闘病記② | リコーダー吹きの休日Recorderist's Holiday

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リコーダー奏者の斎藤夕輝です。
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闘病記①の続き。

今回は自分のクリスチャンの部分が強いから、嫌な人はスルーしてくれていいし、読んでくれる方は、「クリスチャンの中には病気するとこんな事考える人もいんのね」くらいに思ってもらえると嬉しい。

(※)で書かれたところは後年の後書き






闘病記②(2018?)

ー学びー



それじゃあ記念すべき一つ目。

自分は昔から’’休む’’という事が大の苦手で、いつも何か努力をしていなくちゃいけないという強迫観念のようなものがあったんだけど、何も出来ない体になった事でそういう自分を見つめ直す事ができて、人の為にしているつもりだったのが頑張る事自体が目的になってしまってた事や、人の為に何かをするには休む事も大切だという事や、何よりも、そもそも生きる事は人の為じゃなきゃいけない訳でも何かになったり何かを成し遂げたりしなきゃいけない訳でもなくて、まずは生きていればいいんだって事に気付けて、以前より楽に生きられるようになった。


2つ目。

人の助けを借りる事も同じぐらい苦手だった自分は、そうせざるを得ない状態になった事で人に助けを求められるようになって、将来自分も困ってる人の助けになりたいと強く思うようになった。

(※これに関しては、今となっては逆に、散々人に迷惑かけたから尚更助けを求めにくくなっちゃった(笑) だけど人の助けになりたいって気持ちは変わってないよ。)


3つ目。

聖書には「あなたの道を神に委ねろ」ってあるんだけど、そういう意味では100%委ねられるようになった。

それまでも、鬱病になった事で''委ねる''って事は学んでたんだけど、目も耳も指もまともに使えなくなって、体もほとんど動かせなくなって、もちろん身体の回復のために自分が出来る最善は尽くしていたけれど、気持ちの面で出来る事と言えば、委ねるという事だけだった。

それと、たとえ目が見えなくなって耳が聞こえなくなって体が動かせなくなったとしても、委ねるって事だけは出来るって事も学べた。

(※今となっては、委ねるも何も、そもそも見る、聞く、委ねる、そういう能力は全部ただその時々に貰ってるだけなんだと思うようになっている。)


4つ目。

何も出来なくなったって言っても、その時々で少しずつだけど何かしら出来る事があって、それを通して向上した能力がいくつもあった。

例えば、自分は一応リコーダー奏者なんだけど、タンギングっていう舌を使ったテクニックが昔から苦手で、だけど目と耳と指が使えなくなった事で、やれる事はタンギングの練習や研究ぐらいだって状況になって、結果大幅に進歩した。

それまで10年以上どんな練習をどんなにしても出来なかったから、ほとんど奇跡的と言いたいほどだよ。

もし目や耳や指が使えてたら、テレビや読書みたいな楽な方に走っちゃって、そこまで練習する事は絶対に無かった。

そういう事が他にいくつもあった。

話はちょっと逸れるけど、もし目を痛めてなかったら、気を紛らわす為にずっと携帯やテレビを見てしまって、ただでさえ近視の強い自分の目はどうなってしまっていたか分からない。

おかげで視力は闘病前とほとんど変わってないよ。


それから、普通の生活をしていたら始めてなかったであろう、闘病したからこそ始めた事もあった。 

昔は詩がそんなに好きじゃなかったのに、辛さを吐露するために書き始めたら読むのも書くのも好きになって、それと体調を紛らわすために子供の頃ぶりに絵を描き始めたら、それまで好きじゃなかった絵画鑑賞も好きになって。

他にもいくつかあって、おかげで人生の楽しみが増えた。

この経験をして思ったのは、自分で実際にやってみて初めて、その良さが分かる事が多いなって事。


つまり、能力が上がったって話。(楽しめるってのも能力の一つだよね?)


5つ目。

闘病を通してでしか触れられない沢山の人の温かさに触れた反面、ハッとするような冷たさにも触れる事があった。

それから、闘病初めの頃は、人恋しさから空いた心の隙間を埋めようと、携帯を使って外部の人との連絡に固執してたんだけど、目も指も喉も使えなくなってそれが出来なくなった事で、人への依存が無くなった。

こういう事から、他人は’’何かを期待する対象’’や’’依存する対象’’では無くて、’’思いやる対象’’なんだと思うようになって、以前よりも冷静に他人の事を想えるようになって、そして人に寄り添える人間になろうと決心する事も出来た。


6つ目。

「食べられるだけで幸せ」「布団でゆっくり寝れるだけで幸せ」とか、前よりも色んな事の有り難みが分かるようになって、幸せを感じる事が多くなった。


7つ目。

カッコつけ過ぎかもしれないけど、この世に未練が無くなった。

闘病前から、この世の栄誉に価値が無いとは思ってたけど(映画''ニューシネマパラダイス''を見て特にそう思った)、それでも心のどこかで演奏家として成功したいという思いや音楽仲間の活躍に嫉妬する気持ちがあった。

だけど栄誉とはかけ離れた状態になった事で、そういう事を冷静に見る事が出来るようになって、自分がやるべき事は栄誉を追い求める事や思い煩う事じゃ無くて人を思いやる事なんだって事と、栄誉=幸せでは無いって事を再認識できて、おかげで仲間の事を前よりも自分の事のように思いやれるようになった。

それから、人にはそれぞれの人生や価値観があるって事を身を持って感じる事も出来たから、世間の価値観に流される事無く、肩の力を抜いて生きられるようにもなった。

人とほとんど関わってなかったのに人の事を学べたって面白いよな。

やりたい事が出来なくてもどかしい事もあったけど、「天国含め時間は永遠にあるんだからゆっくりやればいい。今はこの世にいる間にしか無いであろう''苦しみ''を味わってやろう。」と大きく構えられるようになったのも良かったな。


次何問目?

8問?目。

前回書いたけど、寝返りがうてない程の激痛に悩まされた自分は、それは丁度痒みが少し落ち着いてきた頃の事だったから、この時ばかりは忍耐の尾が切れ、一時期に心が荒んだ。

だけどこの事から、自分の弱さと、自分の心が誇れるものじゃ無い事を知れた。


9つ目。

闘病中、自分の事で一杯いっぱいなる事が多かった自分は、思いやりの無さにぶち当たった。

でも、ある持論を持ってこの問題を解決できた。

「人に愛があると言うのなら、それは生理現象に過ぎない。愛がないからこそ、愛するんだ。」

ちょっと過激な理論だけど(笑)(でもさ、真理じゃない?)、こう考えるようになってから、思いやりの無さに凹む事なく積極的に人を思えるようになったし、人に期待して落ち込む事も少なくなった。

そして、体調から人を思いやる余裕が無くて自暴自棄になりそうになった自分を引き止めてくれたのは、聖書の「正しすぎてはならない。知恵がありすぎてもならない。あなたは何故自分を滅ぼそうとするのか。」と、「あなたの手に善をする力のある時、求める者にそれを拒むな。」って言葉たちで、「出来る時にすればいいんだ」って思えるようにもなった。


終わりに近付いて来たぞ。

10個目。

聖書には「言葉を控える事」の大切さを説いてる所がいくつかあるけど、自己主張が強い自分は、話せなくなった事で実践的にそれを学べたのも良かった。


11。

闘病中、色んな苦しみを通して、それまで抱いていた聖書や信仰生活、そして神に対する疑問が次々と解決していった。


最後。

ダララララララララ・・・ガシャーン!!ドムゴッ。(シンバルを落として前にいるトランペットの人の頭を強打した音)

12番目は、シンプルに、信じる力が増した。

ちょっとシンプルすぎるかな。

肩透かし食らった人、ドンマイ♪

今、自分の心の中にあるのは、聖書にあるヨブの話。

ヨブは重い皮膚病にかかって周りの人たちにも見離されたんだけど、時に神に愚痴をこぼしながらも神から完全に離れる事はしないで、最後には神に諭され、その時ヨブはこう答える。

「ああ、私は取るに足りない者です。あなたに何と口答えできるでしょう。私はただ手を口にあてるばかりです。(略)あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。」

そしてヨブの病気は癒されて、病気になる以前よりも豊かにされた。

指も喉もなかなか良くならなかった自分は、「もう楽器を演奏する事は出来ないのかもしれない」とかって思った事もあったけど、このヨブの言葉が自分の心を強くした。

「神が治れと言ったら、喉はツルンと治って皮膚もプルンと治るんだからいいや。何も恐くないな。」と思うようになって、聖書にある「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。」の言葉を真に実践出来るようになった。


以上!!

終わった〜〜〜!!!


と、言いたいところなんだけど、実はここまでの文章を考えてたのは、「もうそろそろ脱ステ終わるかな〜」って時だった。

三回目の波は一番短くて軽いと聞いてたから。


だけど、ここからが長かった。


(※「考えていた」っていうのは、この頃は目も指も使えなかったから、ここまでの文章を頭の中で何度も暗唱して、一字一句全て覚えてた。当時、この闘病記以外にも自作エッセイみたいな文章を30個以上暗記してた。今考えると「変態なの?」と思うけど、火事場の馬鹿力的なもんだったんだと思う。人間の脳みそはやる時ゃやるんだなって、人間の能力の無限の可能性を垣間見た気がするよ。今だったら絶対出来る気がしないし、やりたくない。)





『サナギ』





闘病記③↓

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