こんにちは。

お読みくださりありがとうございます。

寒くなってきましたね。

そういえば、子どもが小さいときは

1人でお風呂に入ることができなくて

それがけっこうストレスで

もんもんとしていたなぁと思い出しました。

ひとり親なので、

他の大人がいるときにお風呂に入る

ということもできず、

夜、子どもが寝てから入ろうにも

子どもが謎に泣いて起きるという。(当時下の子5歳くらい)

夜泣きの年齢ちゃうよな?と不思議に思ってましたが…

寒くなってくると、「暖まりたい!」という欲求が強くなり

でもお風呂に入るのは難し、というときの

苦肉の策がこれでした。

 

 




フットバス!足湯!

ほぼバケツ!(笑)

足がじんわりと暖まると、ほ~っと、どこかが緩まる感じがします。

PC仕事に疲れたときもよく使っていました。

今でも外から帰ってきて、とりあえず足を洗っておきたいときや

どうも下半身に冷えを感じるときなどに

アロマオイルを1滴垂らして使っています。

冬が近づいてきて

寒さ対策が必須になります。

ホカホカグッズのパワーを借りて乗り切ろうと思います。



読んでくださり、ありがとうございました。

今日もあなたが幸せでありますように。






 

あるオープンチャットに参加しました。

不登校のママが安心して集まれる場所。

安心して思いを吐き出せる場所。

有料制ですが、今なら初月無料です!

 



ゆるっと日々起きたことを吐き出して、そうなんだね、と受け止めてもらったり
それわかります~、みたいな話になったり。

ゆる~くつながる。制限もしない。

外に出られないこともある不登校ママたちの居場所。

そんなゆるまるソファの今日の投稿から思ったことを書きました。





とあるメンバーの子どもは、人の多い場所が苦手。

「こんな場所ムリ…」と倒れそうになっていた話を、我が家の息子に伝えると

「暗くて狭くて1人になれる場所がいいよな」とポツリ。
(←ドラえもんか!)

息子もUSJに行きたいという望みはあるけど、実際に行くとなると

・人が多いこと
・場所が広すぎること

が心のカベとなって、一歩を踏み出せずにいる。

でも、ちゃんと自分の安心できる場所を自覚しているんだな、と思い

少しホッとしました。

自分の外でイレギュラーなことが起きても

自分の安心な場所や方法がわかっていれば

いつでも自分に戻れる。

大人になっても「無理をしない」は大事で

自分の理想と安心感を両天秤にかけ

行けると思ったときには踏み出す

踏みとどまることもときには大事。

合わない場所へ行ったら、そのあとの休息はとても大事。

自分に合う場所と合わない場所を知っておくのは

生きていく上で必要なスキルだな

と思ったのでした。



読んでくださりありがとうございました。
 



 

前回からの続きです。

 

 

スクールカウンセラーと私の話し合い(カウンセリング)はその後も隔週に1回ほどのペースで続けていました。

 

その頃、地域の不登校の子のママたちに会う機会もあり、私の思いを吐き出せる場所は拡がっていきました。

 

誰かに自分の悩みを打ち明けられることが、こんなにも心を軽くしてくれるんですね。

自分が元気を取り戻していくのが実感できるようになっていました。

 

逆に言えばそれだけダメージを受けていたということ。

自分の親に責められ、自分自身が自分を責め、追い込まれていたのでしょう。

 

悩みのピークの時期には、何を食べても美味しいと感じられず、何をしても楽しいと感じられず。

ただ毎日をこなしていくことに精一杯でした。

 

今だから言えることですが、私の場合は運が良かったのです。

話ができるカウンセラーに出会い、悩みを共有できる不登校児ママたちにも出会えたのですから。

 

その出会いが無ければずっとトンネルの中を彷徨っていたかもしれません。

私の気持ちが前向きになってくるにつれて、スクールカウンセラーとの話し合いを必要と感じなくなっていきました。

 

隔週に1回の話し合いをお休みすることを伝え、学校へは月1度、担任の先生と顔を合わせに行くだけとなりました。

 

「不登校」を受け入れることは、子供の精神状態よりも親の精神状態が大きく影響します。

 

「不登校」は、子供自身の足が止まって「学校へ行かない(学校へ行けない、学校へ行きたくない)」状態でいることです。

その状態をなんとかしたくて学校へ行かそうとするのか。

表向きは学校へ行かなくていい、と言いながら本心では行って欲しいと思っているのか。

不登校になってすぐはこのどちらかに分かれる親御さんが多いのではないでしょうか。

 

子供の将来への不安。

不登校家庭への世間からの目。

夫や実父母・義父母からの「学校へ行かせるように」というプレッシャー。

いくつもの不安やプレシャーには、一つ一つ対処することが可能です。

 

子供の将来への不安や世間からの目は、自分自身と向き合うことで解決方法を探ることができます。

(何が不安なのか、世間からどう思われているのが辛いのか、など。)

一人で向き合うのは辛い作業なので、カウンセラーを活用するのが良いかもしれません。

 

夫や実父母・義父母との関わりは、何度も何度も話し合いをしていくことでお互いの理解が深まり、関係が変わっていくこともあるでしょう。

身内といえど、意見が合わない場合には物理的に離れることもときには必要です。

一時的な別居も時には必要でしょう。

第三者を間に挟んでの話し合いが効果的な場合もあります。

 

「学校へ行けない」状態を受け入れ、周辺環境との摩擦を生じながら「学校へ行かない」を選択していくことは、とても覚悟が必要なことだと感じます。

 

親自身が親である前に人としての在り方を問われ、自分軸を持つことの大切さを再認識させられることだってあるでしょう。

私の場合は時間の経過と共に自分の心が回復し、「子供が学校へ行かなくてもいい」と思えたからこそ、子供が「学校へ行かないこと」を受け入れられました。

 

無理をして学校へ行き、体と心をすり減らすくらいなら、学校へは行かなくてもいい。

「学校へ行けない」状態を受け入れ、「学校へ行かない」「学校へ行かなくてもいい」を選択できるには、親の心の安定が必要不可欠でしょう。

 

今はまだ受け入れられなくてもいいし、「学校へ行って欲しい」と思ってもいい。

 

自分の気持ちに正直にいれば、きっと答えが出てきます。

どうか焦らずに自分の気持ちと子供を見守ってあげてください。

 

 

 

お読み頂きありがとうございました。

 

 

 

前回からの続きです。

 

スクールカウンセラーとの話し合いや祖父母との折衝を経て、家庭内は少しずつ落ち着きを取り戻していきました。

一番辛かった時期を越え、不登校が安定してきた頃について書いています。

 

 

いつもは私とスクールカウンセラーだけでの話し合いに、おじいちゃんおばあちゃんをを呼んでみませんか?

とスクールカウンセラーから提案されました。

心を消耗していた私に対するスクールカウンセラーのサポートだったのだと思います。

私と祖父母の間に入って話し合いの機会を設けようと試みてくれたのです。

 

話し合いへの参加の是非を祖父母に問うと、祖母だけが参加してくれることになりました。

私にとっては家での祖父母の言動は厳しく感じられ、愛情ゆえにというよりはしつけや人格矯正のようにしか感じられませんでした。

 

ですが、ここでも第三者への相談であるということが幸いしたのでしょう。

祖母は身内への言葉とは違った言葉でスクールカウンセラーへ質問していました。

 

「学校へ行かないことで将来がどうなってしまうのかとても不安、心配だ。だから○○には学校へ行ってほしいし、どうしたら学校へ行けるようになるのか教えて欲しい。」というのが祖母の思いでした。

 

するとスクールカウンセラーが、○○君は学校へ行きたくても行けない状態であること、今はゆっくり休むことが必要であることを再度説明してくれました。

 

私の口から出た言葉を聞くのと、実際に心の専門家から聞く言葉とでは、納得する度合が違ったのかもしれません。

祖母は、改めて異文化を受け入れようとするかのような面持ちで聞き入れ、腑に落ちてはいないがスクールカウンセラーの言葉を飲み込もうとしてくれました。

 

今までの私や長男への言動は、祖母の不安や心配が生んだものであったというわけです。

祖母がどう思ったのかわかりませんが、私にとっては有意義な話し合いの時間でした。

 

 

心配している本人からすれば愛情をかけているつもりでも、心配されている人にとってはそれがただのおせっかいやプレッシャーのように感じられることがあります。

 

「心配している」ことと「愛情をかけている」ということはイコールではない。

 

心配や不安を相手に伝えることは大切です。

ですが過度に踏み越えてまで相手に自分の思うやり方をさせることは、相手のためにはならないのではないでしょうか。

 

心配している、愛情をかけているというただの自己満足に終わっている場合もあるかもしれません。

 

心配や不安から相手に変わって欲しいと望むときは、自分の中の心配や不安がそうさせていることが多くあります。

相手に変わってもらうより前に、まずは自分の中に心配や不安の種が無いかを疑う必要があります。

 

祖母の心配の種は「学校へ行かないことで孫が将来引きこもりになってしまうのではないか」という、今起こっていないことに対する不安によるものでした。

自分が不安な気持ちを感じたくないがために、「学校へ行ってほしい、学校へ行かせてほしい」という言葉や行動に出ていたのでしょう。

 

スクールカウンセラーとの話し合いで、祖母の胸の内が聞けて良かったと思っています。

祖母(祖父も含め)の真意がわからないまま平行線でいたら、家庭内の不安定な状態がもっと長引いていたかもしれません。

 

私の中で、祖父母の不安や心配を受け入れていく準備ができ始めていました。

 

 

次回へ続きます。

 

 

お読み頂きありがとうございました。

 

 

前回からの続きです。

 

学校へ行かせようとすることを止め、長男の気持ちに寄り添う方向へ切り換えた頃の記録です。

 

 

少し話がそれますが、誰かに相談しようか迷っている方がいるなら一度相談してみることをおすすめします。

相手も人間なので相性が合う・合わないは必ずあると思います。

でも、話をしてみないと合うのか合わないのかさえわかりません。

体裁やまわりの評判でなんとなく避けているのなら、チャレンジしてみてください。

その出会いが、心を軽くするきっかけになるかもしれません。

 

祖父母と長男の間でグラグラ揺れていた私の気持ちが、長男を守るという方向へと定まった頃。

長男のクラスの担任の先生の勧めもあり、週1回スクールカウンセラーと話し合いの場を持つことに。

話し合いといっても長男が参加するわけではなく、私だけが学校へ赴き、スクールカウンセラーの先生と1対1で話をするというものでした。

 

1回のカウンセリング時間は40分ほど。

私が家庭内の状況を伝え、それに対して否定することなく聴いているという感じです。

私の胸の内を吐き出すことができるようにサポートしてくれていたんだ、と今なら思います。

 

家庭内の重い話を気軽に友人に話すことができないという人も少なくないのではないでしょうか。

私もその類です。

「相手にとって迷惑じゃないかな」「こんな話聞いてもつまんないよな」などと先に考えてしまって、気軽に友人に弱音を吐き出すことができないのです。

そんな当時の私にとっては、自分の思いをただただ受け止めてもらえるカウンセリングの時間は、とても重要でありがたいものでした。

 

スクールカウンセラーの先生はこちらの話を聴くだけではなく、こちらがアドバイスが欲しいときには具体的なアドバイスをくださりました。

例えば、祖父母に長男の状況をなんて説明すればよいのかという話のときは、

「○○君は学校へ行かなければならないことは分かっている。頭では行かなければならないとわかっていても、体が動かせない状態。今は体と心を休めることが大切。」

と説明してくださり、祖父母にもそのように伝えました。

 

すると祖父母にとっては意外な答えだったようで、「そうか…。」と理解を示してくれるようになったのです。

 

祖父母にとっては、「学校へ行きたくない」と言っている長男の状態はただのわがままにしか映らなかったのでしょう。

「学校へは行くのが当たり前。熱や病気以外で休むなんて考えられない。」という前提を持っていたと思います。

 

祖父母は、いつもなら私の意見に否定的な反応を返してくることが多いのですが、スクールカウンセラーという第三者の意見だったせいもあり、意外なほどにすんなりと話を受け入れてくれました。

「学校へ行かなきゃいけないとわかっているけど、行くことができない状態」だと聞いてからは、長男への祖父母の態度に変化が見られるようになっていきました。

 

私自身が学校に対して強い思い入れがなかったせいもあり、長男の学校へ行きたくない気持ちは理解できる部分もありました。

ですが、世代の違う祖父母にとって「学校へ行かないこと」は「一般世間から大きく外れてしまう大変なこと」だったかもしれません。

 

教員歴の長かった祖父にとっては、まさか自分の孫が不登校になるなんて想像もしなかったことでしょう。

 

自分たちが体得している常識では理解できなかったことが、自分の目の前で起きているのです。

不安でいっぱいになり、自分たちの知っている常識の範囲内へと是が非でも戻そうとするのも無理はありません。

自分たちの不安の矛先が、自分たちの娘である私へのコントロールという形で表れていたにすぎず、決して私や孫への愛情欠如から否定的な言葉を放っていたわけではないのです。

 

…時間が経過した今だからそんな風に冷静に捉えることができますが、当時はそんな余裕もなく、いかに祖父母に長男の状況を伝えていくかに精一杯でした。

 

価値観の違う人間同士が暮らしていくにはコミュニケーションが不可欠です。

家族だからわかるはず、と思って言葉少なで終わらせるのではなく、わかりやすく噛み砕いた言葉で伝えていくこと。

一つ一つの行動の意味を伝えていくこと。話すこと。

 

今まで家族という形に甘えて言葉で伝えるということを疎かにしてきたことは否めません。

長男の不登校が、家族の在り方や私自身の在り方を考え直すきっかけとなったのでした。

 

 

次回へ続きます。

 

 

お読み頂きありがとうございました。