今日は僕の参加しているコミュニティの話をします。

僕が参加しているコミュニティは
新田さんや小田さんが中心になって作っているコミュニテイで

NextDimennsionと言います

もうかれこれ8年くらい続くコミュティで
僕もメルマガ版やオンライン配信版で参加したことはあったのですが

ただなんとなく送られてくるものを見たり読んだりするだけじゃ

もったいないなと思って、思い切って実践コースに参加してみました。

 

実際に小田さん新田さんに会える!と思ったのですが

コロナでオンラインサークル化してます(笑)
自粛解禁されたらお会いできるので楽しみにしてます。

ここのスタッフさんもみなさんあちこちで活躍していて既にご自分でも

コミュニティを持っている人ばかりで驚きますけど、
参加しているメンバーさんもあちらこちらで活躍しているすごい人たちで

こんな人居たんだ!と驚きが止まりません。


もちろん僕みたいにぜんぜんすごくない人もたくさんいて、
すごい人たちから刺激を受けたり、逆にその人たちに少しくらいは
元気を返せたりしているのかな・・とも思っています。

普通は主催者が月収何百万を目指して、アフィリエイトやっていきましょうとか
物販で頑張ろうとか、メルマガ発行しましょうっ。そのためには、

これをこうしてどうやってやって・・・ていう感じで
いわゆるノウハウだとかハウツーを教えてくれて
参加者はそれをひたすら学んで実践していくんですけど。

ここではそういったこがメインではなくて

(もちろん"稼ぎ方"も教えてくれはするんですけど)

今までの世界はこうだった、
こんな歴史で日本は歩んできた、
これからの世界はこうなるよね

人々はこんな風に変わっていくんだろうな、
だから僕らはこういう風に歩いていこう
っていう、マインドセットとも自己啓発とも違うんですけど
観念っていうか、抽象度の高い学びを行っていて

ただ抽象度が高いだけじゃなくて
それを僕らにもわかるように事例やエピソードをちりばめ
雰囲気や空気感から肌で感じていく、腑に落としていく

そこから、自然に行動が起こせるようにまで高めていこうって
そういうコミュニティです。

ビジネススクールというよりは、生き方、学び方サークルですね
もちろん生きていくのにお金は必要なので
そういう学びもあります。

僕らはそれを部活と呼んでいますので
やっぱりその辺でもちょっと違った雰囲気ですね。

いろいろな学びがカリキュラム通りに進むのではなくて
いや、カリキュラムもあるんですけど、
毎日のように色々な話題や突発的なライブセミナーが開催されていて
油断も隙もあったもんじゃないです。

ライブセミナーはビデオで配信もされるので
見逃してもあとから見ることはできるんだけど

やっぱりライブ感があるのとないのとでは大違いだし
なにより参加している感覚が嬉しいので
いつもFacebookの通知が来ると即インして参加しています。

普通のライブセミナーがどういうものなのか、他のライブを知らないので
わかりませんけど、ここのライブセミナーはメンバーみんなが
どんどん気づいたことや学びのポイントをチャットで発言してくれるので
学びが浅い人でも先輩方?からも学ぶことができるのが特徴ですね。

あとは、参加している方々もちょっと他と違って、他の人の役に立ちたいっていう
気持ちの人が多いんです。

もちろん他のコミュニテイでもそういう方はいらっしゃるんですけど
ここはほとんどの方が参加メンバーやスタッフ、主催のお二人に
何か助けになることはないかっていう考えでいて、
他ではなかなか見られない光景が毎日のように繰り広げられています。

ここに参加したみなさん、ほんとに短期間で大きく変わっていってます
僕自身も先月、先々月とはたぶん大きく変わったと思います


今、コロナで世の中に不安を感じている方も多くいらっしゃると思うのです。
もちろん僕もこの先どうなるのだろうか、という不安はありますが

このコミュニティに参加しているおかげで
不安と同時にどう生きていけばいいかも見えています。

未来が正確に予測できるわけではないので
思った通りに進んでいくかは進まないとわからないのですけど
未来って自分で創り出していくものですから
その道筋はぼんやりと見えているっていうことでしょうか・・

まだまだ学びが足りていないので中々コトバにするのはむつかしいけど


その道筋っていうのは

例えばビジネスで言えば
大きな会社を作って何万人っていう人を動かすスタイルではなくて

これからは、他のビジネス(リーダー、サークル、コミュニティ)と

手を取り合って自分のビジネスと他のビジネスと潰し合うとか競争ではなくて

その都度協力し合っていく、お互いを盛り上げ合っていく。

 

言葉を変えれば離合集散を繰り返して
また、その時々で適任者がリーダー役をやって
仲間と共に進んでいくっていう道ですね

他者の為に何ができるか、どうしたらあの人の手助けができるか
明るく、軽く、熱く、輝く未来を想像して、創造するっていう
ちょっと宗教っぽくも聞こえてしまうかもしれませんけど
そういうのとは違って(宗教が悪いとは言っていませんよ?)

引き寄せの法則とか、どっちかっていうと縄文時代の集落に近いかもしれないです
それも変な例えかな・・

一人でも多くの人が、他人の為に輝くような生き方をすれば
それだけ、いい集まり、関係がたくさんできて来るから

そこで真の幸せを見つけることができる。

お金も知恵も一人で独占してしまったらそれはもう存在しないのと同じです
より多くの人が自然と人の優しさに調和する世の中を創っていきたい

成功者となっても孤独の内に一生を終える人もたくさんいます

僕らはいわゆる成功者を目指すのではなくて

一生を通じて幸せを祈り合えるようなそういう関係性の中で生きていきたい

そういう社会を実現したいと考えています。

 

 

えこひいきされる人とされない人の違いってなんだろう

 

教える側からすると、本当はできるだけ平等に扱うのが

正しいんだろうなとは思うんだけれど、

教える側も人間なので、どうしても力を入れる子って出てきちゃう

もちろんそうではない子に対しても手抜きをするってことはないんだけど

力をより入れる子っていうのはどうしても出てくるんだよね。

 

で、どんな子により多くの力を注いでしまうかというと

 

頑張っている子

結果を出す子

 

これに尽きるかと・・

 

おバカな子ほど可愛いというけれど、

ぶきっちょなんだけどすごく頑張ってる子っていうのは、傍から見てても

応援したくなると思いますよね?

 

教えていると尚更で、歯がゆくて、どうしてかな~、なんでできないかな~とか

思いながら力を入れていくから、結果としてひいきすることになるし、

 

もう爆速で結果を出していく子って、ある意味にくらたしいんだけど

やっぱり結果を出すから面白くって、先へ先へと連れて行ってあげたくなったりするんですね。

 

こういう子はだいたいそのうち自分よりも優れた結果をだして卒業していくんだけど、

そもそも教えるっていうのは自分のところから卒業してもらわないといけないから

ドライに見ると割と効率のいい生徒さんってことになるのかな。。?

 

ひいきされるっていうのは、他の子からすると

妬みや嫉みの対象になったりするんだけど

もうこれって仕方がないことと割り切るしかない

 

だって、努力をしているってことを恨まれたからって

努力するのやめるのってバカらしい

 

ひいきされている子に嫉妬を感じる人ってだいたい努力していないか

努力をした気になっているだけの場合が多いんですね。

 

別の言葉でいえば、形として成果を出していないか

又は形だけの成果しかだしていない場合がほとんど

 

作業や課題をださなかったり

誰かの成果を丸まる写してるだけだったり

それって本当に努力したの?っていう内容であることがほとんど

 

ひいきされるっていうのは得だし、されないよりされた方が良いに決まってる

 

じゃあ、どうしたらひいきされるようになるのかって言ったら

 

もうシンプルに

 

素直に聞いて、愚直にこなす

 

これだけ

 

あれやこれやと理由を付けて課題をやらない、理解する努力を怠る

楽することや裏技を探すことばかりに注力して、そのくせ人一倍結果を求める。

 

そんな人をひいきにしたいと思う指導者はあまりいないと思いますよ

小学校や中学校の先生ならいざ知らず、

 

ひとたび社会に出たら、そんなことで評価されることはまずないし

学校と違って何が問題か誰も教えてくれないから、

 

気が付くともう手の施しようがなくなるなんてこと

よくありますよね。

 

 

人はみんな平等だと教えられてきた。

 

だけれども、それは本当だろうか?

 

人は本当に平等なのかな?

 

生れた時代、地域、親、人種、性別、その全てにおいて人は平等ではない、

 

同じ努力をしたから同じ結果が得られるとか、同じ評価があって当たり前とか

それって理想なのかもしれないけれども、現実はそうではないし

 

努力で埋められるものではない違いは仕方がない。

 

だからと言って僕はべつに差別主義者ではない、平等ではない=差別でもないとも思う。

 

僕が言いたいことは人はみんな平等がいいよね、ってことでも

平等じゃなくてもいいよねって事でもないんだ

 

そもそも平等かどうかなんてことは実はそんなに重要だとは思っていないんだ。

 

平等とはなんであるか?って僕の中にきっと答えは見つからない、というよりは

正解が分からないってこと。そもそも正解はあるのかな・・?

 

僕はそもそも、「平等に扱われたい」って思っているのかすら曖昧なんです。

 

努力をしたことは認められたいし(誰に?)

できるだけ楽して結果を得たいとも思う。

 

努力をして得た結果と、楽をして得た結果がたまたま同じだったとして

結果だけを見て評価するなら、それは同じ評価になるよね?

 

でもきっと僕はそれじゃ満足しない。

 

努力をした分、よりたくさんの評価が欲しいと思うだろうな。

 

先生やコーチに教わっているとき

他の生徒や弟子よりも褒められたいと思うし、えこひいきされたいと思う

 

 

教える側、指導する側の立場に立ったとしても同じ事を考えると思う

 

 

目を輝かせながら一生懸命に僕の教えを聞こうとする子

打てば響く反応をする子

1を教えれば10を考えて来る子

 

例え、出来が悪かったとしても一生懸命学ぼうとうする子や

少しの教えで結果を出す優秀な子は、

 

教える側としても、ついついひいきしてしまう。

 

だって、学ぶ意欲の無い人に教えるのはこちらも辛いし

結果を出せないことが多いから、教えている時間も無駄だし

そもそも教えていて面白くない。

 

だから僕はえこひいきするし、えこひいきされたいと思っているんです。

生徒に気に入られたいし、気に入った子には力を注ぎたい。

好き嫌いで人を選ぶなって言われるかも知れないけど、好き嫌いで選びます。

 

えこひいきされたくなんて無いし、そんなのずるい、と思う人もいるかもしれない。

その考え方も否定するつもりはないし、そう思う人はすべての人に平等に接してみるといい。

 

僕はそんな聖人君子のような人格者でもないし、そもそも人を平等に扱うだけの

能力も持ち合わせていないので、自分のできる最大限の事をやるだけ。

 

だから、持っている時間の中で、生きている時間の中で

最大限に良い学び、良い出会い、良い結果を産みだすために。

そしてそれを自分でも繰り返し、誰かに伝えていきたいから、

えこひいきをするし、されるように努力をしていこうと思ってます。