という歌詞がバンプにあるけれど
身体が本当に重い
重すぎて最終列車どころか
家から出れない
というか
布団から出れない
こんなことは今まであったっけというくらい
地に足がつかない
ふわふわする
重いのにふわふわするというのも変な感じだが
とにかくそんな感じだ
地縛霊とはこういう気持ちなのかと勝手に解釈をしてみるけれど
地縛霊というか
これは
自縛霊だ
自縄自縛というやつだ
熱があるわけでも
当然霊がついてるわけでもない(たぶん)
しかしこのままこの症状が進行すると
まじで自爆して霊になりかねないなと思い
俺は外に出た。
なんでこんなことになったのかというと
話せば長くなるから3行で説明するけれど
1.何十時間かかけて作ってみた曲が駄曲だった
2.自分にとっての幸せについて急に考え始めた
3.朝から虐待死のニュースをひたすら見ていた
思い当たるのはこいつら。かな。
とにかく部屋で歌詞を書こうにも
ギターを弾こうにも
集中力がほぼ皆無。ライム書けないタイム。
だから思い切って
(まじで「ハッ!!」とか「うおお」とか声をあげて)
部屋を出てみた。
二日ぶりくらいに外に出ると
重い。体が半端なく重い。
これ、俺の身体かよ。リハビリ必要なんじゃねーのかっていうくらい重い。
伝わりにくいかもしんないけれど
近所を歩いているおじいちゃんより遅いくらい重い。
人間って動かないとこんなに筋肉が怠けるんだな。
とにかく歩いてみた。
カメラを持って。
…正直、原宿渋谷新宿ならカメラを持って歩こうがどうということはないだろう。
しかし埼玉という東京都民に馬鹿にされるような土地で
カメラを持って歩いていると
「なにこいつ…サブカルが蕨にいるの?きもい」
という声が自分の中から湧き上がってくる。
そんな外野ならぬ
内野の声にこそ
自縄自縛を感じたから
あえてカメラを持った。
人の目を気にしすぎなんだよ。だから円形脱毛症も治んないんだよ。
そして黒のパーカーにニット帽、黒縁眼鏡にマスクをした
身長170cmくらい中肉中背の20~30代の男
という殺人事件の犯人に湧いて出そうな格好で街へでた。
下半身はパジャマ。靴はクロックス。偽物。
歩く。歩く。ただ歩く。
目的もなく歩く。
強いて言えば
なにか面白いものは撮れないかと探してはいたけれど
前述のとおり集中力は皆無。
感受性のかけらもない。
ネコを見つけても逃げられる始末。
近くの川を見ると
とても汚れていた。
不意に飛び込む考えは
自分のやってる音楽のこと。
たとえばこの川の汚さを
カメラでどう撮ったらみんなに伝わるんだろうか、と。
自分のやっている音楽はそういうことかもしれないと思うと
怖くてしょうがなかった。
誰も
とは言わないけれど
ほとんどの人は汚いものなんて見たくない
ツイッターでかわいい猫がいたら
そりゃ「イイネ」するだろうけれど
目がつぶれた猫や
足を切られた猫の画像だったらどうだろう
でも実際にはそういう環境にいる猫たちもいる
それを誰かが伝えてもいいんじゃないかとは思う。
伝えなくてはいけない時だってある
音楽は今、4つ打ちの流れから
楽しい、踊れる、笑える
そんな流れの中にある。
はっきり言ってそれはちっとも間違ってない。
お金を払ってきてくれるお客さんを楽しませることだけを考えている彼らは
本当に素晴らしいと思う。
でも、それは俺にはできない。
そういう「楽しい」がわからないから。
そしてその4つ打ちの裏打ちの裏で
楽しめていない人が絶対数いると思ってる。
そんなやつらにとっての「楽しい」を
作ることはできないのかなって
最近いつも考えている。
誰もが飲み会でうぇーいしたいわけじゃない。
静かに話し合いながら
時に笑いながら
飲みたい人だっていると思うんだ。
だって俺がそうだから。
そのためにはもっと覚悟が必要だ。
汚い川でも
急な増水でも流れないくらいの杭を
どっかに打ち込まないといけない。
そんなよくわからんことを思いながら散歩を終えた。
日向文が思春期を終えたと言っていたのを思い出す。
俺は思春期真っ只中以下の下の下の泥沼の底にいて
どうやらもう這い出すには難しそうだ。
頼みの綱もねじれてひねくれて
絡まってしまった。
身体はまだ重い。
重いからこそ
思い切りよく動かないと
自縄自縛してる縄はふりほどけない。
みっともなくていいから
ただ、曲を書く。
今はそれしかできないから。
写真は一枚しか撮らなかった。
これを見て
「五目並べがしたいなあ」と思った。
1人ではできないこと。
楽しいことひとつ。
