ワンピース洗う晩夏の匂いごと  芳賀博子

 

 「ため息をつけば百年ずつ老いる」「人生にときどきふってわくメロン」「ぜんぶさわろうハワイまで来たんだし」「厄介な翼が生えてくるお酒」。たとえばこれらは川柳だと思う。発想というか見方がはっきりしていて一義的、すなわち意味がほぼ一つである。うまいこと言うなあ、と読者が思ったら、その川柳は成功している。

 私の場合、ため息一つは百年、メロンは人生にたまにある幸運、などという見方(発想)にあまり感動しない。そんなものだろう、とは思うのだが。でも、そんな川柳の中に掲出のような句があると勝手に連想がふくらむ。晩夏のワンピース物語を紡ぐのだ。このワンピースの句などは一義に収束しないというか、多義へ開いている。つまり、私などの思っている俳句にとっても近い。

 川柳を作る多くの人は一義の面白さを楽しんでいるだろう。そんななかで、芳賀さんのような人はときどき一義に反抗している。あるいは、源川柳に戻ろうとする。源川柳とは妙な言い方だが、要するに俳句と川柳の未分化状態だ。それはたとえて言えば短い表現のマグマ状態である。

 今日の川柳は芳賀さんの川柳集『髷を切る』(青磁社)から。2018年に出た彼女の2冊目の作品集だが、伝統や季語の命などをたいそうに重んじるそこらの俳句集よりもはるかに面白い。言葉が今を生きている。