<2015年9月>
悪性リンパ腫の中でも大変珍しい
ダブルヒットリンパ腫(double-hit lymphoma, DHL)と診断され、
1年が経ちました。
ネットや論文を見るとダブルヒットリンパ腫の予後は
1年以内と書かれたものを見たことがありますが、
担当医師から余命を宣告されることはありませんでした。
そして、今日、母の意識がなくなりました。
母は、左肩の末梢神経に再発した癌の
放射線治療の途中でした。
突然食欲がなくなり、
先週末には一切食事ができなくなったので、
月曜日に入院しました。
母の衰弱の仕方が激しかったため、
放射線治療はいったん中止となりました。
入院3日目の夜は、父が病院に泊まりました。
しかし、あまりにも酷いベッドのだったため、
体中が痛くなってしまったとのことで、
病院に泊まるのは、その日だけになりました。
4日目に病院に行った際、
母に昨日は夜一人で寂しかったかと聞いたところ「うん」と答えたので、
翌日は、私が朝10時より病院に行きました。
しかし、5日目の朝には、意識はなく
呼びかけても何の反応もありませんでした。
その日は一日何も話さず
ただ寝ているだけでした。
その日、看護士さん二人が母の体を拭いてくださいました。
その様子を少しだけ覗いてみたのですが、
母の痩せほこった体を改めて目にし、ショックでした。
もう、元気なおばちゃん体型の母の姿はどこにもありません。
そして、夕方、酸素マスクがつけられました。
夕方からは父が、そして夜は弟が
母のそばにいましたが、
反応はなかったようです。
何も言わずに眠っている母を見ると
なぜ、母がこんな目に合わなくてはならないのかと
思わずにはいられません。
優しい母がなぜこんなにひどい目にあわなくてはならないのかと。
病気と闘っているご家族の方々は
皆さんこのような思いをされていると思います。
「なぜ。」
母にも言われたことがあります。
なんでこんな病気になってしまったのだろう。何か悪いことでもしたかな、と。
「そんなことはないよ。病は人を選ばずだよ。」
と答えたことがあります。
母は何も悪くない。
どちらかといえば、優しすぎたくらい。
周囲に気を使いすぎてたくらい。
もっと自由にのびのびと暮らしてもらいたかったくらいです。
明日の母は、どうなっているでしょう。。。
どんな状態であれ、
母の傍にいると安心します。
私にとって世界で一番大切な人です。
毎日病院に通うのは、母の為ではなく、
私が母の傍にいたいだけなのだと思います。
私だけでなく、家族みんながそう思っているはずです。
母は、本当に仲の良い家族を作ってくれたと思います。