先日、イメージの始原性ということを話題にした。美術史家の木村重信は『人間にとって芸術とは何か』(新潮選書)で以下のように述べている(82頁)。

 「とかくわれわれは、形象は観念のシンボルであると考えがちである。しかしシンボルはイメージのつくるものであって、論理的な認識からうまれたものではない。つまり形象は観念のシンボルではなく、むしろ想像力の産出するイメージから観念が抽象されたという意味において、観念こそ形象のシンボルなのである。原始人は特定の事物を模写したのではなく、また現象の背後にある観念を単に絵画的にアレゴリーしたのではない。かれらはイメージの働きによってシシンボルをつくりだし、それによって内的世界と外的世界にかかわる内容と意味との関連づけをおこなったのである。」

 飛躍した言い方をするが、俳句もイメージの始原性で際立つ。片言性を発揮できたときである。加藤楸邨の名句「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」などがその例。この句、始原性としてのイメージがあざやかだ。