堺の刃物屋さんこかじです。
おはようございます。
今日は以前、堺の鍛冶屋(刀匠)が作り上げた日本刀を
写真を交えてご紹介します。
で、日本刀の話の前に、
堺刃物の歴史をザっとまとめました。
ザッとご覧下さい。
■5世紀頃
仁徳天皇陵の構築の際、
土を耕したり穴を掘るためのスキ、クワが大量に必要になり、
それを作る鍛冶職人が日本中から集められ、
堺に住み着いたところから始まります。
■平安時代
古墳時代に培った鍛鉄技術は、平安時代末期には刀製造に引き継がれました。
■戦国時代
堺は自由都市として栄えていました。
ポルトガルから種子島に火縄銃が伝来し、それが堺に持ち込まれ、
優れた鍛冶技術によって生産され、日本有数の火縄銃の生産地になります。
織田信長が愛用した火縄銃も堺製だったとか。
■江戸時代
戦う必要が無くなった江戸時代、火縄銃は実用品から装飾を楽しむ美術品として
変遷していきます。
その頃ポルトガルから持ち込まれたタバコが広まり始めました。
同時にタバコの葉も栽培されるようになり、
その葉を刻むための包丁を堺の職人が作り始めました。
この堺製包丁は非常に良く切れて長持ちしたため、
江戸幕府から認められ専売品として『堺極』の刻印で日本全国に流通しました。
■現代
タバコの生産が機械化されたことでタバコ包丁は必要ではなくなり、
それまでタバコ包丁を作っていた職人は以降料理用の包丁を作り始めました。
堺刃物は他産地と違い、分業制(鍛冶、刃研ぎ、柄付け)です。
そのためそれぞれの職人がその分野で卓越した技術を持ち、他産地に無い
高品質な包丁を作ることができます。
昭和57年、その高い技術が認められ堺打刃物(さかいうちはもの)は
伝統的工芸品に指定され、日本のみならず世界中から求められる存在となっています。
長くなりました。
意外と古い歴史があるということがお分かりいただけましたか?
まさかの古墳時代に始まるということだけ薄っすら覚えていただければと思います。
で、鑑賞した日本刀は、
水野鍛錬所が作った一品です。
毎年学生横綱に寄贈するそうで、
あの白鵬にも寄贈したことがあるそうです。
日本刀については詳しくありませんが、
お相撲さんが持つので少し大振りだそうです。
本当は作法として、息がかからないようにハンカチ等を口にくわえるようですが、
そんなことも知らずに拝見。
なんとも美しい一振りでした。