近代俳句の主要な舞台は雑誌、新聞、色紙(短冊)、句碑でした。現在、これらの時代が終わろうとしている、というのが私の見方です。結社誌も角川書店「俳句」などの商業誌も、今では俳句という表現の切っ先(先端)を担っているとは思えません。新聞俳壇はとっくにアマチュアの趣味の場になっています。色紙や句碑はまさに時代遅れのしろものです。と言いながら、私も新聞や雑誌を主な舞台にして活動しているのですが。
 では、新しい俳句の場はどこにあるのでしょうか。インターネット? いや、そうとも言えないような気がします。もしかしたら句会が一番可能性があるかも。もちろん、その句会とは、リーダーがいて句をめぐって議論の弾む句会です。先生(主宰者)が一方的に指導する句会ではありません。メンバーが相互に切磋琢磨する句会です。そんな句会から新しい俳句が芽生える気がします。
 写真は「俳句」(角川書店)の今月号です。三橋鷹女を特集していて三宅やよいさんが書いています。ぼくも取り合わせについて書きました。取り合わせは作者もびっくりする「自在で軽やかな言葉の世界を開く」というのが私の見解であり体験です。