この道35年のベテランバイヤーであるオットがよくいうのですよ。
「本物と偽物がわかるようになる一番の早道はいいものだけをひたすらみる。
そうするとヘンなものが一目でわかるようになるねん。
まぁでも、審美眼ってうまれつきある人とない人がいるからなぁ・・・。」
それをきいた私は
「え?うまれつき?」
なんだって?
じゃぁ、先天的に審美眼が備わっていない人は経験を積んでもわかりっこないが、備わっている人は経験が浅くても本物と偽物の見分けができちゃうんだぜぇ、ってこと??
いやいやいや・・そう言ってしまった時点で摘んでしまう芽があると思いません?
なんかわからないけど最初にセンスある人とセンスない人とに分類されてしまうような・・しかもそれ、自分ではわからない。
となると自己評価ではなく人に認めてもらわないといけないもの?
それじゃなんだか不安になるじゃありませんか~。
その上、自分より経験のある人に審美眼がないと決めつけられては・・諦めの境地に陥りません?
あるかないかなど、ヒトに決められるもんでなし。
ないなら、いまここから育てればいいのに。
育つものも育たないじゃないか・・
むくむくと怒りが湧いてくる私。
審美眼ってそもそもなんでしょうか?
ググってみると「美を識別する能力」とあります。
美しいものを「あぁ。いいなぁ。」と飽きずに眺めて楽しめる。
そういうものがあると自分の心が豊穣になりますよねぇ。
その「美」の捉え方は人によって様々に違うと思うのです。
人には皆それぞれの「好き嫌いセンサー」のようなものが備わっています。
こだわりの強弱はあれど、どんな人にもです。
服や靴の着心地履き心地、
お洒落小物や鞄を買う時、
安眠できる枕や布団の肌触り、
椅子やソファの座り心地、
コーヒー好きならそれを飲むためのカップを選ぶ時、
お家ごはんが好きな人ならどの器を使うかなど、
自分が普段使うものを選ぶ時に「あ、いいな」と思った好きなモノを選んでいませんか?
人は何かを選ぶ時に無意識に発動する好き嫌いセンサーを内蔵しています。
美術館に行く時にはその「好き嫌いセンサー」が大活躍します。好きな作家の作品を見てセンサーがフル稼働する瞬間のなんと愉しいこと。
一人で行くなら、自分がどんな作品に刺激を受けるのか。
自分がどう思うか。それをとことん楽しむ。
一緒に行った人がいれば、他人はどう思うか。
そこから透けて見える価値観の違いが楽しめるということですもんね。これまた楽しい。
アートの楽しみというのはそこに尽きるのじゃないかと思うくらいです。
人それぞれ楽しんだらいいやん。
それでいいやん?
と、思っていた私ですが・・・
本物と偽物がわかるようになる審美眼って、どんなもの?
気になります。
ないよりあったほうがいいよねぇ。
なんか格好良さげだし。
育てられないのかなぁ・・。
骨董バイヤーだけが出入りできる古美術品市場で日々売買を専門にしているオットたちの仕事場には うなるほどたくさんの骨董品が毎日目まぐるしく流通しています。
本物も偽物も古いものも新しいものも玉石混交。
彼らの目の前を通り過ぎていく古美術品の数は一般の人が一生で見る美術品の数とは比べ物にならないほどの多さ。
経験値が天と地ほどに違う・・・そりゃぁね、おのずと眼も養われると思います。
オットたちは美術品に価格という価値をつけて売買をするのが仕事です。
今、人気がある作家や、流通価値のより高いものを見極めて、どれだけ多くのバイヤー(やその先にいるお客様)がその作品を見て価値があると評価するかを判断する能力を磨いています。いわゆる鑑定って言われるヤツですね。
多くの売買経験によって、彼らにはいくらで買い、いくらで売れるか、という価格についての鑑定眼が備わってくるんです。
ところがですよ・・オットのいう審美眼というのは、いいものと悪いものを見極める眼のこと。
ここでプロの世界を垣間見れる稀有な立場にいる骨董屋嫁の裏話をしちゃいますとね・・
審美眼ではいいと評価されたものでも、
鑑定眼では高い評価にならないことがあるんです。
本物と偽物がわかる審美眼によって選び抜かれた「いい作品」だとしても、その価値が必ずしも「価格」とイコールではないことがある。
いくら本物であっても・・資料的価値があっても・・人気がなく値段がつかない作品も多いのです。
骨董の世界では往々にしてそういうことが起きる。
鑑定眼での評価と審美眼での価値判断はどうやら正比例しないこともあるようです。
もし審美眼と鑑定眼での評価がイコールになるものなら・・美術館学芸員や美術教論家はみんなすぐに骨董バイヤーになれるはずです。でも実際にはそんなことないのです。
プロバイヤーであるオットが
「コレ、すごくよく描けてていい作品やのになぁ~名品やで!なかなかないもんやで!なんで売れへんねんやろなぁ~」
となげいていることがあるくらいですから、美術品の価値は値段だけで測れるものではないということなんですね。
骨董屋の嫁になって初めて感じたことですが・・プロバイヤーの仕事は相場師のようなものと私は思っています。
骨董は「株」とか「初物の鮮魚・野菜・果物」みたいなもんと言ったらわかりやすいでしょうか?
骨董品も相場が変動したり、時価のようなものがある。
常にそれぞれの作品が今「買い」か「売り」かを見極めて売買するために、どれだけ多品目の相場を把握するかが重要になってきます。
その判断をする時に自分の好き嫌いセンサーが大活躍すると思いきや・・・実はそのセンサー、あんまり介在しないのです。
いや、介在しないほうがいいと言っても過言ではない。
それが証拠に
「骨董が好きで骨董業界に入ったら・・すぐに身上食いつぶしてしまう」
と言われているのですよ。
え??意外・・・でしょ??
なぜならバイヤーは買ってもすぐ売るのが仕事。
好きな作品を、
気に入って手元に置いておきたくなったり、
値打ちあるものを売るのが嫌になってしまうと、
どんどんモノがたまり、バイヤーではなくコレクターになってしまいます。
そうなるとお金が回らなくてすぐに商売は傾いてしまう。
コレクターになってしまって骨董業界から姿を消したバイヤーが過去にどれだけいるか・・だそうです。(オット談)
というわけでオットは業界一、回転率の早いオトコと言われておりました(笑)
仕入れたものを翌日には早々に売ってしまうんです。
ウチに古美術品はほとんどありませんでしたよ・・めまぐるしいったらありゃしない。(*まだお店をしていなかった頃の話です。詳しくはプロフィールをご一読くださいね)
そんなクールなバイヤーであるオットでも時々作品を見て言うわけです。
「おっ。これはいい!
すごくよく描けてていい作品やなぁ~名品やで!
なかなかないもんやで!手元に置いておきたいなぁ・・」とね。
ところが悲しいかな・・私がそれを見せてもらっても・・
「これのどこが????」なんですよ・・。
オットが感嘆した「おっ。これはいい!」
・・の・・何が「いい」のかわからない・・・
そういうことがよくあるのです。いや、ほとんどそうです。
これってなんかすごい悔しいんですよねぇ・・。
それがわからないままなので、
「キミには審美眼がないんじゃない~?」と
暗に言われたような理不尽な思いが募る。
あれ?この感じ・・何かと似てるなぁ?
と思っていて気づいたことがあるんですよ!
骨董って興味あるんだけどな~~
骨董屋さんってなんであんなに入りにくいんだろうねぇ~~
って思いをしたことありませんか?
知識もないのに入ったらダメなような、
大金持ちでもないと見る資格もないような。
客がお店に入るのに、そんな理不尽な思いを抱くなんてヘンですよねえ。
それって「この人・・骨董のことを、まだまだわかってないくせに入ってきたんじゃないの?」「わかってないんなら、ダマして高く売りつけよう」などと店主が思ってるに違いない!とか思うからじゃないでしょうか?
ま、実は私もつい最近まで思っていたんですけどね(笑)
素人は入ってくるな、って世界なの??ってハナシですよね。
でも悔しいじゃないですか。
骨董屋の店先に並んでいるものや、
美術館にあるものや、
バイヤーが仕入れてくるものの、
「何がいい」のかをわかりたい。
生まれつきの審美眼がないなら育てたいっ!
理不尽な思いをするのが嫌な私は、いつもそう思うのです。
とはいえ私は骨董市場へ行ってプロバイヤーなみに多くのものをみるわけじゃありません。
審美眼を育てるといってもどうすれば??
バイヤーたちと一緒になって相場師になれそうなほど鑑定眼を磨かないとだめなのか?
ずっとその思いが胸の中でモヤモヤしてました。
そしたらね、やっと見つけたんですよ。いい方法を。
ある美術業界に関わる方がおっしゃいました。
「よく似たものを見比べて見よ」と。
どこがどう違うか表現方法をつぶさに見比べることで
まず観察力が育つ、のだそうです。
ココ大事です。
観察力が身につくとはどういうことか。
違いがわかる、ということです。
好き嫌いセンサーを発動させて自分がいいと思うものを愛でる、と言う行為はアートを楽しむことだけど、それで終わってしまうのではなくそこからもう一歩踏み込んでみる。
見比べることで違う視点が持てたら、
世界が大きく変わって見えるはず。
これだとモノが二つあればできることです。
オットの言った
「いいものだけをひたすらみる。
そうするとヘンなものが一目でわかるようになるねん。」
が、どういうことかというと、彼は修行時代にしょっちゅう美術館に通っていい作品を目に焼き付けて帰ったそうです。
そして玉石混交の骨董市場に行く。
するといいものが目に飛び込んでくるようになったらしいんです。
これも結局は見比べているということですよね。
そして違いがわかるようになった。
なぁ~んだ。あなたの審美眼も生まれつきではなくて、育てたんじゃないの?(笑)
ならば「審美眼なんて高尚なモノ、自分にはないわ~~」とあきらめるのはまだ早い。
審美眼が美を識別する能力、ひいては本物と偽物の違いがわかるようになることだとすれば、それは観察力が備わることで育むことができる。
色のわずかな陰影や描線の太細が立体感を表していたり、
手間がかかってもそう描きたかった作者のこだわりっぷりが感じ取れると、
作者のものの考え方までわかることもあるらしいですよ。すごくないですか?
ある作家が描いた絵の特徴やクセが見分けられるようになると、同じ作者であっても描き方の変遷や出来不出来などの違いもわかるようになって・・「もしかしたらこれ、本当に本人が書いたのかな?弟子とか別人の作じゃないか・・」な~~んてこともわかってくるかもしれないんですってよ!
そんな本物と偽物がわかるような審美眼があれば面白そう~~って思いません?
自分の好きなものをいいなぁ~って楽しむ自己完結型な観賞から、
作品を通して作者の思いまでも汲み取れるようになったら・・
それって今までの3倍、いや5倍も10倍も楽しめるじゃないですか!
さ~~て、まずは観察観察・・・。
あ、ちなみに美術品の現物を二つ並べて見るに越したことはないのですが、
図録とか印刷物、写真でやってみてもいいそうですよ~。
このブログでは、これからちょいちょい
審美眼が育つ「見比べ」画像をご紹介していきます。
骨董女子のための「プチ目利き講座」つづく〜♪
いつかオットの鼻をあかせてやりたい・・・そりゃちょっと無謀か・・・せめて「おっ?」といわせたいもんです。