誤審 (続き)

(nanoblock作品「浦和レッズエンブレム」)
以前書いた「誤審」の続きです。
あの浦和レッズ 対 湘南ベルマーレ 戦で起こったゴール取り消しの誤審ですね。
前のブログでいきさつ等は書きましたので、今回は割愛します。
今回は誤審と、ビデオ判定システム、ゴールラインテクノロジーの導入について。
大きな誤審があると、サッカーにおいては、ゴールラインテクノロジー、あるいはビデオ判定システムの導入が検討されます。
確かに、テレビ観戦していて、明らかにおかしな判定がある事で、テレビでは何度もリプレイしますし、見ていると、審判のミス以外のなにものでも無い事がわかる事がありますよね。
普段はスタジアムで見ているとそこまではわからないんだけど、今回はスタジアムの観客にも誤審がすぐにわかるような事例で、本当に珍しいです。
で、やはり「ゴールラインテクノロジー、ビデオ判定を導入して、誤審を無くそう。」と言う声が大きくなるのは当然の流れでしょう。
ヨーロッパの幾つかのリーグでは、既にビデオ判定システムを導入している所があります。
で、どうなったかと言うと、莫大なコストをかけて導入したビデオ判定システムを確認した審判の最終判断をめぐって、やはり誤審騒動が起こったりしています。
湘南の事例のような極端な例は逆に判断が明白なんですが、「ペナルティエリア内でのハンドリングのファウル」と言った微妙な判定は、かえって物議を醸す事になったようです。
ルールのハンドリングの規定は『「故意に」手を使ってボールをコントロールした場合』です。
なぜなら、手に当たった事を全てファウルにすると、攻撃側の選手がわざと守備選手の手を狙ってボールを当てる行為が正当化されて横行するからです。(最近ルールから「故意に」を外す動きもあるようですけど。)
攻撃側の選手がゴールではなくて、ひたすら相手の手を狙ってボールを蹴る試合が面白いはずがありませんよね。
そのため、「故意に」の文字が入っているんですけど、「故意に」の判定は人の心の問題なので、ほぼ判定は不可能です。
プッシング(相手の選手を手で押す)、キッキング(相手の選手を蹴る)も同じように「故意に」か「必要以上の力で」の時に初めてファウルとされます。
で、熟練者の審判ならば、その時の状況、選手の位置、顔の向き、表情等の状況証拠から、「故意に」とか「必要以上の力で」の判断を下す訳です。
この判断は、当然間違え易いですよね。でも、ビデオ判定しても、状況判断ですので本当の所はわかりませんね。それで、やはりトラブルになる場合も多いんです。
この時、審判の判断をとにかく受け入れる事が、試合を進める唯一の手段となります。
ビデオ判定導入によって、頻繁に試合を止めてビデオ判定をしていると、サッカーの試合はうまく試合になりません。(そういうシステムを導入して60分の試合時間が3時間位かかるアメリカンフットボールもありますが。)
イングランドリーグは、世界一収益をあげているリーグですので、勿論コストの話ではなくて、サッカー発祥の地だから、サッカーというスポーツの理念の問題でビデオ判定を導入していません。
元々、発祥の頃サッカーには審判もいませんでした。
ではどういう風に試合を進めたかと言うと、両チームがその都度話し合ってルールを決めていたんですね。(極端な例だと最初はポールが丸いと決まっていませんでした。手でポールを触っても良いと決まった事もありました。で、楕円形のポールを使った手でボールを触って良いゲームが独立してラグビーになりました。)
判定が食い違えば、双方が納得するまで話し合う。
しかしそれでは面倒だから、審判という第3者を立てて、判断してもらう訳です。
双方の意見が食い違っても、審判が判断したら、双方がそれに従う事にしました。
これがサッカーのルールの根幹です。
「ハンドリング」だとか、「オフサイド」とか、そんなのは「審判に従う」ルールのずっと後から出来たルールです。
サッカーのルールは、ほぼ審判が判定する基準のようなものしかありません。実際、やってみるとわかりますが、サッカーは選手がルールを知らなくてもプレー出来ます。審判に従うだけで良いんです。選手が間違えたら審判が指摘してくれます。(勿論知っていた方が試合は進めやすいでしょうけど。)
選手や監督やその他の人は「審判の判断に従う」のが前提だから。
極端な話、ルールブックと違う判断を審判がした時でも、選手、監督、観客その他は、「審判の判断に従う」のがルールです。
(たくさん間違う審判の処罰が話題になりますが、実際はJリーグは世界的にもかなり厳しいんです。毎試合審判は査定されていて査定に通らないと次の試合は担当させてもらえません。ただ、誤審かどうかは、審判委員会の基準は一般の人とは違っています。むしろもっと高度で難しい判断を要求しています。だから誤審だとみんなが思っているケースが、ルール上誤審では無い事がかなりあります。その辺りはもっとアピールした方が良いんですけど、メディアはまず取り上げてくれないし、ネットも興味無いみたいだから難しいでしょうね。)
浦和 対 湘南の試合も、文句は言いましたけど、全員が「審判の判断に従い」ました。ここは両チームの選手スタッフは称賛されて良い所だと思います。
審判の判断に従わなかった人は退場、あるいはそういう人が続出したら、試合は中止して、没収試合となり、記録から除外されます。
これには観客も含まれます。審判が観客をスタジアムから退避させる判断をしたら、観客は従わなくてはなりません。
とにかく白黒付けられる状況ばかりでは無い事が多いので、とりあえず折り合い付けるのが、審判の一番の存在意義ですね。
という事はビデオ判定は大いに補助にはなりますが、審判の代わりは全く務まりません。
将来、AIで選手の心の中まで踏み込んで、更に今後の試合への影響を踏まえて判定するシステムが出来れば違って来るかも知れないですが。
しかし、AIまで導入して厳密さを追及するより、鮮やかなプレー、見事なシュート、優れたボールコントロールを楽しむのがサッカーの楽しみだと思うんですよね。イングランドリーグはそちらを選んでいます。
マラドーナは厳密にはワールドカップでハンドリングのファウルをしましたけど、あのハンドに至るまでのプレーは、天才の嗅覚で生まれた素晴らしいポジション取りと、味方の選手の素晴らしい判断でマラドーナに送られた寸分違わないボールコントロールによって生まれました。
審判がマラドーナのゴールをうっかり認めてしまうだけの素晴らしいプレーの連続があってこその誤審でした。
世界のフットポールファンは、そこに感動を覚え称賛を送るのであって、ゴール前で単にハンドして得点し、勝った事だけでは、こんなに歴史に残るゴールになるはずがありません。
当時の相手イングランドの選手スタッフも抗議はしましたが、最終的に審判の判定は受け入れました。
その当のイングランドはビデオ判定を導入していません。ワールドカップであんなに悔しい事があっても。
残念なのは、湘南の誤審は、湘南のプレーが素晴らしく美しい物であったにもかかわらず、取り消される結果になった事です。
そういう事も世界のサッカーでは時々あります。それで、素晴らしいゴールが取り消されると、幻の美しいゴールとして、語り次がれ、伝説となります。
そこにこそ、サッカーの本質があると思うのですが、そういう部分に光を当てた議論がなされる事が、日本のサッカーがもっと強くなる一歩だと思うんです。
難しい話だとは思わないんですけど、数字には現れない素晴らしいものがあります。
一つのゴールは数字では「1」ですが、その瞬間、何万人が立ち上がって叫ぶほどの感動があります。
そこに楽しみがある。
スポーツは試合を最初から最後まで見て初めて、その「1」の凄さが伝わるんです。
試合結果の「浦和 2-3 湘南」の文字では決して味わえない、多くの感動があの試合にはありました。両チーム合わせて5です。2、3、5からは何の意味も汲み取れませんけど、あの試合を見た人には、感動と意味のある数字です。
何度もこの話をブログに書いているのはそのためかも知れません。
長文になりました。読んでいただいた皆さんありがとうございます。
sakagi keiichirou ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー