誰でも狂ったりするよね?そう言われるとそうなのかもしれないけど、我を失うほどに狂うことなんて早々ないでしょう。それこそ、頭のおかしい人と言われておしまいだよ。普通に生きてたり、普通に生活したりしていたら、そんな風になったりしない。メンタルが弱いだけだみたいなことを言われて終わりだろうし。

誰でもメンタルは弱くなるでしょ?確かに取得している情報とその情報の扱い方みたいなもので関係したりしているはずだからこそ、よっぽど追い込まれたりしていけば、メンタルというのが疲弊していって、衰弱していってもおかしくないと感じる。でも、それは言い訳だと思うし甘えだよ。自分は特別そんな風になったりってのをしてしまってると思うしさ。

誰でもそう思うんじゃないかな?それに対しての扱い方ってのは別として?そう言われるとそうなのかもしれないよ?でも、うまく扱うことができなかったり、逃げたり負けたりしてしまっていたっていうのは、本当に事実だったりすることじゃないか。扱い方というか、そこは特別上手に扱いができなかった自分が悪いしダメなんだと思う。鬱とかそういう神経衰弱になったりする奴は得てして弱いやつなんだよ。

時代が違えばそうなるよね、と言ってるようにも聞こえたりするけど?確かに今よりも厳しかったり、死と瀬戸際だったりっていうのをしたりしたら、誰しもがそのようになったりする気もしている。でも、誰もしがそんな目にあったりっていうのをするわけじゃない。じゃあその理由は何?と聞かれると精神の弱さなんだと思う。でもこのような見方をすると、精神の弱さっていう風に言われると、ピンとこないような部分というのが凄く多いようにも感じられる気もする。

弱くなければ、自分は一人前の人としてやっていけるみたいな声が聞こえてくるけど?それは事実だよ、自分の精神というものが弱くなかったり。流れ行く事態に対して、うまく吸収したり、跳ね除けながら進めていける精神を持ち合わせることができているのなら、小さなことだって気にならない。気にせずに、こんなに自分のことを責めたり、気に病んだりする必要もない。でも、そんなうまくいかないんだよ!

跳ね除けられなくても良いんじゃない?え、跳ね除けられなかったら、メンタルが弱いといわれるままだよ?メンタルは確かに弱いわけではないだろうし、理由っていうのは必ずあるんだと思う。でも、相手からメンタルが弱い存在として扱われてしまうよ。相手が、そんな打たれ弱くて少しのことで気に病んだり、逃げ出したくなったりをしてしまうような人のことを、救ったり助けてくれたりすると思う?私は、全くを持って思わないんだけどね。

助けてもらえないことって誰にでもあるんじゃない?それを聞かれたら、寂しくなるよ?何?助けてもらうことを期待したりするんじゃなくて、期待されないような自分になれってこと?そんなの無理じゃない?自分ら助けてもらわなきゃ生きていけない自信がある。依存かもしれない。でも必ず、誰かに助けてもらわないといけないと感じる場面はある。そんな場面でも、誰にも助けてもらえないということ?でも助けてもらえる人もいる、じゃあ自分がダメってことなの?

常に助けてもらえるなら、自分はダメな人間ではないっていう風にも聞こえるけど?そうだよね。だって、自分の見える世界だとみんな助けてもらえていると感じてるもん。大小や時期というものはあれど、多くの人は人の助けを借りて、得てして助けてもらうことをしている。でも、自分は助けてもらえたわけではない。常に、自分一人の力で切り開いてきた、自分一人の力で助けを求めて場所も探した。全部自分一人でやってきた。こんなのあんまりじゃないか。

自分一人でやってきたんじゃなければ、助けてもらえてるんだって言ってるように聞こえるよ?そうだよ、どのタイミングでもよかった、自分に一言声をかけてくれたら。いや一言声をかけて、自分のお話に親身に耳を傾けてくれたら。自分が何で悩んでいるのか聞いてくれて、解決したりしてくれれば。どれもが、その時の自分にとっては手に負えない問題の数々だった!

声をかけてくれたら、自分の人生は違うものだったと聞こえるけど?少なくとも、こんなに自分のことを責めたり、自分なんてダメなやつなんだという風に思ったりはしなくて良かったと思ってる。他の人は思ってないでしょ?だって、多くはそんな助けを借りなければいけないような。自分一人では解決できないような問題に遭遇しないし、それに遭遇したりしても複数したりなんて絶対にしないからね。他の人は羨ましいというか、遊び呆けてるんだよ。楽で良いよな本当にさ。こっちはこんなに苦しんでるというのに。

遭遇してなければそんなことを言ったりはしないみたいな感じで聞こえたりもするけど?そりゃそうさ。自分と他の人との違いというのをあげれば、そんな経験を多くしたりしていることと、人に助けてもらえないばかりか、性格の所為なのかわからないけど、逆に追い込まれたりすることの方が多かったってこと。

助けてもらえなかったことが大きいってわけか?そうだと思うよ。自分の体験の中で大きいのは、その助けてもらえなかったことと、誰にもわかってもらえなかったってこと。今もその時の名残などで、深い悲しみというものに打ちひしがれてるよ。毎日苦しいし、毎日自分のことを責めてるし、毎日寂しいよ。

わかってもらえていたら、違っていたっていう風にも聞こえてくるけど?うん、わかってもらえてたら絶対に違ってた。自分と他の人の多くの違いっていうのは人に恵まれたり、人にわかってもらえたりっていうのをしてきたのかということ。だって、そうじゃなければ、自分は特別メンタルが弱いとか、悲観的になりやすいってことになるだろうし。そんなのあんまりだし。もういやだよ。だって、もう戻れないってことだし、寂しくなったりして仕方がないよ。

助けてもらえなくて気に病んでないのなら、寂しくなったりはしないって聞こえるよ?そう、その通り。気に病まないのなら寂しくもならないはず。でもそうじゃない。寂しくて仕方なくなる、誰も見てくれない、わかってくれない、そんな思いだけが自分の中から溢れたりしてくる。でも、他の人はそうじゃないでしょ?隠してるようにも見えない。他の人は、得てしてそんなような思いってのは抱かないんだよ。

他の人もそんな感じで寂しくなるんじゃない?だとしたら、自分だけ特別不幸と名づくような体験をしてしまったってことじゃん。何で、自分だけそんな目に会わなきゃならなかったの?でも、自分一人だけそんな目にあったなんて思いたくないよ。寂しくて悲しくて仕方ない。どんなに寂しくても、助けてもらえなかったことが事実でも、そうやって不幸な目に遭い続けてきたっていうことだけは認めたくないよ。

自分一人だけじゃないんじゃない?いや、自分一人だけに思えるよ。だって、他の人はそれをされていたことを知っていた。他の人は、他の人に目視されてもらっていた。自分はそうだったこととそうでなかったことがある。でもそれ以上に、誰も声かけもせず。また自分と同じようなことをされている子は先生に確認されるのに、自分だけはされなかった。これを差別と言わずして何と言えば良いのだろうか?

声をかけられて、平等に扱われていたら寂しくならないと言ってるように聞こえるけども。そりゃそうだよ、自分にとって何が惨めだったのかって言ったら、他の人と同じように扱われたりしなかったってのとだからね。他の人もそういう部分もあったのかもしれない。でも何も声をかけずに、何も言わずに。何もしてくれずに。差別のような体験も受けて。俺の心はボロボロでしかない。悲しくて寂しいよ。

他の人も自分と同じ体験をしてくれていたら、楽だったのにって言ってるように聞こえるよ?そうだと思う、何より不満だったのが同じたあけんをされていなかったこと。彼らはずっと安全な地にいて、彼らは迷惑なことをされたりしてなかった。対して、自分はそうではなかった。その事情を汲み取ってくれる人なんて誰もいなかった。何のためにやって何のためにしているのかもわからない毎日の中で。それが悔しくて仕方なかったと感じてる。

誰か一人でも味方や自分の事情ややられてることを汲み取ってくれる人が居たら、違っていたと言っているようにも聞こえるけど?そうなんだと思う。他の人との違いはそこだって思ってるよ。悔しいんだ。どこに行っても、そんな事情って汲み取ってもらえるわけではない。彼らがそれを見てないからなのかもしれない。でも見ていたところで事情を汲み取ってもらえたりされるとも思えない。あの時ですら、あれだったんだ。友達も親友だと思っていた子も助けてくれるわけでもない、触れてくれるわけでもない。じゃあ、一体人の何を信じれば良いというんだよ。人なんか、いなくても同じじゃないかよと。

触れてくれさえすれば、人なんかいなくても同じだという風には思わないと言っているようにも聞こえるけど?触れてくれさえすればな、触れて声をかけて、寄り添う。いや、触れてくれるだけで良い。見てくれているというだけでよかった。別にそれだけでよかった。それだけできっと乗り越えることはできた。でも無言はないよ。何も声をかけないのはないよ。なんで誰もどこに行っても声をかけてくれないし、いや高校は少し違ったなぁ。悔しいなぁ。こんな風に追い込まれていってしまうなんてさ。あんまりだよな。

そんな声すらかけてもらえなかった。しかもいじめられていたり、不遇な状況にいながらという事実があまりに辛いみたいだね?そうだな、それだと思う。不遇だったんだ。認めたくはないけど、不幸だったんだ。苦しかったんだ悲しかったんだ。俺の何がいけないのかわからなかった。悲しくて寂しかった。いじめられたりすればするほど人に距離を感じ、もう人と関わらないと思った。そんな風に思ったのは、いじめの経験というものがあったからだとは思ってる。

いじめられてない形でそういう接され方だったら気に病まなかったのかもしれないね?そうだったら良いんだけどね。というか、いじめられて殴られて首を絞められて、そこまでされても、声もかけてくれない。心配もしてくれない。助けてもくれない。ああ自分一人でどうにかするしかないんだなって感じる。結局帰結としてはそうなる。誰も何もしてくれない助けてくれないのなら、自分で常にどうにかさるしかない。俺は人に対しての信頼なんか一つも持ち合わせてない。期待すらしてない。期待しても良いことなんてないからだよ。期待しても、結局は自分一人でどうにかするしかなかった。何をするにも声をかけるにも意見をするにも、まあ俺が悪いってことになるんだろう。たとえ被害者だとしても。様々な理由や要因があったとしても。ということは、人と関わるメリットっていうのが俺には一つたりともないんだよ。何のために人と関わるのか、その意味がない。楽しい笑うも、助けてくれる声をかけてくれる。そういう一歩というものすらないんだったらできっこない。だからずっとそういうことはできないし、自分は一人で、誰とも何もできないって思い続けることをしてきたんだと思う。

声さえかけてもらえてたら、全てが変わってたかもね。その時にどう受け取るのかはわからない。でも一声で多分全然違ったんだと思う。人は、機体ばっかしてる。本当に思う。いじめだのどうだのとよは騒いでるが、実際にいじめを受けた当事者としては、何のためにとしか感じない。いくらそんなに騒いでても、助けてほしい部分に助けが来ないのなら意味がない。むしろ、人の苦しみや悲しみを理解できない人のが多い。それと仕方ない。でも、こうして自分の受けた悲しみ傷の深さなど、すべてを他人が知らず、また知らないばかりか関わったりもしてくれない。もしくは、言わないのも悪いかもだけど、予測して言ってくれるわけでもない。そんな幻滅や呆れしかなく、感性も深くもない相手と関わって一体何が楽しいのか。何が良いのか。心は冷めきっている。はっきりと言えば、誰と関わってもつまらない。面白くないのだよ。

いじめられてなかったら違かったのかもね。そうかもしれないな。あんな目に遭わなければ違かったのかもしれない。人の心の奥底みたいなものが見えるということもなかった。あんな人に対して幻滅したり、人と関わったり人と付き合ったりすることの意味のなさも感じなくて済んだはず。人との違いがあるといえば、人に期待するだけ無駄。いや、どんな時でもどんな苦難な時でも、人は助けてくれないばかりか、自らの都合などを押し付けてくる。そこで優しくしてくれるのなら、違うところで優しくしてくれればよかったんだけどなと。ないものを強請ったりしてもしょうがないのかもだけど、そう強く思えてくる。

苦難や苦しみを知って、何か少しても協力してくれる人が居たら、違ったのかもしれないね。そうかもしれないな。少なくとも、俺は人のありがたみとかを知れたかもしれない。それだけでどうにかなるとは思えない。けど、悲しさや寂しさってのは受け止めてもらえたかもしれない。でも、いじめられていたはずなのに。それを実際に見ていたはずなのに、何も言わず、何も声をかけてくれなかった存在に期待なんてすることができるわけないさ。

見ていなかったら違かったのかもな。全部見てくれなかったら見てくれなかったらで、違う思いを抱いたかもしれない。でも、見られてなお、思考の範囲として声をかける。心配する。助けるとは違うような判断、大丈夫とか強いとか、そういう風な判断にいったことに心底幻滅している。その判断ということは、結局俺にとっては人が誰も必要ないってことだ。何だろうな。それ。俺は誰とも協力ができないばかりか、誰とも関われない。悔しくて仕方がないじゃないかよ。

一人で頑張れる、大丈夫っていう風に判断をされてなかったら違かったのかもしれないね。そうなんだと思う。そうでなければ自分は良かった。でもどんなに頑張っても、どんなに努力しても、報われることもなかった。何もなかった。次第に意味が感じられなくなった。どんな不遇な状況でも誰にも悟られないように、冷静に勤めたし普通にしてきた。それらの意味が、自分には感じられなくなったんだよね。

少しでも報われてたら、意味がないと感じなかったかもね?そうだね。報われてたら。いや、助けてもらえてたり、声をかけてもらえたりしてたら。それだけで報われてたと思う。努力も知られたくなかった。知られたところで何もないから。すっげえカッケェとか思われるかもしれない。でもそれだ。逆にそれが人を孤高にさせる。結局、報酬はなくて一人でやっていくしかないんだと再確認させられるだけだ。何かを変えるには、常に自分が動かなきゃいけないっていうわけだ。一体何のためなんだろうな。

でもみんな孤高なんじゃないかな?そうなのかな。そうは思えなかった。俺は自分だけが孤独で孤高にっているように思えた。引きこもり不登校いじめ、という事実がよりそう思わせている。そんな感じになったりしたからなのかな。他の人が孤高と言われても納得できない。いや、他の人も孤独なのかな。孤独でなければ、自分は話しかけてもらえるはずだ。でも、距離を感じさせてたのだろうか。声をかけたりというのをしてもらえるわけでもなかった。

誰しも人って人に対して距離感というものを感じるものなんじゃないのかな?いや、でもそうだとしたらいじめの時のことが説明がついてこない。なんだ、距離感の問題でいじめられたということに納得というのをしなければならないのかよ。それは嫌だよ。距離感という問題とか相手の頭や感性の幅で、自分は助けてもらえなかったってわけなの?なんだよそれ。

相手も困っていたかもね?困ってるのかな。困ってるのかもしれない。ああそうだな。相手も何かしらの形で困っていたんだと思う。そうして、自分に話しかけたりするのは勇気がいることだったんだろう。でもさ、そんな理由で助けてもらえなかったっていうことに納得しなきゃいけないのかよ。なんて悲しいことなんだろうな。いじめとその困ったは程度が違うのに。その困ったというもので、命も失いかねない状況にまで追い込まれた。これを悲しくないと言わずして、何と言えば良いのだよ。

相手は気付いてなかったかもね?ああそうだろうよ。逆に気付いててそうなら心底幻滅する。でも一度それに近いのとは告白したことはある、驚かれたりはした記憶はあるが、知っていたと思うんだけどな。でも知っていた知っていなかったにせよ、自分が声をかけられなかった理由というのは、本当に自分行儀な部分で完結させることをしなきゃならない。何で、自分が大人になっていかなきゃならないんだろうな。

誰しもが自分行儀な視点で物事や人というのを見てるんじゃないのかな?そうなのかもしれないと思うよ。でももしそれが事実だとしたら傷ついて、悲しく寂しくなって期待した心と、相手の思っていたことの差というのを埋めていかなきゃいけないわけでしょ?ということは、自分の悲しみや寂しさや期待に答えてくれない人のことを、自分がわかっていくということをしていかなければならないってことじゃないかよ。

相手も悲しくて寂しいのかもね。ああそうなのかもしれない。そういう判断というのをしてたり。そういうようなことを思ったりっていうのをしたりしているっていうことはね。しかしさ、相手の悲しさや寂しさも大きい。そうか大きいのかもしれないな。俺も表面だけしか見てないってことか。何だよそれ。そう思ってしまったら、助けてもらえないことも話しかけてもらえないこともしようがないってことじゃないか。そんなに死にたくもなったほどなのにさ。結局、相手にも悲しさや寂しさなどがあり、その中でどうすることもできなかったりしたってわけだろう?

俺が悲しいとか寂しいって知らなかったのかもね?そうかもね。知らなかったと思う。悲しいとか寂しいとかいう感情があるということを。知っていたら勿論、思うことは違う。でも、まあ知らなかったとしても、そのくらいのことは察してくれよって思ってしまうけどさ。察してもらえないことすら折り込みに入れることをさて、見ていくってことだろう?どこまでこの自分と相手の差というのを埋めていくことっていうのをしなければならないんだろうな。

人って誰しもがその差を埋められないのかもね?そうだと思うよ。埋められるのなら、俺は確実にあの時に助けてもらえてた。声もかけてもらえてた。自分の望むように展開が進んでた。でも、その事実がすごく悲しく感じるんだよ。その差っていうのはうまないんだなと。期待を手放さなきゃいけないんだなと。こんなことをされたとしても、誰かに期待もできないし、助けてもらうこともできないしさ。

助けてもらけないのかもね。ああそうなんだろうな、なんて悲しいんだろうな。でも差を埋めていくと同時に、助けてもらえなかったことと、助けてもらえないことを認識していくようになっていく。なんだろうな、助けてくれないこと。そしてそこには相手の様々な影響があること。何だよなそれは。

みんなそうなのかもしれないね。されたことの大小はあれど、みんな助けてもらいたいし、声っていうのをかけてもらいたいのかもしれないね。そうなのかもな。こんな風に自分が被害者であり、こんなに苦しんでいるのに。自分のされたこと思っていることと相手の思ってることとかそういう類のものには、明らかに差っていうものがあったりするんだよな。ってことは、相手方も自分と同じような感じに追い込まれたりしてもしょうがない感じなのかもしれないよな。

みんな被害者なのかもしれないね?そうなのかもしれないなぁ。相当のことがない限り、いじめられたりしてしまうんだろうよ。そうして、自分のように誰にも助けてもらえない、わかってもらえないという状況になることが多い。得てして、こんな感じになったというのは必然なのかもしれないな。それほどまでに隠すということや騙すということなどで、その自分と相手との思いという部分で差というものがこんなにも広がったりっていうのをしてしまうんだなと。ということは、正直なこととか本音を言ったりすることっていうのは、差を埋めたりしていくためにも必要だったりすることなのかもしれないよな。