感じかた | さいたま市で楽しくジョギング

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私は、東京上野ラインと呼ばれている電車に乗っている。まわりの社会人は夏休みが終わり、出勤しはじめたようで、先週の平日よりもかなり人が多い。一方で、キャリーケースを持っている人たちも目につくので、今日も休みという人達もそこそこ多いようである。

電車の窓から外を覗く。窓の外は暗い。だいぶ、日が短くなってきたように思う。夏至の頃なら、まだ明るくて散歩ができた。今はそんな気にもならないくらい、しっかりと暗くなっている。

暗い、か。

世の中は、お先まっくらだ。いろいろと悪いニュースが多いし、なにもかもうまくいっていないような気がしてしまう。ニュースをみれば、東京オリンピックではゴタゴタが多く、世の中で殺人事件が多発し、政治家(特に野党)は論理性がなく見苦しく、中国韓国の圧力は見るに絶えず、中東地域は不安定。

見ないほうがいい。すべて、暗い世界に閉じ込めてしまえばよい。世の中は見たくない。私は、そうして目を瞑った。

ものの見方とは恐いものだ。悪く考えてしまうと、何もかもが悪く見えてしまう。ものを見るときの、精神状態で、世界の見え方が変わる。感じかたが変わる。全く違う世界だ。

ものの感じかたには、人による差が大きい。一般的に、右寄り左寄り、前向き後ろ向き、がある。左右前後ときたら上下もあるだろう、とふと思い付く。これは、テンションが高い、低いがよいだろうか。なかなかいいアイデアと、ひそかに感心する。他人がみたらにやけていたかもしれない。

一方で、見え方の変化が大きいのは、個人のなかの精神状態に起因するものではないだろうか。調子がよいときは、世の中を良いものとして見ることができる。調子が悪いときは、何を見ても悪く見てしまう。

私は今、調子が悪いほうにいるのかもしれない。世の中を悪いものとして見てしまう。こまったものだ、と私はまた電車の外を眺める。

世の中で起きている現象は同じ。私がどう感じようが、どう考えようが、結果は何も変わらない。それが事実。そのこと少し考えてみる。目を閉じて、自分の頭と考えてみた。

私は目をゆっくり開けた。そして、うなずく。何事も良いほうに考えよう。それが、私にとって一番得である。良い方向に考えて悪いことは何もない。むしろ不安が消える。今から、頭を切り替えよう。

そんなことを考えていたら、大宮についた。さて、家に帰ろう。家族が待っている。