サイゼリヤ(閉店) -3ページ目

サイゼリヤ(閉店)

グラスワイン100円

・四女神オンライン

今更だけど、四女神オンラインはゲーム内ゲームというちょっとしたメタ構造を持っている。
シリーズでおなじみのキャラクターたちが架空のオンラインゲーム上で遊んでいるという設定で、実際のアクションゲームは架空のオンラインゲーム上で行われる。つまりプレイヤーが操作するのはオンラインゲーム上のキャラクターなので、操作関係に注目して
  <プレイされているゲーム> ← <プレイしているプレイヤー>
という形でプレイ関係を書き出すと、設定上は
 <架空オンラインゲーム>←<ゲームキャラクターたち>←<現実のゲームプレイヤー>
であるのと同時に、実際のプレイとしては
 <架空オンラインゲーム>←<現実のゲームプレイヤー>
 という構造も持っている。

<架空オンラインゲーム>基準で見るとゲームキャラクターたちと俺が同じレイヤーにいることになって、今四女神オンラインを遊んでいる俺はネプちゃんを操作しているのか、ネプちゃんになっているのか混乱してくる……というのはまあ言い過ぎなのであって、メタ構造に踏み込むような根性のあるゲームではないので「それらしいギミック」は特にないだろう。

 
ゲーム内ゲームという構造を用いることでプレイヤーの階層を一段下げるという発想のデモは俺も前に大学の演習で作ったことがある。
PS3コントローラから自分の手の動作を取得・計算してPC上に複製するというもので、Unityで作った。大学で作って良かったと言える唯一の成果であり、俺はこれをとても気に入っている。何かあるとすぐにスマホで人に見せるので俺に見せられたことがある人もいるかもしれない。ゴチャゴチャした説明をする必要がなく、デモの動画を見せれば一発で趣旨が伝わるのがイイ。
 
その動画を貼ろうと思ったのだが、動画はスマホからしか投稿できないらしいので、とりあえず当時書いて東大に提出したレポートの該当部分でも載せておく。
(追記:スマホから動画投稿しました あとでちゃんと記事にします→http://ameblo.jp/saize-lw/entry-12259858644.html
四女神オンラインの話に戻る。

今四時間くらいプレイしているが、アクション部分の出来があまりにもキツい。正直言って専門学校レベルで、今までのシリーズはコマンドバトルだったから誤魔化せていたんだなと痛感した。

さっきUnityの話をしたのでUnityの話から入るが、今時素人でも3Dアクションゲームを作るのは難しくない。優秀なゲームエンジンであるUnityが無料公開されており、解説本も大量にあるので、適当な地形の上で適当な雑魚敵を適当なキャラの適当なパンチで倒す程度のものは三日もあれば作れるはずだ(さっきのデモはUnityとjavascriptで作ったが、俺も両方全く知識のない状態から無料で作った)。
アクションゲームの定義がアクションするゲームだとすればそれだけでもアクションゲームを作ったことになるし、PS時代はそんなもんだったような気もするのだが、そうやってぺちぺちと叩いて敵を倒すゲームは全く面白くない。クオリティが低いというレベルではなく、根本的に戦闘「体験」というより刺身にタンポポを乗せるのと同種の「作業」なのだ。
パーティクルやディレイのような時空間的エフェクトを付けていかなければとてもバトルゲームにはならないわけだが、考えてみればこれは少し不思議な話だ。何故ならリアルにはSEも集中線もないわけで、何もつけていない状態というのはいわばリアルそのままだというのに、それでは没入できないというのはどういうわけか。
 
一般論からは一旦離れて、ディレイというエフェクト(技がヒットしたときや回避したときに画面がスローモーションになるやつ。これがあると動きにグッと重厚感が出てくるが、技術的には意外と難しいのか、素人のゲームに入っていることは少ない印象がある。四女神オンラインにも実装されていない)に注目したとき、それが果たす効果の仮説を二つ挙げてみる。
 
 

動画をアップする方法を調べたりレポートを引っ張ってくるのに結構体力を使ってしまったので次回に続きます(前回の次回予告分は次回以降)。

・昨日の続き

色々考えたのですが、結局「白米を食べ続けるのはきついが唐揚げを食べ続けるのはうまい」くらいの話でしかないのでこのまま畳みます。

 

・けものフレンズ

逆張りオタク丸出しの発言でアレなんだけど、作品単体として別にそこまで面白いアニメではないと思う(11話は普通にかなり面白かったけど、10話以前から大人気だったのでそれ以前に書いたテキストですということにしてもいいだろう)。

やっぱりSNSの力で実世界を巻き込む形で盛り上がったのが大きいんじゃないか~と思ってしまうわけで、ここで言う巻き込みというのはもう少し細かく切り分けると

 

1.バンドワゴン効果

2.愛着効果

 

の二つを指す。

1のバンドワゴン効果というのは、めだかちゃんの選挙編で出てきたアレで、人気があるから人気が出るというやつ。正しいかどうかはわからないが、「Twitterで話している間に次回が楽しみになる」「話に付いていくために見てみる」というようなコミュニケーションツールとしての効果もここに入れてしまおう。
2の愛着効果というのは、SNS上で二次創作が盛り上がった結果、個人の中で主にキャラクターを中心に親近感が醸成されていくこと。SNS(他人との接触)を介して強化されるのは1と同じだが、1はコミュニティ単位の現象であるのに対して、2はあくまでも個人の中で起こる現象という点で異なる。無数に流れてくるサーバルちゃんの創作イラストを見ているうちに、画面内のサーバルちゃんを見る目が(仮にサーバルちゃんの創作イラストが全く流れてこなかった場合に比べて)より優しくなってくるというようなことが起きるはずだ。
これはKSU聖典の一つであるファスト&スロー↓

の中で指摘されていた認知バイアスの一つ、名前は忘れたが「長く目に触れた商品は(実際に効果に関わらず)ただ記憶にあるというだけの理由で他の商品よりもよく見える」というバイアスと同じような現象だと思う。

いわゆるスターシステムのメリットも同じように説明でき、内容が全く同じ漫画だったとしても、新規のキャラクターが出演している場合と、他の作品で親しみあるキャラクターが出演している場合では後者の方が面白く感じることが多いはずだ。

 

ところで、バンドワゴン効果も愛着効果も現実的には実証が不可能である以上、本当は作品としても面白いのに、俺が「逆張りオタクバイアス」によって邪推をしているだけという可能性もある。この辺の検証可能性は自然科学の検証可能性とも結びつけることができて~という話を書こうと思ったが、もはやけものフレンズに全く関係ないトピックなので次回以降に回す。

 

・四女神オンライン

ニーアオートマタが終わった(後で感想を書く)ので積んであった四女神オンラインを始めた。

(正史では)今作からバトルがコマンド制からアクション制に変わっているのだが、PS4になっても画面は相変わらずPS2並みで、あのプラチナゲームスの手によるニーアオートマタの直後に触ると、あまりの貧弱さに動かしているだけで笑えてしまう。
一応気持ちだけ擁護しておくと、PSシリーズのマシンパワーがどんどん上がっていく中で、リアル路線ではなく萌え路線のゲームでどういう3D描画がベストなのかをまだ業界全体で掴み切れていないのではというところがある。不気味の谷的な話(今日二回目のめだかちゃん)もあるし、背景で葉を一枚一枚描写したり丁寧に砂埃のパーティクルを付けたりするのでは、ポップな雰囲気の萌えキャラとのギャップで気持ち悪くなってしまうのかもしれない。
この辺の話は単純なキャラデザからモデリングの動作まで色々な話に派生できそうなので、次回以降に改めてするかもしれない。
 

・情報発信リスクの話の続き

 

今この本を読んでいる途中。時代的に東浩紀の動物化するポストモダン2より後の本であり、それの引用が多く出てくる。

俺は動物化するポストモダン1は読んだが、2はまだ読んでいない。これには深い理由があって、動ポ2は内容の都合上、色々な作品のネタバレを含んでおり、その中にはEver17もある(たしか動ポ2のまえがきだか目次だかにネタバレへの警告項があり、そこでネタバレ作品リストが確認できたはずだ。これは感心な態度だが、動ポ1の時点では無警告でYU-NOのネタバレをするという罪を犯している)。積みゲーの中にあったEver17だけはプレイしてから読もうと決めたのだが、そのEver17がつまらなすぎてまだクリアできていない。あまりにも苦痛なのでトゥルーエンドへの最短ルートを印刷した紙を左手に持ちながら右手でPSPを起動するという、普段なら絶対にやらない禁じ手のプレイスタイルを使っているにも関わらずである。

この話は明日に続く(いつか書くかもしれない話は「次回以降書く」、次確実に書く話は「明日書く」「次回書く」と言うことにします)。

・昨日の続き/ガヴドロとメイドラゴンの感想

 

・関係性について

人間関係が豊富なほど類型化していない傾向があるとは言ったが、だいぶアバウトな傾向なのでそうとは限らないことも多い。スクフェスのストーリーなどは例外的に悪い例で、確かに色々な組み合わせで会話は行われるものの、紙ペラのように中身のない取って付けたような話しかしないので類型度が低いとは感じない。
 
ガヴリールドロップアウトでは、1話を見た感じではサターニャとラフィエルが見るからに固定カップリング的(そもそも二人のキャラクターの起源が共依存的である)なのでこの二人は常にセットで出てきてコメディをやるんだろうなあと思っていたのだが、直後にヴィーネとラフィエルの関係を掘り下げる回をやったので見直した記憶がある(類型度が低い)。
 
関係性という部分ではメイドラゴンの類型度が低いとは感じない。トールと小林さんの関係はテンプレートのお手本で、特に見るべきところはない(小林さんが女性であるということを除けばだが、小林さんが女性でならなければならない理由はたぶん別のところにあり、どう見ても役割は男性的なので今は深入りしない)。作品の中核を成すドラゴン勢の人間に対する価値観は独特だが、これは特定のキャラクター同士の間の関係というよりは社会全体に対するスタンスと言った方が適切なので、キャラクターの特徴に括って語った方がいいだろう。
 
・キャラクターについて
キャラクターの類型度の評価について、客観的な指針を立てるのはとても難しいような気がする。

例えばいわゆる「属性」は明らかに類型的な要素だが、これを持って類型度を測定するのには大きな問題が二つあり、本当に類型的でない性格など描きようがない(現実的に、性格を設定した時点で既存のどれかの属性には該当してしまう)というのが一つ、逆の属性を併せ持ったとしてもなおそれらがまとめて類型の一つとして吸収されてしまうことが珍しくないというのがもう一つだ。

前者は読んだままわかると思うので、後者について補足する。ラブライブ二期で星空が女の子らしい服を着て喜ぶような回があったはずだ。これはボーイッシュで活動的という今までフィーチャーしてきた属性に、ガーリッシュでピュアピュアな面もあるという正反対な属性を付けてみせたわけだが、だからといってこれを「パターンから脱している!」と感じた人はあまりいないと思う。ボーイッシュなキャラが胸の奥底で女性的なものに憧れているという設定はありふれている(ラブライブ二期ではこういう構造の掘り下げが多かった。意外にも勝負に弱い園田、意外にも乙女な面を持つ東條……)。こういう、「○○であるが故に正反対の××に対する欲求を持つ」というタイプの、属性だけ見れば完全に矛盾した内面ですらも類型的である以上、もはや何を設定しても抜け出せない。

テンプレの話をしているのに属性の話が出来ないということになってくると、いよいよ何を判断基準にすればいいのかわからなくなってくるので、ここは順序を逆にして、感想を書きたいアニメについて探りを入れてみる。

 

まずメイドラゴンについて、類型度の低い順にメインキャラを並べると

トール<ファフニール<<ルコア<一角獣みたいな人<カンナ

(※「低い順」なので不等号がちょっと不自然だが、トールの類型度が最も低く、カンナの類型度が最も高い)

トールの魅力(ひいては作品全体の魅力)は彼女が本当に登場人物を殺害する心持ちで生きているところにある。トールが発するギャグではない「殺すか」を聞くたびに、彼女のオリジナリティをひしひしと感じて俺は嬉しくなる。それに対して、カンナの「どのアニメにもいそう感」はすごい。カンナに限らず、年齢の低いキャラが一度「子供枠」に収まってしまうとそいつの類型度は発散し、テンプレートな行動しかとれなくなってくるような印象がある。

 

ガヴリールドロップアウトではトールほど顕著ではないが、それでも多分概ね合意が得られるのではないかと思う程度には4人を並べることができて、

ガヴリール<ヴィーネ<ラフィエル≦サターニャ

の順番になる。サターニャは常に弄られ役でなければならないが、ガヴリールは何かを失敗するにしても成功するにしてもキャラからずれない懐の深さがある。ちなみに、全編を通して最も類型度が高いキャラは11話で出てきたメイド。

 

大雑把に言うとガヴリールドロップアウトは関係性、メイドラゴンはキャラクターの類型度が比較的低かったというのが中盤までのそれぞれのざっくりした評価だった。ただ、ガヴドロもメイドラゴンも、最近は猛烈にテンプレ的になってきている。特にガヴリールドロップアウトでは里帰り以降がアニオリらしいが、そこから本当に取って付けたような展開とキャラクターの連打で類型度は急激に上昇し続けていて、漫画家とアニメ会社の器量の差を感じてしまう。

 
アニメの感想は終わって、結局、類型度が高い/低いと俺の評価というか好き嫌いはどうなるのかという話をもう少し続ける。
原則的には類型度が低いと評価は上がる傾向にあり、それは見ていて退屈ではないからという理由なのだが、例外も結構あって、例えば、俺はラフィエルがわりと好きだ。
ラフィエルはサターニャに次ぐ類型的なキャラで、行動の自由度もさほど高くない。運動会回では珍しく困惑したり逆襲されたりしたが(この一時的な逆転はラブライブ二期の星空回と同じような反転までひっくるめた類型度なのではないかという話はあるが)、俺は二話くらいからラフィエルが好きだった。
 
えーところで、最近俺は

 

 

(有アフィ)

これを買った。買った漫画の感想も独立したトピックにする予定だったのだが、言おうと思っていたことが似通っているので今やることにする。

この漫画はキャラも展開も類型度はかなり高く、話もそれほど面白くない。のだが、こういう画風のこういうキャラ(主人公の梅衣堂ひよちゃん)↓

がどうしても好きなので、買わずにはいられなかった。
 
↑ガンガンオンラインで最初の数話と最新話が読めます(ノンアフィ)

このひよちゃんやラフィエルに対する評価の高さは明らかに類型度の高さに由来しているのだが、原則的には類型度が低い方が評価が高いということを言ったばかりである。
「基本的には退屈だけど特に好きなケースに限ってはあるとうれしい(好きだから)」というだけの話なのだが、この若干矛盾する様相が一本の数直線上にある本来は打ち消し可能な値が(何故か)共存しているタイプのものなのか、それとも独立した変数として二次元平面上にプロットするのが適切なものなのか……ということは次回に続く。

・タイトル

日付だけだとTwitter投稿したときに投稿できたのかできてないのかわかりにくいし、管理上も普通に不便なことがわかったので一応最大トピックの名前を付けようと思います。

 

・ガヴリールドロップアウトとメイドラゴンの感想

オタクコンテンツには「お約束」「テンプレ」が溢れている。

例えば、マクロには前に弱肉二式で取り上げた「成長もの」のような物語類型、ミクロにはお風呂回での女の子同士の胸のもみ合いなど、「まあだいたいこうなるだろうなあ」という作り手と消費者の間の了解の元で発生する表現・演出・展開。物語の外部から要請されているという点ではある意味でメタなベタ、ジャンルやメディアが潜在的に保有するコンテクストに過剰に沿っているという意味ではハイコンテクストな形態……など、言い換え表現はいくらでも思い浮かぶが、今回は類型的と言うことにしよう(ちなみに類型的という微妙な単語を選択したのは日本語の問題で、何かしらの概念についての文章を書くときはその概念を「○○性」「○○的」という形で記述すると色々と書きやすいのだが、「お約束」については適当な類語が他に思い付かなかった)。

 

さて、あるコンテンツについて類型度の評価を行う場合、それは作品に紐づけするべきなのか、消費者ごとに紐づけするべきなのか、はたまた時代に紐づけするべきなのかという問題がある。つまり、「ラノベアニメはテンプレ連打するし明らかに作品として類型的でしょ」というスタンスを取るのか、「俺は普段ラブコメを読まないからネギまを斬新に感じた」というスタンスを取るのか、「らきすたは『オタクもの』が少ない時代では斬新だった」というスタンスを取るのか。
話が混線しない限り別に何でもいいのだが、今回これから書く類型度の評価が消費者依存的になる、つまり俺の主観に依存することはどうしても避けられない。要するに、これから類型度の評価をするにあたって「俺はそうは思わない」と言われたときに「受け取り方は人それぞれだからね」以外の返しができないけどゴメンネ……ということを今伝えたかった。
ちなみにこの辺の命題の根拠をどう確保するかというスタンスは文理の違いに由来していると思っているのだが~という話を始めると今日の更新がそれで終わってしまうので、それはいつか気が向いたら書く。
 
ところで、魔法少女なんてもういいですからの話をするときにユズカの類型度が低いが故にリアリティが高いみたいなことを言ったか聞いたかしたような記憶があるのだが、それは「類型度が低い」=「フィクションのテンプレートに染まっていない」=「アンチフィクション的という意味でリアル」という連想ゲームによって口が滑ってしまったもので、せいぜい対義語が似たような領域を指しているというだけで、類型度とリアリティは本質的には別の概念のような気がする。
この辺の関係はまだよく考えていないので次の機会に。
 
類型度について一通り喋ったので、今回やろうと思っている評価の対象を分類する。
 
・関係性について
キャラクター同士の関係性における類型度について、キャラクター間でどのくらい自由な交流が許容されているかというのが一つポイントになる。あらゆるキャラクターの組み合わせについて会話が成立するか、人間関係を構築できるのか。算数で言うと、n人の登場人物に対して主人公を中心にしたn-1通りの人間関係しかないケースが最も人間関係が貧弱なパターン、対してあらゆる組み合わせn(n-1)/2通りの人間関係が存在する場合が最も人間関係が強力なパターンである。
「人間関係の自由度と類型度の関係を説明して見せろ!」と言われると、「人間関係が豊富なコンテンツではそれぞれの関係性がテンプレートに甘んじずにちゃんと考えられていることが多い……ような気がする」「逆に、やり取りをテンプレートに頼り切っているコンテンツでは自由に人間関係を張ることは難しい……ような気がする」というだけのかなりガバガバな理論なのだが、少なくとも日常系コメディにおいてはそれなりに適用できる……ような気がする。
 
疲れてきたので今回はここで終わる。


えー謝罪

昨日次回予告したから今日こそはガヴリールドロップアウトとメイドラゴンの感想を書くぞ!と思ったのに固有名詞までたどり着けませんでした……

・昨日の続き/ベルの定理

昨日の続きだが、日を跨いでまでA・Bという記号を使い続けるのは煩雑なので、Aを「統計的な確率」、Bを「試行的な確率」と呼ぶことにしよう。これは言葉のまんま解釈してもらえればよく、Aが何回か実験をして結果を見るという統計的な処理に由来すること、Bが1回の試行が持つステータスであることを意味する。
このとき、実証できるのは統計的な確率のみで、試行的な確率は便宜的に創りだされたものに過ぎないというのが昨日の内容だった。
 

本の感想を書くだけのつもりが気付けばいつもみたいに講義をしているので、むりやり普通のブログっぽい切り口で本題に入っていく。

その日は今から一ヶ月前くらいで、ドロシーを出す前に知恵の光を打つか打たないかという話でTwitterが盛り上がっていた。俺は事象と確率について昨日書いたような内容をなんとなく考えながら、時間が空いたので新宿西口のブックオフをぶらぶらしていた。
中高生の頃はブックオフに入ると漫画の立ち読みばかりしていたものだが、今はいい年をしてそんな乞食みたいな真似をするのはどうだろうと思って一般書コーナーに行くことが多い。単に年をとって一般書の方が面白く感じているだけかもしれない(どうしても気になる漫画があるときは立ち読みすることもある)。
最近は頭が錆び付かないように定期的に理系っぽい一般書(とはいっても、図解雑学シリーズみたいな本当に一般向けに書かれたふわふわした本を読んでも仕方ないので、マクスウェル方程式程度のレベルのものは普通に出てくるくらいが望ましい)を読むことにしているので、俺はとりあえずサイエンスコーナーに向かった。
サイエンスコーナーで俺は量子力学の反常識と素粒子の自由意志という本を発見し、昔量子論の講義を受けたことを思い出した。この辺のことをちゃんと話すとまた三日くらいは講義をしないといけないので省略するが、量子的世界では本質的に試行的な確率による振る舞いが存在することが証明されているのである(※誤解を防ぐため、既に量子力学について造詣が深い人は後ろの補足を読んでほしい)。
その本の中身を見ると、思い出したところのベルの定理についての解説が載っていることがわかった。そのまま買おうかとも思ったのだが、値札を見ると950円で高すぎたので、俺はスマホを取り出して地元の図書館のHPから資料を検索した。無かった。別の区から取り寄せることもできなくはないが、面倒な上に時間がかかるので泣く泣く購入した。
で、読んで考えたのだが、結局、ベルの定理によって証明されたところの試行的な確率による振る舞いというものの実証には、統計的な確率の考え方が使われているような気がする。
なんというか、同じような単語を使ってはいるが、指しているものが違う。ベルの定理が「事象が統計的な意味ではなく試行ごとに確率的な振る舞いをすることを示す定理である」という言葉尻だけを捉えると、俺の話と関連があるような雰囲気があるが、よくよく考えると、俺が名付けたところの試行的確率と統計的確率の区別をしているわけではない。ベルの定理で言う「確率」の対義語は「設計図」「完全対応」であって、二つの確率は峻別されているわけではなく、依然として同じ岸に位置しているような気がする。
この話がよくわからない理由は二つあって、ちゃんとした解説をしようとするとまたしばらくこの話題を続けないといけないから適当にしか解説をしないことにしようと思っているのに、話を要約できるほど俺がよくわかってないので、相乗効果でよくわからなくなっている。
よくわからんし、この話はこの辺で切り上げることにする。
普段ならなんとか考え抜くのだが、ここはサイゼリヤなのでドリンクバーに行って戻ってきたらアニメの話をしているくらいでいい。
 
※補足
えー勘違いしないでほしいのだが、昨日から話しているようなデッキトップや天気の話に量子力学的な世界観を適用しようと考えたわけではない。マクロ系を量子力学で語るのはチェーンソーで料理をするようなもので、ナンセンスな上に意味がないからだ。昨日も今日も、対象とする系については古典力学的な世界観でよい。
量子力学を持ち出したのは、単にベルの定理がどのように試行的な確率に言及したのかを知りたかっただけで、それ以上でも以下でもない。言い換えれば、思考の枠組みを流用できるのではないかと考えただけで、物理系としての性質を適用しようと思ったわけではない。念のため。
 

・猥雑

↑の一行目の煩雑って書くところでこれって猥雑でもいいのかな?って調べたらよかったっぽい。猥雑って「下品でみだら」の意だと思っていたんだけど、煩雑と同じ意味=「ごちゃごちゃしてわかりづらいこと」でも使えるらしい。

 

・次回予告

初っ端だし本のレビューをしようと思ったら全然まとまらない意味不明な話をしてしまったので、次回はなんかアニメの話をしようと思います。