かなりご無沙汰になりました。
(さぼっていたわけでは、ないのですが…)




群馬県の南西部に位置する
多胡郡吉井町(現在は高崎市吉井町)一帯に
伝わる、『羊太夫(ひつじだゆう)伝承について
まとめ作業を、ごりごり進めていました。


『羊(ヒツジ)』『八束(ヤツカ)』『斎(ワタリ)
については完成しました。まだ途中なのですが
これらについて書き終わったら、抜け殻みたいに
なってしまいました。




基本的に、当ブログの運営・文章を書くことは
楽しくてしかたないのですが、まったく
脱力したのは、初めての経験でした。

またパワーがもどってきたので、もう少し時間が
かかりますが、完成したら公開させて頂きたいと
思います。(後は『諸(モロ)』『安房(アワ)
『羌(キョウ)』『滝(タキ)について書きます!)



  『クズ』する神々たち


さて、前回は『クズ』の神々…

 

『天手力雄神(アメノタヂカラオノカミ)

『九頭龍神(クズリュウシン)

について書きました。





の「天手力雄神」には
 
『多久豆魂命』
(おおくずたまのみこと、たくづたまのみこと)

という、「クズ」のつく別名があり
文字通りに解釈すれば
「多く」の『久豆(クズ)の「魂」…


さらに、②の「水神」「龍(蛇)」とされる
「九頭龍神」の神名にも、同じく
『九頭(クズ)が含まれています。

そして、『クズ』という言葉には
日本土着の「先住民」としての
色彩があります。




  『尾』をもつ『国栖(くず)の人『イヒカ』


神武天皇が東征した際に
現在の奈良県である、大和(やまと)
「国栖(くず)の里に到着したとき

現地の住人…土着の原住民のような人物と
出会った、との記述が『古事記』にあり


 
のある人「井氷鹿(いひか)」が
光る井戸から出てきた、この人物が
吉野首(よしのおびと)の祖である」


と記述されています。



イヒカは「水神」「女性」との説もありますが

天孫族が来着する以前から、大和の地に
居住していた、土着の原住民のような
存在として記述されています。





 

イヒカの「尾のある人」という描写について

『尾(お)』が、何かについては
尻尾のある衣服を来ていたなど諸説ありますが

井本英一氏の著書『古代の日本とイラン』によると
京都の三尾(さんび)、水尾(みずお)、松尾(まつお)
兵庫の武田尾(たけだお)、奈良の富雄(とみお)…など

これら『オ』のつく地名は、特別な境界のような位置にあり
『オ』は、境界を意味するのではないかと記しています。

また、蛇は「しっぽ(尾)」の部分から卵を
生みますよね。とても重要な場所です。

個人的には、「オ」「サキ」「クシ」同様に
災いを防ぐ「塞の神(サイノカミ)」的な
異界とつながる境界に坐し、ときに侵入する災禍を
せき止める「女性」首長・巫女の比喩表現だと
考えているのですが…

そして蛇の「頭」は、彼女たちと
「ペア」となる、「男性」の比喩となります)



  『クズ』から、長崎県対馬『クズ』


①と②の「アメノタヂカラオ神」・「九頭龍神」は

この先住民の色彩をもつ
『クズ』という共通のキーワードをもち
さらにはじつは両者同神、との説もあり

この両者には、ただならぬ結びつきがあります。
この結びつきは、何に起因するのか?




日本・朝鮮半島の中継地として
古くから開けた、対馬に鎮座する
社名に『クズ』をもつ2社…
(対馬は「津島(つしま)」…「津」は港を意味します)
 


『多久頭魂神社(たくずだまじんじゃ)
 (長崎県対馬市厳原(いづはら)町豆酘(つつ))

天神多久頭魂神社(てんじんたくずだまじんじゃ)』
(長崎県対馬市上県町佐護字洲﨑西里2864)


この2社を調べることで
①と②、「アメノタヂカラオ神」「九頭龍神」
の正体を明らかにしたいと思います。

  融合した神仏混淆の太陽崇拝『天道信仰』


さて、この対馬の2社はかつて
対馬で栄えた
『天道(てんどう)信仰』の拠点でした。




天道とは、太陽が空に描く軌道のことで
「天道信仰」とは、対馬の海人族が
もっていた太陽信仰と仏教が融合した

対馬特有の神仏混淆の
「修験道」信仰のことです。


しかしその一方で、この対馬の南部・北部に
対になるように鎮座する、2社に共通するのは
いずれも背後に「神体山(天道山)
もっている点です。




これは、「山」「川」「岩」など…
自然そのものを崇拝する
いわゆる古い信仰形態
「古神道(こしんとう)」の一つで

農耕以前の狩猟採集社会において
生きるための恵み(食料)
与えてくれるのは「自然」であり

古代人が「山」「川」「岩」などを信仰した
のは、文字通り自然の成り行きでしょう。
(岩…「磐座(いわくら)」は
 湧水を生み出すと以前に書きました)




  みたる『大地母神』『母』なる『自然崇拝』


大地母神という言葉の存在からも
わかるように、恵みをもたらす自然は
よく「女性」に例えられました。

対馬の「天道信仰」は、この恵みを
もたらす自然…言い換えれば「女性」への信仰を
その根源に宿していると考えています。




その証拠に、明治の神仏分離令が発せられる
以前、厳原町の豆酘にある、「多久頭魂神社」は
『豆酘御寺(つつおてら)という
神社と寺院が一体化した神宮寺で
(ちなみに『ツツ』「蛇」の意と考えています)

その中心に
「観音堂(かんのんどう)が存在しました。
(現在の多久頭魂神社の拝殿は、この観音堂の
 それを現鎮座地に移築して、使用しています。)


観音とは、正式には
「観音菩薩(かんのんぼさつ)」といい
その起源については諸説ありますが、私たちの
苦しむ声に応じて、様々な姿をとり
現れては、救いをもたらす慈悲深い存在です。

それ故に、悩める衆生(しゅじょう)にとって
痛みや苦しみを引き受けてくれる、もっとも
身近な存在ですね。


 (『救いの信仰女神信仰』小島隆司 青娥書房より)


観音さまは、もともと男性であったといわれて
いますが、インドから、中国・日本と伝来するに
および、女性としての性格を、強くもつように
なりました。

その表情・姿から、観音が女性を表現した
存在であることに、違和感を覚える人は
少ないのではないでしょうか。
(多様性の現代においてはその限りではないのでしょうが)


  『水辺』にたたずみ人びとを守る『十一面観音』


11の顔をもち
あらゆる方向の人びとを見守るとされる
『十一面観音(じゅういちめんかんのん)』
水辺に祀られることが多いのですが

蓮華(れんげ)をさした水瓶をもつことが多く
元・水神であったことは十分に推察できます。




水の中から、美しい花を咲かせる
「蓮(はす)は、胎盤・子宮を象徴し
生産・豊穣をもたらす女性のシンボルです。
(「姓(かばね)」の文字が、「女」・「生」…
 「女性が生む」という部首で
 構成されているのも興味深いです)


日本土着の水神は、後来した仏教が
興隆するとともに、様々な形で仏教と習合し
「観音」「龍神」の姿で祀られるようになります。


私は、各地に祀られる水神である「龍」
原初の姿は、その土地の産土神(うぶすながみ)

女性の水神だったと考えています。
戸隠神社に祀られる「九頭龍神」が
本来の地主神と伝承されるゆえんは
ここにあります。



また、神奈川県の芦ノ湖畔に
鎮座する九頭龍神社の祭神
「九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)
万巻上人(まんがんしょうにん)によって調伏され
湖の守護神として祀られるようになったという
伝承は、土着の水神が仏教に組み込まれたことを
比喩していると考えています。


自然は恵みをもたらす、のみではなく
河川の氾濫など、ときにおそろしい災害を
もたらします。

この大自然を鎮め、慰撫する役割が
古代の土着の水神(そしてこの水神を祀る巫女)から
仏教と習合した「観音」さま、「龍神」さまに
託されていったのではないでしょうか。


さきほど、「観音」さまは、様々な姿をとり
私たちの前に現れると書きましたが
「十一面観音」が化身して現れるとされる
神の姿は、以下の通りになります。


 


・厳島神社『市杵島姫(いちきしまひめ)

・春日大社第四殿『比売神(ひめがみ)

・京都・八坂神社
 『櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)

・大宮・氷川神社の『稲田姫(いなだひめ)

・白山の神
 『白山比咩(しらやまひめ)
  『菊理媛(くくりひめ)

・岩手県の早池峰(はやちね)神社
 『瀬織津姫(せおりつひめ)


(『救いの信仰女神信仰』庶民信仰の流れのなかに
  小島隆司 著 青娥書房より引用 )

…そうそうたる神々ですが
日本の観音が、古代の母なる女神と
強いつながりをもつのは
間違いないのではないでしょうか。




私は、対馬の『クズ』と名のつく2社で
展開した神仏混淆の『天道信仰』にみられる
 


・太陽を浴びて妊娠した「女性」

(その女性から生まれた)
 日輪の子供とされる「天道法師」

この「母子」関係は、仏教に

組み込まれた結果、親子になったもので


本来は『風土記』にみられる


多くのリーダーが

「女・男」ペアで記される

ヤマトの先住民「土蜘蛛(つちぐも)」集団
の実態が、反映されているのではないかと
考えています。

続きます。