初めまして、酒井美保子です。
このたび、このブログを管理する事にいたしました☆

今は整体は主人である院長がやっていますが、
もともとは私も主人のやっている整体に魅せられ、
「整体師になるぞ!」という意気込みでいました。

好奇心が抑えられず、これは良さそう!と色々な事に手を出して現在に至りますが、
(というか、整体の才能がなかったんですね。)
ここ最近、「本当は整体がやりたかった」という気持ちがよみがえり、
そして、「私がスゴイ!と思った整体によって沢山の人が、健康になって輝いて欲しい。」
そんな想いが湧いてきたので、当院の治療を知って頂く為に
苦手であり、もっともやりたくないパソコンの前で四苦八苦しています(-"-;


さて、もともと整体師になろうと思ったキッカケ。
それは主人と同じ、師匠の大先生の治療に出会った事です。
正確に言うと、初めての治療はお弟子さん(Dさん)にしてもらいました。

私は小学校4年生からバレーボールを始め、つい数年前まで続けていましたが、
中学3年生の時、バレー部の監督が変わった事で毎日の練習がとてもハードになりました。
さらに通っていた学校は中高一貫校だった為に、
中3の夏あたりからは高校生と一緒に練習する事になっていて、
ボールの大きさがかなり大きくなったのです。
突然のハードな練習とボールの大きさに私の身体は悲鳴をあげ、
ある日、思い切りボールを打った瞬間に肩に激痛が走り・・・
そこから私の痛みとの闘いが始まりました。
肩は痛いし手には力が入らない、箸も鉛筆も持てず、
食事も左手、試験を左手で受けたこともあった位。

そんなひどい状況でも練習は休み休み続け、
ついには首が痛くなり手の痺れが出るようになりました。
近くの整形外科に通い、リハビリを受けるも良くならず、
スポーツ整形が有名な大病院に行っても、「何でもありませんね。」と。
「何でもないわけないじゃん!こんなに痛いんだから!」
と病院への怒りと不信感が爆発。病院は何もしてくれない!と、
良いと言われる鍼・整体、どこへでも通いました。

鍼や整体に助けられ、それでも完治はせずに
何とかバレーをする生活を続けていた高校2年生のある日、
近くに住んでいた父の姉に、
「うちの近所の飲み屋さんに来てくれる整体師がいるから来てみない?」と
誘ってもらい、藁にもすがる思いですぐに行く事にしました。

15分ほどの治療の後・・・
「あれ?痛くない。本当に痛くない!!」

衝撃的でした。
今まで、沢山の所に通ったのは何だったんだろう!
本当にスゴイ!

きっとこの時もかなりボキボキをされたのだと思うのですが、
あまりに痛みに耐える生活をしたいたので、痛みに麻痺していたのか、
治った喜びですっかりとんでしまったのか、
治療の内容や痛かった記憶がありません(*゚ー゚)ゞ

そして、大学では目一杯バレーボールをやり、そろそろ進路を・・・という大学3年生、
大学で体育の先生になる為の教職課程はとっていたので、
「体育の先生か、整体師だ!」と思い、Dさんに連絡をとりました。

Dさんが、「それじゃ、自分の先生に話を聞いたら良い」と大先生を紹介してもらい、
大先生の治療を受け話を聞き、「やっぱりこれだ!」と整体師を目指す事を決めました。
「趣味でいいなら教えてあげる事は出来るけど、将来仕事をするつもりなら資格をとりなさい」
とアドバイスいただき、専門学校を紹介してもらい、
「専門学校に通い始めたら見習いとして治療院で勉強していいよ」と約束をして下さいました。

進路を決め、またバレーを続ける日々。
ずいぶんとご無沙汰してしまったけど、身体をケアしてもらおうと、
再び治療院へ行くと、お弟子さんが2人だけで治療をしていました。
「今日は大先生はいらっしゃらないのだな」と思って治療を受けていると、
「びっくりしないでね・・・大先生は亡くなったんだ。」と。
40後半の若さでしたが、バイクの事故で突然他界された事を知りました。

大先生が他界された時点で弟子はとらない、と決めた様ですが、
私は「生前大先生が約束したから」という事で特別に治療院での見習いをOKしてもらい、
大先生はいらっしゃらなくとも、治療を勉強する事ができました。

そして、大先生の後を継ぎ、治療院で整体をしていた2人の治療師のうち、
私に大先生の死を告げたお弟子さんこそが、
さかい整体治療院の院長である、私の主人です。

ご縁って本当に不思議です。
何一つ欠けても今の自分はなかった。
それを考えると、偉大なる亡き大先生の意志を継ぐためにも、
主人の技術を大切に、治療院を大切に、できる事はやろう!と、
まさに今、改めて感じています(^^)