闘病記① | リコーダー吹きの休日Recorderist's Holiday

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闘病記(プロローグ) の続き

(※)で書かれたところは後年の後書き





闘病記①(2015~)

ー疲弊ー



自分は生まれた時からアトピーで、6才から約20年間、毎日ほぼ全身にステロイドを塗ってきた。

ステロイドは長期間塗ってると、酸化したものが皮膚の下に溜まっていって(※これを書いた頃はそれしか知らなかったけど、抑え込んでた痒み成分だという説もある)、だけど溜まるっていってもどこまでも際限なく溜められる訳じゃ無くて、飽和状態になると今度はその溜まったステロイドを体自身が皮膚を痒くさせて掻かせる事で、血や汁や皮膚片と一緒に出そうとするんだそう。

ステロイドは本来’’副腎’’っていう、腎臓の上に可愛くちょこんと乗っかってる器官で作られる物質なんだけど、長期にわたって内服ステロイドを使い続けると、副腎たちが「うちら働かなくていいんだって!」となって機能が低下するんだって。

鬱状態になったり自律神経失調症になる事もあるそう。

今でも原因はハッキリとは分からないんだけど(※最近になって自分は筋肉や骨格から来る自律神経にも問題もあった事が分かってきた)、この全ての事が自分の身にも起きた。

鬱病になって、強烈な死への欲求や無気力に悩まされ、不眠症にもなった。

塗っても塗っても効かなくなって、皮膚の炎症は酷くなるばかり。

一日の終わりには肌が異臭を放って溶けてくるような状態で、風呂上がりは2時間かけて塗ってたけど本当に辛くて、毎晩シャワーを浴びるのに覚悟が必要だった。

最後の方は、演奏会の出演をドタキャンする事もあった。

今となっては、毎日2回同じランク(ステロイドにはランクがある)の薬を長期的に欠かさず、しかもベッタリ塗ってたのがいけなかったんだと思う。

医者の言う通りにしてたんだけどね。


そしてある時突然、ステロイドを塗る事が出来なくなった。

心と体が受け付けないといった感じ。

こうしてやむなく、ステロイドを止めざるをえなくなった。

俗に言う「脱ステロイド」。

体に溜まっているステロイドの酸化物を出し切るっていう考え方の治療なんだけど、もはや治療と言っていいのか分からないよね。

だって本来治療として入れてたはずの薬を、今度は出そうっていうんだから。

だけどちゃんと病院の指導のもと行われるものでもあって、入院治療をする事もある。

脱ステロイドには、体調が特に悪くなる大きな波が2、3回あるって聞いてたんだけど、実際自分の場合も波があって、1回目が7ヶ月、2回目が9ヶ月、そしてこれを書いてる今、3回目の1年目。(※今から約5年前)

3回目が一番短いって聞いてたんだけど、自分の場合は全然違った。


一回目は、気付いたら身動きできない体になってたから、やむなく、当時下宿させてもらってた東京の家でさせてもらった。

家主さんは全力で応援してくれて、病気の症状のせいできつく当たってしまう時も(体が勝手にイライラしちゃうんだ。女の人の気持ちが分かったよ。)、文句一つ言わずに助け続けてくれた。

後になって、「本当のあなたはそんなじゃないって分かってたから」って言ってくれた。

いつか一軒家でも建ててあげないと気が済まないぐらいだよ。


二回目は家主さんに申し訳ないから北国にある実家に戻ろうとしたら、家主さんは「本当にあなたにとって良い所で療養して欲しい。申し訳ないからという理由では行かないで。」と嘆願してくれて、お言葉に甘えて引き続きその家で行う事にした。

東京の方が暖かくて良かったからだ。

だけど、「やっぱりこのままじゃダメだ」と思わされる出来事があって、二回目の波が終わった頃に実家へ戻って、そこからはずっと実家で続けた。

その時何があったかは後で書こうと思うけど、まずはどんな闘病生活だったかを話そうと思う。

生々しくてお聞き苦しいところもあるだろうから、気分を害したくない方はここで止めてね。(こんな中途半端なところで止めさせるのかよって感じだけど)


まずは、頭のてっぺんから足の先まで起こる、物凄い痒み。

こんなにも「物凄い」が当てはまる事、それまでの自分の人生には無かった。

一日の大半は掻いてるし、ある時掻き始めてしばらくして時計を見たら3時間経ってたって事もあった。

「映画2本見れるじゃん」って思ったよ。

もし友達と話してたら、「目玉焼きには何をかけるか」って話から、「人は何のために生きるか」って話になってるよな。

今でも、夜布団に入ってから掻き始めて、気付いたら外が明るくなってるって事は珍しくない。

って事は5時間だ。

もう友達帰っちゃってるよ。

掻くといってもポリポリ掻くような生半可なもんじゃ無くて、歯を食いしばって衝撃に耐えながら、朦朧とする意識の中、肉をえぐるように掻く。

表皮が無くなって血や汁でドロドロになってもまだまだ痒くて、「一体俺は一箇所に対して何回ぐらい掻いてんだろ」と思って、掻きながら朦朧とする頭の片隅で数えてみたら、全力で30往復搔いた頃にようやく痒みが治まってきた。

結構、いやかなりすごいよね。


掻いた後は、傷付いた皮膚の強い痛みに身動きが取れない事や服が着れない事もしばしば。

乾くと皮膚でガチガチに固まって、少し動かしただけで亀裂が入って痛いから、動かす事も出来ない。

酷い時は杖を使って歩き、寝るにしても少しでも動いたら痛いから一番痛くない同じ姿勢をキープしながら寝て、だけど疲労から体がビクンと動いた時にはそれはまぁ激痛で・・・

横になり過ぎて痩せ細った尻が痛くなっても寝返りが打てるはずも無く、かといって立ってられる体力も無く・・・

見事なまでの八方塞がりでどうすりゃいいんだと。


だけど最初の頃は掻くと黄色い汁が出て、放っておいても失恋した人の涙かってぐらいずっとダラダラ垂れてきて、だから初めて、掻いて血が出た時は嬉しかった。

「やっと普通の人間に近付けた」って。

でもそれからは逆に血の海になる事もあって、全然普通じゃないんだけど。

自分はやった事無いんだけど、ある脱ステロイド患者が掻かないように自分を縄で縛ったら、あまりの痒さに失神したらしい。

でもその気持ち、分かりすぎる。


そしてその痒みがオマケに感じる程に辛いのが、低血糖症に似た原因不明のいくつかの症状。(※これも今になって恐らく、骨格/筋肉問題と、ステロイドを止めた事からくる自律神経関係だろうって事が分かった)

一つ目は、激しいイライラ。

どんな事でもいいから怒鳴る捌け口を体が欲するような。

二つ目は、食べても食べなくても四六時中続く、胃にポッカリ穴が空いたような強い空腹感。

むしろ食べてからしばらく経ってからの方がそれが強くなる。

近くに人がいる時はうるさいだろうと分かっていながらも、ウンウン唸って耐えるしか無い。(体が勝手に唸ってしまう)


三つ目は、これはもう何というか経験してもらわないと説明の仕様が無いんだけど、人間こんなにしんどくなれるのかという程のしんどさが一日中続いて、立っている事が出来なくて、歩くのもやっと。

ガソリンゼロ、なんならタンク無しで生きてる感じというか。

断食中にトライアスロンしたらこんな感じになるんじゃないかというか。

横になってる事すら出来ないぐらいしんどい事もあって、今も死んでいいよと言われたらすぐにでも死にたい。

「死のスイッチ」なるものが手元にあったら、速攻押すもんね。

誰よりも速く押して優勝してやる。

なにでだよ。

「死のスイッチ早押し大会」?

やだよそんな大会。

・・・いやちょっと楽しそうだな。

体調が悪くなると鼻が詰まってて口からしか呼吸が出来なかった時期もあって、あの時はしんどさに拍車をかけた。


そして四つ目は、一日に何度か起こる強い発作。

絶筆に尽くし難いとは正にこの事で、内臓全てが機能を停止して体全体が死に向かって行く感覚とでも言おうか。

体はガタガタと震えて、二回目の波の時は毎回、「殺してくれ!」と泣き叫んではのたうち回った。

そしてこの発作が終わったら死のうと、それといつでも死ねるようにと、部屋にはいつもネクタイがぶら下がってた。

だけど人間しぶといものでさ、発作が終わって何とか耐えられる状態になると、「これが最後かもしれない」と思うんだな(笑)

東京の家の2階の自室で体を掻きながらそうやって叫んでる時、下の階から聞こえてきた家主さんの泣き声を、今でも覚えてる。

他人が苦しんでるのを見聞きするのは辛かったろうな。

一緒に耐えてくれた事、心から感謝してるし、自分は家主さんの事、勝手に戦友だとも思ってる。

(※今でもその家にお世話になってるよ。さっきも一緒にご飯食べてきた。)


それで、そうやって金切り声で絶叫するうちに、今度は喉を痛めてしまって、喋る事が出来なくなった。

数年経った今でもあまり沢山は喋れない。(※この時の自分は、筋肉の凝りが喉を圧迫してる事にも要因があるって事をまだ知らない。)

それから、一回目の波の時、苦しみを紛らわすために、寝ている時以外はテレビかパソコンか携帯を見てたんだけど、画面の見過ぎで目を痛めてしまって、太陽の光や照明、テレビにパソコンや携帯まで見る事が出来なくなってしまった。

(※これが''羞明''という病気で、自分の場合、原因はまたも筋肉の緊張からくるものと分かるのは、これからだいぶ先の事。)

今でも酷くなると窓を暗幕で塞ぐから、部屋はいつも真っ暗。

そうして目の楽しみを奪われ、それなら耳に頼ろうと四六時中音楽かラジオをかけて、文字通りにその音にしがみつくようにして体の苦痛に耐えていたんだけど、聞きすぎで今度は耳を痛めてしまって、それからしばらくの間、耳の楽しみさえも奪われてしまった。

今になってみると、「お前は加減というものを知らないのか?」と言いたくなるけど、当時の自分はそうでもしないと毎分毎秒をやり過ごせなかったんだな。


それと、毎日ものすごい力で掻くから指を痛めて、遂にはスプーンを持つ事も、自分で掻く事も出来なくなった。

一晩中親に掻いてもらう申し訳無さ、思い通りに掻けないもどかしさ、それに加えて、掻く度に脳や内臓が悲鳴を上げるような感覚に気が狂いそうになる。(※今思うと、もう体が「掻かれる」という事に疲れ切ってたんじゃないかと思う。)

だけどそれでも他人に全部を掻いてもらう事は出来ないから、指が壊れていくのを感じながら、自分で掻き続ける。


他にも、一日中寝ているか、固まった皮膚が背中を丸めた姿勢しかさせてくれないから、首から背中にかけて酷い肩こりに悩まされるようになって、最悪息をするのもやっとだったり、激痛で寝返りがうてないって事もあった。


鬱病がひどい時期もあって、コードに首をかけては意識が無くなる寸前に離すって事を何度もしてきた。

その時にいつも頭の中に響いたのは、聖書の「自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか」って言葉だった。

鬱ってのはほんっとにきついよ。

死が生理的欲求の一つに加わる。

酷い時は、唯一出来る事は横になる事、唯一したい事は死ぬ事。

死にたい程悲しいんじゃない。

悲しい程死にたい。

横たわりながら何度か舌を噛み切って死のうと思った事があったけど、調べたらそれぐらいじゃ死ねないって知って止めた。

(※あの体と心では、自力で病院に行く事は文字通り不可能だったし、何より本当に死にたい人は病院なんて行けない。だって生きてたくないんだから、治ろうとする事が出来ない。)

最初の方で書いた、症状が落ち着いた頃に東京の家を出て実家に来た理由は、それまでは一生懸命尽くしてくれていた家主さんの為にと何とか耐えて生きていたのに、ある日どうしても我慢が出来なくなって、借りていた自室で首を吊りかけてしまったからなんだ。

実家だったらいいって訳じゃ無いんだけど、それだけはどうしても避けなきゃいけなかったから。


そういえば一回目の波の時は、これらの症状の他に、アトピーのためにと、今思うと過剰な糖質制限と動物性タンパク質制限もしてた。

食べ物をトイレに持ち込んで咀嚼しては吐き出してを繰り返すなんて事もあって、あの背徳感はすごかった。

トイレの中が、来ちゃいけない背徳異世界みたいだった。(口内と胃が荒れるからすぐ止めた。)

夜な夜な栄養剤のオイルが入ったカプセルをほぼ一瓶分貪り食ったって事もあったな。

ぶにぶにしたカプセルがほんのり甘くて、多分それを体が欲したんだと思う。

ただでさえ毎日掻いて体がボロボロでカロリーやタンパク質を欲してただろうに、あの時は悪い事したなぁ、ごめんよ、体。


だけどいざ、そういう事は止めて食べよう!となったら、二回目の波に、今度は強烈な食欲不振、というか、死ぬ程腹は減ってるんだけどどうしても食べ物を口に出来ないっていう症状が始まった。

酷い時は水さえも飲めなくて、3日間飲まず食わずで布団から立ち上がれず、「人は3日水分を取らないと死ぬ」って聞いてたから、「あ、あと少しで死ねるんだなぁ・・・」って横たわりながら朦朧とする意識の中思ってたら、あと数時間で3日が経つっていう時になって、体が勝手に起き上がって勝手に水飲み場に行って勝手に水を飲んでいた。

「死ねなかったなぁ」と思ったのと同時に、体は自ら死のうとはしないんだなって思ったよ。

一日中何も飲めず食えずで喉がカラッカラに干からびて、これまた体が勝手に、よなよな起き上がって暗闇の中無心で貪った梨の味と食感は今でも忘れない。

ジューシーだったなぁ・・・いやほんと、闇の中を突き抜ける程、どこまでもジューシーだった。


今は激しい発作は減ったけど、それでも寝てる時以外は、体が爆発していってしまいそうな感覚から逃れられない。

これがまたほんとに辛い。

逃げ場が無い。

寝てる時ですら夢の中で発作起こしたりするんだからやんなっちゃうよなぁ。

特に夜がしんどくて、痒みも一番来るから、毎晩寝る前が恐怖だ。

痒みが恐怖なんじゃなくて、掻いてる時の感覚が恐いんだ。

内臓がグォォォォって断末魔を上げながら七転八倒する感覚。

痛みでも痒みでも無い新しい感覚。


こんな状態だから体を動かす事もままならないし、足は皮膚が無いような状態だから靴も履けなくて、家から一歩も外に出られない日々が続いてる。

常に何かを聞いたり考えたりしてないと肉体の苦しさを紛れさせられないから、起きている時は一休みも無しに頭を動かしている。

精神的苦痛が辛いのは分かっている、が、その類いに嫉妬してしまう自分がいる。

精神的な事ならば何か別の事をする事で少しは苦痛を忘れられるような気がするけど、身体的苦痛はどう足掻いてもそうはいかないからだ。

(※今となっては精神的苦痛の中には別の事をする気も起こさせないようなものがあるって分かるけど、当時はそこまで考えが及ばなかった。)

(※これからさらに数年後、ぼーっとしている自分にふと気付いた時は嬉しかったな。)


歯を食いしばって、食いしばる歯が無くなっても食いしばり続けてる。

「心が折れそう」じゃなくて、心なんてもうとっくに折れてて、折れたまんまで生きてる。

ほんと、薄皮一枚で繋がって生きてるって感じ。

せめて鶏皮ぐらいにはしてほしい。

一日一日を何とか生き延びて、毎日が死と隣合わせ。

早く席替えしたいよ。

先生、このクラスまだクラス替えしないの?

もう数年経ったよ?


何が一番辛いって、痛みや苦痛は勿論だけど、「いつまでこれが続くのか分からないまま耐えていなければいけない」って事。

一度、なんか知らないけど自分の意思とは違うところで涙が勝手にボロンボロンと溢れ落ちてきて止まらなくなって、心配して来てくれた母親の膝で子供みたいにワンワン泣いたって事があった。

それまで家族含めほとんど誰にも自分の悩みとか弱味を見せてこなかった人が、30になって母親の膝で泣くなんてね。


肉体が傷付いてるだけじゃない。

肉体の苦しみに、心が傷付いている。

何でまだ生きれてるのか、自分でも不思議だ。

正直、「自殺出来る」って事実だけが心の支え。

自殺できる事が恵みだとすら思うよ。


だけどさ、毎日、日中に3分くらい、楽な時間があって、いつもその時間が、オアシスなんだ。

それと、寝てる時だけは夢の中で走ったり飛んだり出来る事もあって、夢の有り難さに気付かされた。


ここまで書いたけど、自分は辛かった自慢をしたいんじゃない。

まあ少しは「頑張ったね」って言ってもらいたいってのもあるけどね(笑)


ちょっと脱線するんだけど、辛かった自慢って言葉にあるように、自分の辛い事を人に話すのは弱い事だとか同情を買ってるようで恥ずかしい事だとかって風潮があるように思うけど(気のせいだといいんだけど)、そういうのがあるから、溜め込んで病気になったり自殺しちゃう人達がいるんじゃないかなって思ったりする。

もっとお互い自分の頑張ってる事や辛い事を気軽に話せて、「こんな事を頑張ってる」「こんな事が辛い」とかって伝え合えて、それで「おまえもよく頑張ってるな」って言い合えるような世界の方が、お互い楽だしもっと頑張れるんじゃないかな。

・・・と思う反面、分かってもらえない辛さもあるんだよな。

難しい。


話を戻すけど、こんな地獄のような日々の中にあっても、闘病中に得たものを数えてみたら12個あったから、次回はそれを少しずつ紹介したいと思う。




闘病記②↓

https://ameblo.jp/saitouyukisaitouyuki/entry-12835545149.html 




『羽休め』