俳句の読みの1つの理想は以下のような正岡子規の読みです。子規は「甘酒屋打出の浜に卸しけり」(松瀬青々)を河東碧梧桐が賞讃している記事を見て不審に思いました。まず、「卸しけり」の意味が分からない。で、碧梧桐に尋ねると、荷をおろしたという意味だという。でも「卸し」で荷をおろすは無理だと子規は思います(ボクも賛成)。それはさておいて、この句の初句が「甘酒屋」である意味を尋ねると、そこがこの句の見どころだと碧梧桐。子規はいろいろ考えます。そして、「甘酒屋と初めに据ゑた処を手柄であると思ふうやうになつた。」甘酒屋と初めに置いたのは、小説の主人公を決めたようなもので、「一句の主眼を先づ定めた」のだ。そのことに気づくと、この句は千両役者が舞台の真ん中にいる感じになってきました。「甘酒屋」で主人公が登場し、「打出の浜に」で場所が決まり、「おろしけり」で主人公の位置が決まる。と、このように読んできて、子規はこの句を「古今に稀なる句」と感じるようにまでなりました。

 読みながら当の読者も変わってゆく。これが俳句を読む魅力ではないでしょうか。今日の子規の読みは「病床六尺」に出ています。