緑陰で「あなたが好き」と言われたとします。愛の告白かも。でも、実際の緑陰の談話では、何人かの人物の比較が行われていて、発話者は強いていえば「あなたが好き」と言ったのです。しかも、話し合っていたのは母と子でした。以上のこと、「あなたが好き」から連想するのは無理かもしれません。話の場の状況はそこにいた人にしか分からないのが普通です。

 「あなたが好き」という表現は、逆にさまざまな連想をさせます。たとえば

   緑陰に三人の老婆わらへりき 西東三鬼

を連想する人がいるかも。3人の老婆の会話の中で「あなたが好き」という発言があって老婆たちが笑ったのです。

 私は何を言おうとしているか。俳句などの短い表現は意味を一定にしがたい、つまりとっても分かりがたいということです。ただし、その場ではとってもよく分かるのです。「うん」「そう」「はい」「ええ」「こっち」「向こうかな」「うまい」「好き」「いや」「ふーん」…。こんな語だけで会話して、それで十分に意が通じる場がありますよね。でも、場を離れて客観的にそれらを見ると、これはもう難解そのもの。極端に短い表現(俳句も)はつねに以上のようなものです。

 さて、三鬼の句、これは名句として知られた作です。どうしていいのでしょうか。緑陰と笑う口がなんとなく通じているからだ、と私は思っています。その不思議さ、不気味さがこの世の存在感まで感じさせる? やや深読みですが、深読みをさせるのも短い表現の特色です。