東日本大震災被災者支援ボランティア 大阪有志グループ 第2陣 感想 | 堺市の交通まちづくりを考える会

東日本大震災被災者支援ボランティア 大阪有志グループ 第2陣 感想

今回の第2陣で、役割分担した日誌と、各自の感想などをまとめ、6月4日に報告集を作成中。先に個人分担分を以下に記す。


5月16日 日誌>

 7:00に250kgのケーキ材料と機材を積み宿舎を出発。8:40に第1会場の石巻市立石巻保育所に到着。早速機材と材料の搬入後、コーヒーマシンの準備にも取りかかる。

 10:30より150名分、130cmのケーキを製作。できあがったケーキにはお誕生日おめでとうの文字。保育士さんの手拍子と共にクラスごとに分かれた園児と歌を歌いながら、ローソクを吹き消す。年長園児は泉州イチゴを各自ケーキに飾り、ジュースと共に楽しむ。

 保育所では園児と共に昼食を頂き、12:30に保育所を後にする。

 13:10に第2会場の石巻市河北総合支所ビッグバンに到着。15:00から210名分、200cmのケーキを2度製作。その模様はNHKテレビと同ラジオにて全国放送された。18:30にビッグバンを後にし、17:20に宿舎に帰還。

 今回のケーキ提供には、当社取引先各社の物資提供と、自らが被災の地元市議やご家族らのご協力を得た。


感想>

 初日のケーキ提供には、現場状況を事前に把握できないことで大変苦労した。水道電気の復旧状況はもとより、大阪から48時間に及ぶ運搬において、生クリームとイチゴの事前保冷テストを行ない、現場での衛生管理には気遣いが多かった。ライフラインの重要性を再認識した。

 ケーキを前にした園児らの笑顔は忘れられない。日頃来店頂く子どもたちの笑顔と同じだった。制作中のケーキに注がれる幼い眼は興味津々で、ローソクの火を消す様は保護者にも見せたいと感じた。

 避難所でのケーキ教室は、小中学生の避難所への帰宅時間を意識したスケジュールとした。前日誕生日を迎えた中学生には、200cmの大きなケーキの一角にメッセージを入れ、皆でお祝いをした。歌声やローソクを吹き消す姿は、年相応の無邪気な中学生だった。ところが、ケーキの提供になると、「公平に」、「並んで」という避難所でのルールに従って、彼は無意識に列の最後尾に並んだ。彼にと特別に切り分けたケーキを受け取るために。この光景を私はとても悲しく思えた。

 2日目の泥出し作業。これまでの報道や現地のツイッター情報に加え、第1陣の支援ボランティアにも関わったことで、予備知識があるつもりだった。しかし目の当たりにしたものは、想像していた被災地ではなかった。

 被災から2ヶ月たった現場には、車が行き交う音、人が息づく音、復旧・復興といった街の息吹といえる「生活音」が、そこには何一つなかった。あるのは絶望感と先の見えない不安だけ。

 作業現場近くで知り合った初老の男性は、「今日は給水を受け、明日は食料支給を受ける。この繰り返しの中で、一人で自宅の泥出し片付けを行っている。ここにはボランティは珍しい。」と明るく応えた。現場の石巻市川口町は復興計画除外地域だった。

 奇しくもこの日のテレビでは、復興計画除外地域を除いてという注釈もなく、石巻のライフラインは100%復旧したと報じた。もっと正確な情報をマスコミは報じてほしい。

 3日目の作業は主に掃除。住宅の基礎がゆがみ、住み続けることができないことを知りつつ、住人の新たな生活に向けて踏切りをつけてもらうための掃除。「もうここには何もありません。新たに前に進んでください。」と、背中を押した。とてもつらい。

 最終の投宿地、福島県郡山市。赤裸々な原発被害の現場を伺った。原発の人災に係り、児童の疎開や一時避難を唱える人も少なくないが、それは机上の提案。そこに暮らす住民には生活のすべてが福島にある。しかし留まれば被爆する現実。そんな苦悩を抱えた福島の現状は、「生きて地獄」、「一生の不安」。

 福島県の津波被害を尋ねたところ、「家も人も、みんな流された。だから支援は僅かで済む。」とのこと。言葉の代りに涙が出た。

 石巻と郡山で出会った人の共通点は、「先の見えない不安」。どうか東北に、少しでも安心を、皆で分かち合えるようにと願う。

寺下昌宏