は、出雲王朝の血を引くらしいという、
天才占い師少年 「郷原悟」 の噂を耳にすることに。
 
 
 
 
 
母親に無理やり、14歳という若さで占い師をさせられ、
カネ集めに利用されていた郷原は、あるとき、怒り任せに
母親の愛人(奈良の生駒山の行者・笑) を刺し殺してしまい、
少年刑務所行きに。。。
 
 
 
 
 
そこで天才占い師、雪村幸造から占いの真実を
教わるのです。
 
 
 
 
 
「何も信じるな」 と———。

 
 
 
何も信じない、誰も愛さない、自分の命さえ捨てるという
郷原のすさみ切った占星術はしかし、誰もが恐れるほどの
的中を呼び郷原は次第に危険な権力の中枢へ―ー。
 
 
 
 
 
なんていう 「占いクライムノベル」 なんですけど
読まれたいのでページめくってちょ。。。(涙)

 

 

 

 

 

ということで、まったねー☆彡

 

 

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