私も曲作りの最中、いろんなブログを読んでいる。
刺激がないと、歌詞が浮かばないからである。
今、ブログを見させていて感じた事がある。
歌詞にすらできないけど、吐き出さないと次にいけないので
ここに書いてみる。
家にも2人の息子がいる。
長男は普段は将棋好きの、賢い子である。(親バカか?)
この子が小学校1年の頃を思い出した。
三半規管がどうなってるのか、運動音痴である。
将棋ばかりしているので、運動不足なのか、中学2年まで自転車に乗れなかった。
「オレ、運動のために走るからええねん」
と、豪語していた将童(長男)。
しかし、友達と遊んでいるとそういうわけにもいかない。
周りは自転車だらけ。
それに走って着いていくのである。状況的に無理な話である。
もちろん、無理がたたって転倒。青アザだらけだった。
ある日、いつものように学校が半日で終わって、宿題をやり、いつもの様に友達と遊びに行った。
帰ってきて、一緒に風呂に入り青アザ自慢していた。
でも、兄弟の喧嘩だったか何かで私に怒られてその日は寝た。
次の日、昨日の反省をしながら将童は登校。
「いってきま~す」
元気のいい挨拶が最後の言葉になった。
その日の夕方、寄り道もしない将童が帰ってこない。
18時になっても、19時になっても・・・
何があったかわからないが、とりあえず学校に連絡した。
「自分のしたこと考えてください。自宅には帰しません」
と、担任・校長から言われた。
唐突に言われ、何がなんだかわからなかった。
時間も遅かったので、次の日に学校に出向こうと思っていた。
次の日、
教育委員会から連絡があった。
「虐待が疑われるので、一時保護しました。」
またもや驚愕の一言。
呆然とすることもなく、手がかりを探した。
支持している政党の議員さんが協力してくれた。
理由をつきとめて、教えてくれた。
私が青アザをつくるぐらい、殴る蹴るの暴力があったと・・・
確かに、前日怒ったのは事実。
だが、暴力をふるった覚えはない。
議員さんいわく、
「その風体が誤解を招いたような気がする。」
たしかに、
この顔見たら・・・
みたいな容姿だ。だからってそんなバカな。って思ってみたけど
過去に
将童と手をつないで歩いていて、職務質問されたこともあった。
誘拐犯に間違えられたのか?モンスターペアレントかオレは?
それから、学校での話し合いは愛妻に任す事にした。
教育委員会には颯爽と出向いてやった。
1ヶ月、話し合いが続いた。
毎週、仕事休んで交渉にあたった。無我夢中で勉強し話し合った。
1ヶ月、将童は寂しい想いをしていないか。飯は食ってるのか。
そんな話し合いが、7.8回目の頃に、児童カウンセラーなる人物が現れた。
将童とカウンセリングを行っている人らしい。
いつものように、自分の潔白と息子のことを話していると、
「いま将童くんに話したいことは?」
と聞かれて、
「今、食べたいものは何や」
と聞いてくれと答えた。
まるで取り調べの尋問みたいで、憂鬱だった。
次の日、
教育委員会から連絡があった。3日後に最後の話し合いをする。と
「最後って」と思いながらも、向かった。
カウンセラーがまず口を切った。
「この間の、貴方の質問を将童くんにしました。彼は「パパのおこのみ焼き」と答えました。
彼は貴方に異常な執着を持っている性格ですので、あまり怒らないでください。」
と言われた。私は、
「いえ、悪いことをしたら怒る、そして反省を促す。良い事をしたら褒めてやる。それが私のしつけ方ですから、それは変えるつもりはありません。ですが、そのやり方は試行錯誤してみます。」
と答えた。
すると、奥のドアがひらいて将童がそこにいた。
「パパ」
って走ってきたときは、感無量だった。
とんだ行き違いと言われればそうだが、意味なく家族を引き離したことも事実。
将童に状況をお好み焼き食べながら聞いたら、
あの日、先生はまず青アザを見つけ、
先生「これどうしたの?」
将童「・・・・・」
私がなんでしゃべらなかったか聞いたら、まさか走っててこけたことが恥ずかしくて
いえなかったらしい。
先生「パパに怒られた?」
将童「・・・うん。僕が悪い事したから。」
これが一件の始まりだった。そのまま教育委員会に通報、一時保護になってしまった。
今から7年前にあったこと。今でもあのときの虚空な想いは忘れない。
事実確認もしないで、教育者という考えから、頭ごなしに決め付けて、
ブログを読んで、改めて思い出した。
長々と書きましたが、読んで頂き感謝します。
昨日は、昼食とってまったりしたくなかったので、
ほったらかしにしていた曲作り開始。
メロディーが浮かばないので、コード弾きしてそれにリズムパートつけてみた。
でも歌詞が浮かばない。
ならばと言うことで、歌詞を考えてみた。
考えているうちにメロディーが浮かんだ。同時に歌詞とメロディーが一致した。
できばえも自分自身満足していた。
だから、仮眠をとった。
それがまずかった。
今、歌詞を見てもメロディーが思い出せない。
この時間に、落胆している午前二時!
いっぱいお金が手に入ったら何したい?
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私も闘病生活が10年を超えたので、
いろいろ、医療体制の矛盾にも慣れてきた感がありますが、
でも、いまだになれないのも事実です。
元々は地元の信頼できる主治医の判断で、
糖尿病で大学病院に入院。合併症などがあり大変だといわれて入院しました。
しかし、入院後は病院で治療も無く3週間、
「糖尿病とは」
って、ビデオ見て話するだけの日々。
なんとか退院したら、1年後また入院。
同じビデオを見せられて1ヶ月。
大騒ぎした割には何も無く、質問すれば
「重度の糖尿病なんで」といわれた。
2年前にちょっとした傷で、あまりにも痛みがあるので、
個人の大手病院(いつもの大学病院が日曜日でやってなかったから)に
傷を処理して八針縫って、破傷風注射して帰宅。
毎日、その病院に通院するも痛みがとれず。
1週間して、その大手病院医院長が、
「この怪我は私どもでは治せません」
と、宣告。
「なんじゃそりゃ」
ってことになり、糖尿病主治医の大学病院へ
着くなり、担架が運ばれてきて乗せられ、
私よりも若そうな医師が処置。
激痛でもだえてる私の頭上で、数名の医師が、
「これ、うちの病院でみなあかんの」
「内科の患者さんやし、他には回せんし」
と、聴きたくない言葉が飛び交う。
そこに、颯爽と現れた医院長が、
「チマチマしてもシャアないから、バイパスして、無理なら切ろう」
と言った。
何故か、鶴の一声のようにドタバタして、
グロい右手になった。それでも次の日、朝食していると、
「切ろう、そのほうがいい。菌の進入が酷かったら、命にもかかわるから、」
といわれ、緊急手術。
私の心の準備などはなく、いきなり承諾書。愛妻は手術用具そろえて、病院に来た。
しかーし、今度は手術に行く連絡が来ない。
お待ちくださいから、1時間か2時間後、
歩けるのに、車椅子に乗せられ手術室に。
手術室前で愛妻と別れ、術前室で、医院長が私に、
「どこまで残して欲しい」
と聞かれた。
とっさに、
「ギター弾きたいから、右手は・・・」
それから記憶はなく、激痛で目覚めた。
右手は残ってはいたが、まったく動かなかった。
それが私の壊死性腱膜炎との闘いの始まりになった。
病院は、いまだに慣れない。てか、慣れてたまるか!!



