占いVS宗教の対立を、中国・道教史で読み解く。その② | 占星術小説家@酒井日香の占い死ね死ねブログ

前回記事の続きです。


「占いVS宗教の対立を、中国・道教史で読み解く。その②」


なんですが。





ところで、宗教学者のひろさちやさんは、その著書


「やまと教」の中で↓  ↓   ↓


やまと教―日本人の民族宗教 (新潮選書)/新潮社
¥1,155
Amazon.co.jp

仏教の伝来は、日本人にとってとてつもない

文明の襲来だったと、記述しておられます。

「文化」



じゃなくて

「文明」




という単語を使っているところがすごいです。

文化、というと、その土地や民族の伝統的な慣習とか、

なじみ、好みというものが、長い間受け継がれてきた

ようなものを指す言葉ですけども。

「文化」の国語的意味→http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%96%87%E5%8C%96&dtype=0&dname=0ss&stype=0&pagenum=1&index=117451900000

文明、というと、もっと直接的で、改革的、改善的、進歩的

なものであり、生活様式を変えてしまうような具体的なもの、

というような意味になります。


「文明」の国語的意味→http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%96%87%E6%98%8E&stype=0&dtype=0&dname=0na

たとえば

「文明の利器」


という言葉がありますね。

掃除機とか、洗濯機、自動車、エアコン、家電、

火薬や治療薬などなど・・・・・。

そういうのが

「文明」

で、そうじゃない慣習的なものが文化。

文明はすんごい便利だけど、文化はアートですから、

便利とか、そういうのとは違うわけです。

んで、ひろさちやさんは、仏教とはまぐれもなく、

丸ごと文明


だったとおっしゃるわけで。。。。。

いにしえの人々にとって、死は、大変恐ろしいものでした。

呪術の起源は元をただせば

「死にたくない。神様でも悪魔でもなんでもいいから、

生きていられるようにしてください」


という、幼児のような痛烈な恐怖心から生まれて

いるのです。

それが露骨にあらわされているのが、何を隠そう

「道教」

の世界なんですねぇ。。。。

東洋系占術といえば、みなさんおなじみのものが

たーーーーくさんあるでしょう。

当たるも八卦、当たらぬも八卦でおなじみ

「コイン占い」



「筮竹占い」

も、道教の一部ですし、ユミリーやドクターコパが煽る

「開運風水」

なんかも、元は道教から来てます。

それ以外にも、細木数子の六星占術とか、

山本玲菜のゼロ学占星術、中森じゅあんの

算命学もぜーーーーーーーーーんぶ

「道教占術」


から来てまして、立派な道教の一部なんです。

だから、よくマガジンハウスのアンアンで

「算命学で占うセックス相性研究」

とか、

「ゼロ学占いで真夏の恋の大作戦」

みたいなのは、あれ、知らず知らずのうちに

道教を布教しているのと同じです。

占い本・占い雑誌を手掛ける人たちは、

「占いは宗教である」

という認識を持った人はほとんどいません。

ああいう雑誌は、一度話題を掴むと惰性と言うか、

バカの一つ覚えみたいに同じネタをやり続ける

クセがあるので、自分たちのしていることが悪い

という自覚はありません。

でも、とにかく占いは宗教です。

「あたし、最近タロット占いにハマっちゃって」


と、気軽に友達に話すアホ姉ちゃんが

いますけど、あれは

「あたし、最近カルト教団にハマっちゃって」


と打ち明けるのと、同義語なのであります。

占いをやるヤツは、ぜったいにそれを忘れちゃダメ。

んで、中国人は

「道教」 = 「占い・呪術」

という感覚ですから、実は西洋占星術とか、タロットカード

とか、オーラソーマなんかの欧米産神秘主義も

「道教」


として見ています。

道教で人気のある神様

「関聖帝君」

とか、

「天上聖母(媽祖)」

とかを祀った廟では、それらの神様の誕生日に

なるとたくさんの出店が出るそうですが、最近は

タロット占いとか、ホロスコープ占いを出店する

お店も増えているのだそうです(近所に住んでる

台湾人から聞いた)。

んで、現地の人たちはそういうのをぜんぶ

「ああ、道教ね」

と思うらしい。

台湾、香港、中国では、占い師というと

「道教の信者」

という認識で、日本みたいに宗教なんかまるで

知らないアホ姉ちゃんが、おしゃれ感覚で

おかしなスピリチュアルに手を染めるのとは

わけが違うようです。

んで、この道教は

「老子・荘子」

を教祖に仕立てておってだな。。。。

以前、幻冬舎にぶっ潰される前にやってたわしの

前回ブログで、少し老荘思想を引用して占い否定を

書いたら、

「下ユル子(酒井)よ、お前は何もものを知らない。

老荘こそ占いの根本神みたいなものだぞ」

と、叱られたことがあった。(あの人のハンネは何と

言ったっけ・・・。うっかさんだったかな??)

でも、道教史を紐解くと、もともと道教と老荘は、

何の関係もなかったんだそうな。

そうだろうなぁ~・・・・・。

だって、老子とか荘子の言ってることと、仏教の

唯識論とか読み比べても、特に違和感無かったもん。

だから、ものすごく冷徹に、論理的にものごとを

観察している老荘思想と、あんな欲丸出しの

えげつない道教とどうつながるのか、ほんと、

不思議で仕方がなかった。

そうしたら道教のやつ、文明である仏教が中国に

流入してきたとき、そのあまりの無根拠ぶり、荒唐無稽

ぶりに仏教者から大非難を受けましてですね。。。

んで、自分たちの宗教を権威づけるために、

無理やり教祖としてすでに有名な老子・荘子を

持ってきちゃったんだって。(5~6世紀頃)

んで、道教は、仏教教団の統制力、影響力を

まねて、自分たちも教団化することをもくろんで

いったわけですけど。

しかし、老荘を取り入れ、仏教を取り入れ、

柔軟に時代に合わせて生きてきた道教には、

占いとの付き合い方を考えさせてくれる伝統が

たくさんあった。

わしは、占いは信仰の一種なので、排除すべき

だとは考えていない。

しかし、今の日本のミーハー占い姉ちゃん、占いババア、

占いジジィ、そしてアホ出版社が垂れ流す占いは

宗教ではなくなってしまっていて、

「単なる安直な願望達成装置」


に成り下がっているのが、占い公害の一番の

問題点だと思うのだ。

ロマンチックなホロスコープもタロットも、

ぜんぶ

「人の切なる信仰」


なのである。

お釈迦様がスッタニパータで、占いを排斥せずに、

優しい目で見守っていたように、ああいう占いババア、

占いジジィ、占いアホ姉ちゃんも、いずれ占いが

煽る自分自身の

「ダークサイド」


に気づかされるときがきっと来る。

そういうとき、みんな広く仏教や、キリスト教や、

伝統的神道などを真面目に勉強してくれたら

いいと思う。

そうすると、本当の宗教というのは、盲信を戒めて

いるのに気が付くはずだからね。

中国人はそういうところで、占い(道教)のことは

「しょーがねーなぁ・・・・」


と思いながらも、すごく上手に付き合ってきたんだね。。。

占いをやりながら

「盲信しちゃあいけないよ。人生の答えは

自分でしか見つけられないよ」


って、言ってあげる働きもちゃんと持ち合わせていて、

わしはそういうアジア文化のおおらかさがすごく

好きだと思った。

道教はまだまだ読んだ本が少ないので、現状、

なかなか深く語れないですけど、もっともっと

たくさん読んで勉強したいと思いました。

んじゃ☆