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それでも生きる 母の悪性リンパ腫との戦い

元気印の母が突然悪性リンパ腫に侵されてしまいました。
その中でも、日本では症例のすくないダブルヒットリンパ腫。
同じ病気を抱えている方やそのご家族の為に少しでも情報を共有できたらと思っています。

一昨日から、母の鼻に酸素がつけられてしまいました。

本当に最後なんだなと、感じずにはいられません。

食事をとらなくなって、一週間が過ぎたした。
意識はほとんどないのですが、
本当にたまーに、私たちの問いに対して
首を動かしてくれます。

目もつぶったままですが、
時々、右目だけが少し開きます。

本当に意識がないように見えますが、
私たちがちょっとベッドの横を離れて話していると、かすかな目の動きで、私たちを探しているのが分かりました。

帰っちゃったかと思った?
寂しかった?
と聞くと首をたてに動かしました。

ああ、まだ母の意識はあるんだ、と感動しました。

あと、何日母の側に居られるのか分かりませんが、出来るだけたくさん話しかけてあげたいです。

<2015年9月>


悪性リンパ腫の中でも大変珍しい

ダブルヒットリンパ腫(double-hit lymphoma, DHL)と診断され、

1年が経ちました。


ネットや論文を見るとダブルヒットリンパ腫の予後は

1年以内と書かれたものを見たことがありますが、

担当医師から余命を宣告されることはありませんでした。



そして、今日、母の意識がなくなりました。


母は、左肩の末梢神経に再発した癌の

放射線治療の途中でした。


突然食欲がなくなり、

先週末には一切食事ができなくなったので、

月曜日に入院しました。


母の衰弱の仕方が激しかったため、

放射線治療はいったん中止となりました。



入院3日目の夜は、父が病院に泊まりました。

しかし、あまりにも酷いベッドのだったため、

体中が痛くなってしまったとのことで、

病院に泊まるのは、その日だけになりました。


4日目に病院に行った際、

母に昨日は夜一人で寂しかったかと聞いたところ「うん」と答えたので、

翌日は、私が朝10時より病院に行きました。


しかし、5日目の朝には、意識はなく

呼びかけても何の反応もありませんでした。


その日は一日何も話さず

ただ寝ているだけでした。


その日、看護士さん二人が母の体を拭いてくださいました。

その様子を少しだけ覗いてみたのですが、

母の痩せほこった体を改めて目にし、ショックでした。


もう、元気なおばちゃん体型の母の姿はどこにもありません。


そして、夕方、酸素マスクがつけられました。


夕方からは父が、そして夜は弟が

母のそばにいましたが、

反応はなかったようです。



何も言わずに眠っている母を見ると

なぜ、母がこんな目に合わなくてはならないのかと

思わずにはいられません。

優しい母がなぜこんなにひどい目にあわなくてはならないのかと。


病気と闘っているご家族の方々は

皆さんこのような思いをされていると思います。


「なぜ。」


母にも言われたことがあります。

なんでこんな病気になってしまったのだろう。何か悪いことでもしたかな、と。

「そんなことはないよ。病は人を選ばずだよ。」

と答えたことがあります。


母は何も悪くない。


どちらかといえば、優しすぎたくらい。


周囲に気を使いすぎてたくらい。


もっと自由にのびのびと暮らしてもらいたかったくらいです。


明日の母は、どうなっているでしょう。。。

どんな状態であれ、

母の傍にいると安心します。


私にとって世界で一番大切な人です。


毎日病院に通うのは、母の為ではなく、

私が母の傍にいたいだけなのだと思います。


私だけでなく、家族みんながそう思っているはずです。


母は、本当に仲の良い家族を作ってくれたと思います。





母は、末梢神経に癌ができてから

燕下(えんげ)のリハビリが必要になってきました。


摂食・嚥下障害について少し書いてみたいと思います。


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<嚥下(えんげ)について>

「物を食べる」ことは、

(1)「食べ物を認識し」

(2)「口に入れ」

(3)「噛んで、飲み込む」

までの動作からなります。

このうち「飲み込む」という動作が「嚥下」にあたります。


嚥下(えんげ)は、以下に分けられます。

(1)舌の運動により食べ物を口腔から咽頭(いんとう)に送る口腔期

(2)嚥下反射により食べ物を食道に送る咽頭期

(3)食道の蠕動(ぜんどう)運動により胃まで運ぶ食道期


嚥下障害が起こると、食物摂取障害による栄養低下と、

食物の気道への流入(誤嚥(ごえん))による嚥下性肺炎(誤嚥性肺炎)が問題になります。


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母の食事を作っていて思ったことは、

それぞれの嚥下機能にあった

お食事を作ってあげることが

一番大切なのだと思いました。


軽度の障害なのに、

すべてゼリー状にしてしまえば

食欲もわいてきませんし、

逆に普通食すぎても

食べにくかったりして

食が進まなくなってしまいます。


まずはよーく観察して

どの程度のものであれば食べられるのか。

どのような食べ物をよく食べているか。


母の場合は、

はじめのころはお粥にしていたのですが、

次第に嚥下障害がよくなるにつれて

お粥の進み具合が悪くなってきました。

そこで普通のご飯をスープに入れたりすると

食欲がぐんとわいてくるのです。



嚥下レシピから探さなくても、

普通のレシピ本の中からも

食べられる食事は意外とありました。


母がよく食べた献立を少しづつ

残しておこうと思います。

「緩和治療」と聞くと治療をすることが出来ない、

末期の癌患者さんが受けるものというイメージがあります。


しかし、緩和ケアは、がん治療の初期段階から、

がん治療と一緒に受けるケアのようです。


多くのがんには痛みが伴います。

初期の治療段階から、

痛みを取り除きながら、

放射線治療や、化学治療を受けるケアということです。

また、心のサポートも含まれているようです。

そして、自宅でも受けることが可能のようです。


参考URL:http://www.kanwacare.net/kanwacare/point02.php



癌になったからと言って痛みを我慢する必要がないのです。


そして、上手に薬を使っていけば、痛みどめが効かなくなるということもないようです。


「緩和治療」というイメージにとらわれず、

是非、たくさんの方に知って頂きたいケアだなと思いました。


さて、母の病院ですが、

緩和治療の病棟というものはなく、

緩和治療のチームが母のいる病棟に来るかたちになります。

しかし、今現在、痛み止めが必要な段階ではない母は、

特段そのチームの方に来ていただいている様子もありませんし、

担当医師からそのような話も出てきません。


積極的な緩和治療をしていないのかもしれないです。



今の母の状態は、左肩の末梢神経に癌が発症しているため、

左肩を動かした際に痛みが走りますが、

寝ているだけですと、

幸いにも特別痛いところがないそうです。


痛みがないだけでもとても幸せです。


患者さんにとって一番辛いのは、痛みと吐き気のような気がします。


しかし、母の意識もそろそろ薄れてきました。


話せる時間がとても短くなってきたのです。


目をつむっているだけかもしれませんが、

1日のほとんどを寝て過ごしています。


それなのに、起きているとあくびをして

眠そうにしています。


それでも、私たちはずっと母の傍に付き添っています。


手を動かすことが出来ない為、

ナースコールを押すことが出来ません。

ですので、やはり家族がそばにいて

見ていてあげるのが一番かなと思っています。


母とのお別れを覚悟したものの、

会っているとその覚悟も薄れてき、

まだまだ一緒にいたいと思ってしまいます。


まだまだ母から教わりたいことが山ほどあります。


頼りたいこともたくさんあります。


話したいこともたくさん残っています。


私がおばあちゃんっ子だったので、

娘にも母とたくさん思い出を作ってもらいたかった。


まだ0歳の娘は母の記憶は残っていないでしょう。

それがとても残念でなりません。


母が一番娘の誕生を喜んでくれていたのに・・・


この思いをしっかり娘に伝えなくてはいけませんね。









過去に遡って母の闘病について
ブログを書いてきましたが、
母とお別れをする日がせまってきました。

私にとって世界で一番大切な人です。

私のことを誰より思ってくれ、
そして支えてくれ、
愛してくれる人です。

母のかわりになる存在はいません。

そんな大切な母と
お別れを覚悟するなんて、
とても辛くて辛くて逃げてしまいたいです。

でも逃げずに母の最後と向き合いたいと思います。

母がくれたバトンを
今度は私が娘に渡す番なのだと思います。

その使命感だけが
今の私を支えてくれています。

大切な人の最後を見届けるということ、
誰にとっても辛く悲しいことです。
世の中にこれ以上の悲しみはないように思います。

でも決して自分だけが悲しんでるわけではありません。
母自信も、
孫を思いっきり抱くことができずに悔しかったと思います。
母を失う父は更に辛い思いをしていると思います。
母思いの弟は立ち直れるでしょうか。
私もいざお別れの日がきたら
冷静でいられるでしょうか。

大切な人の死と向き合うこと。

母との思い出を思い返し、
今、母の手を握れる幸せに感謝し、
この時を過ごすことにします。

そして母の意思は、
娘にしっかり語り伝えようと思います。