ある日 夫が一本の掛軸を持って帰ってきました。
「これはな~、明治・大正頃の日本画やで」
くるくるとひろげて見せてくれた それには
孔雀の絵が色鮮やかに描かれていたんです。
その当時の作品はもう手元にないのですが、その後弊社で入手したもの。
まさにこんな絵だったなぁ・・。
掛軸といえば墨で書かれた絵や
筆で書かれた文字のもの、モノクロ~なもの・・・
という固定観念でしかとらえていなかった私がはじめて
「え・・・・・?? カラーやん・・・」
と思った瞬間でした。
そして…グッと惹きつけられたのは
孔雀を形どる輪郭線、
羽毛を描くおびただしい量の線、
その一本一本の線描でした。
「この迷いのない線はなに??どんな筆で?どうやって描いてるん????」
頭の中は「?」でいっぱい。
習字の経験があればわかると思いますが、
筆でかく線というのは筆圧で太細がいとも簡単に変えられる。
逆にいうと同じ太さの線を引き続けるのはとても難しいということです。
緊張感と集中力がないとできない上に、一瞬の気の緩みで太細を間違えると全体をぶち壊しにしてしまうこともあり得るわけで・・
描ききるまで失敗が出来ないこの日本画ってものすごく緻密な作業の上に完成してるってこと・・・???
うぉ~~奇跡的じゃんか・・・絶句。
一見、誰にでも描けそう〜な絵に見えるけど
夢中になってその孔雀の絵の隅から隅まで
くまなく線描を追いました。
書き損じてる?
失敗してる?
と引っかかる箇所が一つもない・・
息をのんで じっとみつめること・・・
3分ほどだったでしょうか。
それはまるで
孔雀の中に入り込んでいくような感覚。
作家が絵を描く姿や筆づかいが目に浮かび、
自分がその筆に入り込むような感覚までありありと感じられました。
この線が描けるまで、どんだけ練習したんだろう?
アトリエはどんな部屋?・・画材が散らばって・・作家は着物を着てるんだろうなぁ・・どんな姿勢で描くんだろう?
昔見た時代劇のワンシーンのような古い時代のイメージがしばし脳裏を駆け巡り・・。
明治・大正の時代へタイムトリップ。
「ふぅ~~…。」
ふか~~い夢から覚めたような・・。
で、
我に返る。
あ・・・。
なんだかすごくこころがシーーンと静まっておだやかになっていることに気づいたのです。
3分といえばカップラーメンが出来上がるまで(笑)
そんな、たった3分でも時を忘れて心を静める瞬間を日常の中で持つことって・・よく考えてみればあまりない気がする・・・いや全然ないよ?うん。
そんな心静まる時と、
忙しい日常生活とでは・・
同じ3分でも
立ち止まって景色をじっくりと見るか、
ゴールを目指して脇目も振らず、まっしぐらに走り抜けていくか、くらいの違いがありますよね。
そのむかし、日本の家屋にはどこの家にも必ず掛軸がありました。
気に入った掛軸を掛けて一日に何回も「これ、いいなぁ~」と思ってその前に座る。
日本人は古くから誰しもそうやって日常生活の中に
ちょっと心静かに忘我の境地に至るような時間を持ってきたという歴史があるのです。
一本の古い掛軸を前にするとき、
そのいにしえの日本人と自分が時代を越えて今つながっている、ということに思い至らない人はいないのではないでしょうか。
製作年が明治大正期なら100年、さらには江戸時代ともなれば2~300年前の人が描いたこの絵。
なおさら感慨深いものがありますよね。
骨董とタイムトリップは切っても切り離せない関係だなぁと思います。
ところで我が家はマンション暮らし。
実は床の間がありませんでした。
え?骨董商の家にはみんな床の間がある、って思ってません?(笑)
床の間はなくてもフック一本あれば掛軸は掛けられます。
うちではリビングの、普通ならテレビを置く側の壁に
テレビではなく掛軸をかけました。
掛軸は和室のもの、というのは日本人に染み付いた先入観。
現代アートの額をフックに引っ掛けるように
掛軸をかけてみる。
たとえ洋室でも、そこに掛軸が一本あると部屋の空気が変わります。
気がつけば悠久の歴史にタイムトリップ。
だれにでもそんな素敵な時間がやってくるのです。
自分の持っているものでも、昔のものに接するとタイムトリップができますよね。
昔聞いた音楽。
夢中になったドラマや漫画、
古いアルバム。
おじいちゃんやおばあちゃん、もっと遡って顔も知らないご先祖から代々受け継いできたものがお家にもしあれば、ぜひ一度目の前に広げて見てくださいね。
たとえ書かれている字や印が読めなくても、
たとえ何の焼き物かわからなくても。
皆が大切にしてきたから今ここにあるんだなぁ~
どんな思いでこれを眺めたのかしらん・・
これのどこがいいと思ったのかなぁ?
自分もおんなじところが気に入ってたりして?
購入価格は高かった?安かった?
その頃はどんな暮らしぶりだったのか・・?
なんて色んな疑問が沸き起こり、その時代に思いをはせる。
今ここにあるものがもし100年前、いや300年以上も前のものだとしたら・・?
いったい何人の人たちが大切に受け継いできたのでしょう。
たとえそれがしまいこんで忘れ去られていたものだとしても、です。
そういう引き継ぎが、日本人の精神文化をも連綿と繋いできたんだとおもうのです。
骨董には人を一瞬にして いにしえの歴史へとタイムトリップに誘い込むパワーがある。
生活の中でこころが静まっていくツールとして使える骨董たち。
しまいこんでる場合じゃありません。
自分の家のリビングがパワースポットになる。
骨董がパワースポットだと感じる理由です。
でも~~・・・骨董って、飾って鑑賞するもんじゃないの?
小汚くて触ったら壊れそうだし・・そもそも使うもんじゃないよね?
つづく・・・
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葉山彩子
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生家が代々続く骨董屋だったわけでもなく、短大卒業後の仕事は保育士、もちろんのこと骨董品のことはほとんど知らず鑑定なんかできません。
そんな私がなぜ会社社長になったのか?
プロフィールに書いてみました
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「心斎橋 暮らしのこっとう」
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毎月第一土曜は骨董への近寄りがたさや敷居の高さを下げるべく
様々なイベントを開催中〜🎶
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株式会社 縁 (えん)
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