先週の水曜朝、もう再び奇跡は起きてくれなかった・・・・。
事務所の先輩であり、また私が生まれた時から既にそばにいた藤田まことさんが逝ってしまった。
大病をされてからは、いつかこの日が来ると思いながら過ごした2年間でしたが、まだ全然信じられずうまく受け入れられず、追悼の言葉すら書けないまま1週間が過ぎてしまった。
この6,7年、藤田さんのディナーショーなどの司会は私が務めさせて頂いた。
私にとって最後に司会でご一緒した昨年2/20、もう二度と隣でマイクを持つことは出来ないのかもしれないという想いがあったので、この日は奇跡と思って本番に臨んだことをずっと忘れない。
帰り際、お帰りになる藤田さんが、「じゃあ、のんちゃん、また!」
と言いながら手を挙げて下ろした瞬間、少し手を前に出した気がした。
あれ?って思う間に、もう手は戻っていたけど・・・・・、今思えば握手だったのかも知れない。
握手を求めることなんて今まで長いお付き合いで一度もなく、今思えば大病を経た藤田さんの中でその日会った人と別れる瞬間に様々な想いがあったこととだろうと思う。
その手を取って握ってあげたかった。
私がすぐに手を出さなかったからひっこめた手。
すぐに気付けなかった自分がなんとも情けなくそれだけがずっと心残り。
ありがたいことに、翌日、翌々日は関西でも東京でも追悼の特集や番組を組んで頂き、
悲しみの中にも、改めて俳優藤田まことが如何に凄い役者だったかを思い知らされる日々。
写真や映像はとても冷静には見られる状況ではないけれど、
それでも情報番組の司会の方がどう締めくくってくれるのかそれだけは見届けたいと思い・・・・、テレビやラジオの前に身を置いた。
私の拝見拝聴した限りですが、古舘さん、みのさん、ニッポン放送のうえやなぎまさひこさんが温かい言葉で締めくくって下さったことに救われた・・・。
他でも様々な司会の方やコメンテーターの方々が優しい言葉を番組内で贈って下さったと聞いて、ただただありがたいと思う。
あまりに沢山の思い出と感謝の気持ちは言葉にしてブログに納まるものでもなく、追悼に相応しい文章もうまくまだ書けないけれど、少しづつ認めなくてはいけないのだと我に帰る想い。
子供のころから私にとって藤田まことは「まことおじちゃん」で、
仕事でご一緒するようになってからは、そう呼ぶわけにもいかず、ご本人は好んでいなかったようですが、
周りの役者さんに合わせ、「先生」と呼ぶ方が多くなってしまっていたけど・・・、
まことおじちゃん、
父は藤田まことという大きくて素晴らしい俳優に30数年も恵まれ、世界一幸せなマネージャーです。
おじちゃんを、「よくここまで頑張ってくれたと褒めてあげたい」と泣いていました。
幼い頃、私は父が出張で帰ってこないのはおじちゃんのせいだと恨んだりもしていたようですが、
様々な波乱を一緒にくぐり抜けてきた二人の関係は、ときに私たち家族も入れない、あうんの絆があったんですよね。
だからこそ、私たち家族のことも気にかけて下さった。
言葉にならない感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、司会のプロとして数えきれないステージに一緒に立たせて頂き、今はどんな舞台でも堂々と立つことが出来るのも先生が私に残して下さった大切な財産です。
私の中には先生との仕事で得た沢山のことが刻まれています。
声のトーン、相槌、間合い、お客様とのキャッチボール・・・。
そう、お客様が喜んで下さることが一番大事でした。
ディナーショーなどは、いつでも芸能人にばったり会える都会より、一生芸能人に会わないかもしれないくらい遠く静かな土地でお客様に喜んでもらいたいと、積極的にそういう土地に行きたがった先生のその心意気が私は大好きでした。
私の人生に大きな影響を与えたおじちゃんとの別れは、
私にとって人生の一つの節目。
もう一度、また隣でマイクを持って掛け合いたかった。
そしてもう一度、もう一度でいいから、一目会いたかった。
会って「おじちゃん、ありがとうございました。」と、
頑張った体をさすってあげたかった。
思い出と、感謝と、様々な想いが溢れます。
本当に、本当にお疲れ様でした。
そして、本当にありがとうございました・・・。
どうかようやく安らかに眠って下さい。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
斉藤典子