前回からの続きです。

 

学校へ行かせようとすることを止め、長男の気持ちに寄り添う方向へ切り換えた頃の記録です。

 

 

少し話がそれますが、誰かに相談しようか迷っている方がいるなら一度相談してみることをおすすめします。

相手も人間なので相性が合う・合わないは必ずあると思います。

でも、話をしてみないと合うのか合わないのかさえわかりません。

体裁やまわりの評判でなんとなく避けているのなら、チャレンジしてみてください。

その出会いが、心を軽くするきっかけになるかもしれません。

 

祖父母と長男の間でグラグラ揺れていた私の気持ちが、長男を守るという方向へと定まった頃。

長男のクラスの担任の先生の勧めもあり、週1回スクールカウンセラーと話し合いの場を持つことに。

話し合いといっても長男が参加するわけではなく、私だけが学校へ赴き、スクールカウンセラーの先生と1対1で話をするというものでした。

 

1回のカウンセリング時間は40分ほど。

私が家庭内の状況を伝え、それに対して否定することなく聴いているという感じです。

私の胸の内を吐き出すことができるようにサポートしてくれていたんだ、と今なら思います。

 

家庭内の重い話を気軽に友人に話すことができないという人も少なくないのではないでしょうか。

私もその類です。

「相手にとって迷惑じゃないかな」「こんな話聞いてもつまんないよな」などと先に考えてしまって、気軽に友人に弱音を吐き出すことができないのです。

そんな当時の私にとっては、自分の思いをただただ受け止めてもらえるカウンセリングの時間は、とても重要でありがたいものでした。

 

スクールカウンセラーの先生はこちらの話を聴くだけではなく、こちらがアドバイスが欲しいときには具体的なアドバイスをくださりました。

例えば、祖父母に長男の状況をなんて説明すればよいのかという話のときは、

「○○君は学校へ行かなければならないことは分かっている。頭では行かなければならないとわかっていても、体が動かせない状態。今は体と心を休めることが大切。」

と説明してくださり、祖父母にもそのように伝えました。

 

すると祖父母にとっては意外な答えだったようで、「そうか…。」と理解を示してくれるようになったのです。

 

祖父母にとっては、「学校へ行きたくない」と言っている長男の状態はただのわがままにしか映らなかったのでしょう。

「学校へは行くのが当たり前。熱や病気以外で休むなんて考えられない。」という前提を持っていたと思います。

 

祖父母は、いつもなら私の意見に否定的な反応を返してくることが多いのですが、スクールカウンセラーという第三者の意見だったせいもあり、意外なほどにすんなりと話を受け入れてくれました。

「学校へ行かなきゃいけないとわかっているけど、行くことができない状態」だと聞いてからは、長男への祖父母の態度に変化が見られるようになっていきました。

 

私自身が学校に対して強い思い入れがなかったせいもあり、長男の学校へ行きたくない気持ちは理解できる部分もありました。

ですが、世代の違う祖父母にとって「学校へ行かないこと」は「一般世間から大きく外れてしまう大変なこと」だったかもしれません。

 

教員歴の長かった祖父にとっては、まさか自分の孫が不登校になるなんて想像もしなかったことでしょう。

 

自分たちが体得している常識では理解できなかったことが、自分の目の前で起きているのです。

不安でいっぱいになり、自分たちの知っている常識の範囲内へと是が非でも戻そうとするのも無理はありません。

自分たちの不安の矛先が、自分たちの娘である私へのコントロールという形で表れていたにすぎず、決して私や孫への愛情欠如から否定的な言葉を放っていたわけではないのです。

 

…時間が経過した今だからそんな風に冷静に捉えることができますが、当時はそんな余裕もなく、いかに祖父母に長男の状況を伝えていくかに精一杯でした。

 

価値観の違う人間同士が暮らしていくにはコミュニケーションが不可欠です。

家族だからわかるはず、と思って言葉少なで終わらせるのではなく、わかりやすく噛み砕いた言葉で伝えていくこと。

一つ一つの行動の意味を伝えていくこと。話すこと。

 

今まで家族という形に甘えて言葉で伝えるということを疎かにしてきたことは否めません。

長男の不登校が、家族の在り方や私自身の在り方を考え直すきっかけとなったのでした。

 

 

次回へ続きます。

 

 

お読み頂きありがとうございました。

 

 

 

 

前回からの続きです。

 

 

お気に入りのタオルケットとぬいぐるみに守られて過ごす長男。

安心できる場所を、自分で作り出す力がある。

子供のたくましさには驚かされるばかりです。

 

私は祖父母からのプレッシャーの中、迷いながらも長男への登校催促を続けていました。

仕事を辞めたわけでもないので、出勤もしなければならない。

朝の一時は言い争いするものの、そこを過ぎれば祖父母へ長男の子守を頼み、仕事へ行って早めに帰るという日々でした。

 

毎朝布団の中にいる長男を説得するように声をかけ、自分は長男を置いて仕事へ行く。

 

正直仕事をしていてもずっと気になっているので、大した成果も挙げられず、職場にとってはきっと迷惑でしかなかったと思います。

子供のことで頭がいっぱいなので、まわりが見えていないのが救いです。

まわりの目を気にしていたら、成果を挙げずに在籍していることが申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたでしょう。

 

長男を家に置いて仕事へ行く。

祖父母は仕事をしていなかったので時間に余裕がありました。

長男の食事の用意や私が仕事で遅くなる時の次男のお迎えは、祖父母に頼むことができていました。

 

仕事が終わり家へ帰り、一見何事もなかったかのように一日が終わります。

でも朝が来ればまた不安定に逆戻り。

 

私自身苦しくなっていたのかもしれません。

自分のことに気づく余裕もなく、祖父母の目と世間の目に合わせて「学校へ行かせた方がいい」と思い込み、そのように動いていました。

 

いつものように長男へ「学校へ行ってみない?」「今日はどうする?」と、朝の声かけをしているとき。

ふと、「何かが違う」と気がつきました。

 

祖父母と長男の間に板挟みの日々の中、自分の心が音を上げたのかもしれません。

 

「学校へは行かせたくない」という思いが自分の中にあることに、ようやく気づきました。

こんな辛い思いをしてまで学校へ行かせたくない。

誰が何と言おうが、この子が学校へ行きたくないと言う以上は行かせない。

今度は私から祖父母への説得が始まることになります。

 

 

次回へ続きます。

 

 

お読み頂きありがとうございました。

 

前回からの続きです。

長男が不登校になり、学校や祖父母との間で揺れている頃の気持ちを記録しています。

 

 

揺れてもいい。迷ってもいい。

今悩んでいる人へ、過去の私へ。

そのときそのときの一瞬の気持ちに気づけますように。

 

 

 

朝、布団から出ることができずにいた長男。

「学校へ行きたくない」という長男と「どうして?」と問う私。

詳細なやり取りは今はもう覚えていませんが、当時同居していた祖父母から私へのプレッシャーがあったことだけは覚えています。

 

祖父母から孫へ直接「学校へ行きなさい」というのは気が引けるのでしょう。

「親であるあなたがしっかりと(学校へ行くよう)言いなさい」ということを言われていました。

 

私自身もまだ、

「学校へ行けるのなら行ってほしい。でも無理には行かせたくない。でも親からは行かせなさいと言われるし…。」

とグラグラ揺れている状態でした。

朝一緒に登校する班の子に「今日は私が送っていくから先に行っててね。」と声をかけにいくのが精一杯。

 

仕事へ行く準備をしながら長男の様子を気にしつつ、次男を保育園へ送って仕事へ行く。

仕事へ行って一段落したら、長男の様子を見に一旦家に帰るというのがパターンになっていました。

 

「学校へ行きなさい」という祖父母の無言の圧力と、私の「行かせるのか行かせたくないのかどっちつかずの状態」の中で、長男にとっては決して平和な空気とは呼べない毎日だったと思います。

そんな不安定な日々の中で、長男の心を守ってくれていたのは1枚のタオルケットとぬいぐるみたちでした。

 

長男が保育園の頃から使っているタオルケット。

寝る時や出かけるときはいつも自分のそばに置いている。

大事な大事なタオルケット。

 

 

※あとで知りましたが、小さい頃から肌身離さず持っている毛布やタオルのことを「おまもりタオル」や「安心タオル」と呼ぶそうです。

 

 

タオルケットとぬいぐるみを自分の布団のまわりに並べ、その中にいることが多くありました。

 

のちにカウンセラーさんとの会話の中でわかるのですが、これは自分の心がこれ以上外部からの刺激で傷つかないよう、自分で自分の心を守るための行為だったようです。

 

自分の大好きなものたちで自分のまわりに壁を作り、私と祖父母との言い合いや、声そのものから自分の心を守ろうとしていたんです。

 

家庭内の状況は最悪で、そんな状況下でも自分で自身を守ろうとする力があることに、とても驚かされました。

 

 

次回へ続きます。

 

 

 

お読み頂きありがとうございました。

 

 

前回からの続きです。

 

 

 

平日は仕事と保育園の送り迎えにワンオペでの育児家事の忙しい日々。

その分休日は子供とどこに遊びに行こうかと考えるのが楽しくて、それなりに充実感を得ながら毎日を過ごしていました。

 

そして長男が年長のときに次男が生まれました。

産休明けで次男を保育園に預けながら仕事に復帰すると、毎日が目まぐるしく過ぎていきます。

 

長男が無事に卒園し、訳あって長男は保育園があった学区とは別の小学校へ転校します。

 

私が仕事をしていることもあり、学校が終わったあとは学童保育へ入る手続きを済ませました。

 

学校も学童も、入った当初は嫌がっていたものの、友達ができてくると気持ちが落ち着いてきたかのように見えました。

学校生活にも慣れ、1年生が無事終わっていきます。

 

 

2年生が始まった4月の半ばを過ぎた頃から、朝の登校班の集合時刻に間に合わないことがちらほらありました。

 

1年生の頃は一度も集合に遅刻したことはなかったのに、だんだんと朝の準備が遅くなる日が増え、その都度私が学校まで送って行くことに。

ときには2時間目から行き、違う日には5時間目から行くこともありました。

 

そのときの私の仕事は営業だったので、比較的時間を自由に使える部分がありました。

長男の行き渋りに、ある程度自分で対応できていたのを記憶しています。

 

校門前まで送っていくと、自分で学校へ入って行く。

その後は授業が終わるまで受け、学校が終わると学童へ。

 

馴染んでいるはずの学童も「早めに迎えに来てほしい」というリクエストの日が多くなります。

私が仕事でお迎えに行けない日はおじいちゃんおばあちゃん(私の実父と実母)にお迎えを頼むことに。

学童には夕方5時頃にお迎えに行ってもらう日が続きました。

 

ドタバタの4月が終わり、5月の大型連休に突入します。

 

連休の間は私も仕事を入れずに、長男と次男を連れて遊びに行ったり、家でのんびり過ごしたりしていました。

普段は行けない少し遠くの公園へ行ったり、ドライブしたり。

 

楽しく連休を終え、いつも通り学校が始まります。

 

長男は連休中にしっかり充電ができたのか、4月のドタバタが何事も無かったかのように、スムーズに学校に行くことができました。

でもそれは連休明けの1日だけでした。

 

連休明け2日目。

 

長男は朝起きてはいるけれど、布団から出てくることができませんでした。

 

 

 

次回へ続きます。

 

 

お読み頂きありがとうございました。

 

 

 

我が家の子供たちは、現在ホームスクーリングを選択しています。

不登校の時期もありましたが、今は「家が自分の居場所」という感覚がしっかり定着しています。

 

子供が不登校になることで、私自身、たくさんのことを学ばせてもらいました。

今なら感謝できる。今なら言えることがある。

 

 

いくつかのパートに分けて、現在までの記録を書いていこうと思っています。

ドラえもんの道具のように、過去の私を助けに行くような気持ちで。

 

大丈夫だよ。ちゃんと前へ進んでいるよ。

そう声をかけてあげたい。

 

年数が経っているので、細かいところは覚えていない部分もありますが、ご興味のある方は覗いてみてください。

 

 

 

私は独身の頃から働くことが好きで、稼ぐことというよりは人の役に立てていることに充実感を覚えるタイプでした。

それが妊娠・出産期間は思うように動けなくなり、働くことを休まざるを得ない状況に戸惑いながらも、安産で長男を出産することができました。

 

慣れない育児に右往左往しながら、実母の助けを得ながらなんとか乗り切っていました。

長男が6ヶ月を過ぎたくらいから、「外に働きに出たい」という気持ちが沸き起こってきました。

 

もともと私は家でじっとしているのが得意な方ではありませんでした。

独身の頃、仕事が無い日は遊びに出ているか寝ているかのどちらか。

 

出産し、家にいる時間が多いことに、ストレスを感じ始めていたのでした。

 

そこで、1歳から保育園に入れることを目標に情報収集をすることに。

最初から希望の保育園に入るのは難しく、認可外保育園への入園が決まります。

子供を預け、仕事をするという願いが叶い、忙しい日々が始まります。

 

医療事務、飲食店のランチタイムのスタッフ、営業と職を変えてはいましたが、外に働きながら子供を育てるというスタイルが私には合っている。

まわりのママたちも働いている人が多く、子育てしながら仕事をしていることに何の違和感も感じていませんでした。

働くことで子育てと向き合う時間が少なくすんでいたという見方もできます。

一日中子供と一緒に過ごすことの方が大変なことのように感じていました。

 

仕事に逃げる時間があるからこそ、子供との時間も過ごすことができる。

勝手な言い訳に聞こえるかもしれませんが、そう思うことでバランスが取れていたのがこの頃の私です。

 

次回へ続きます。

 

 

 

お読み頂きありがとうございました。