街燈は夜霧にぬれるためにある 白泉

 

 この渡辺白泉の句(昭和10年)も街燈という語によって発想している。この発想による句には有名な「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(昭和14年)があるが、これは俳句というよりも自由な一行詩、あるいは川柳と見るべきだろう。窓秋の山鳩の句や白泉の街燈の句はかろうじて俳句(一応季語がある)だが。もちろん、無季の俳句が存在することは承知だが、無季句は俳句としてはたいていがつまらない。575の言葉にふくらみを欠き、言いたいことが生で出てしまいがち。というような意味で、新興俳句における無季句の実践は失敗だった。