私も闘病生活が10年を超えたので、
いろいろ、医療体制の矛盾にも慣れてきた感がありますが、
でも、いまだになれないのも事実です。
元々は地元の信頼できる主治医の判断で、
糖尿病で大学病院に入院。合併症などがあり大変だといわれて入院しました。
しかし、入院後は病院で治療も無く3週間、
「糖尿病とは」
って、ビデオ見て話するだけの日々。
なんとか退院したら、1年後また入院。
同じビデオを見せられて1ヶ月。
大騒ぎした割には何も無く、質問すれば
「重度の糖尿病なんで」といわれた。
2年前にちょっとした傷で、あまりにも痛みがあるので、
個人の大手病院(いつもの大学病院が日曜日でやってなかったから)に
傷を処理して八針縫って、破傷風注射して帰宅。
毎日、その病院に通院するも痛みがとれず。
1週間して、その大手病院医院長が、
「この怪我は私どもでは治せません」
と、宣告。
「なんじゃそりゃ」
ってことになり、糖尿病主治医の大学病院へ
着くなり、担架が運ばれてきて乗せられ、
私よりも若そうな医師が処置。
激痛でもだえてる私の頭上で、数名の医師が、
「これ、うちの病院でみなあかんの」
「内科の患者さんやし、他には回せんし」
と、聴きたくない言葉が飛び交う。
そこに、颯爽と現れた医院長が、
「チマチマしてもシャアないから、バイパスして、無理なら切ろう」
と言った。
何故か、鶴の一声のようにドタバタして、
グロい右手になった。それでも次の日、朝食していると、
「切ろう、そのほうがいい。菌の進入が酷かったら、命にもかかわるから、」
といわれ、緊急手術。
私の心の準備などはなく、いきなり承諾書。愛妻は手術用具そろえて、病院に来た。
しかーし、今度は手術に行く連絡が来ない。
お待ちくださいから、1時間か2時間後、
歩けるのに、車椅子に乗せられ手術室に。
手術室前で愛妻と別れ、術前室で、医院長が私に、
「どこまで残して欲しい」
と聞かれた。
とっさに、
「ギター弾きたいから、右手は・・・」
それから記憶はなく、激痛で目覚めた。
右手は残ってはいたが、まったく動かなかった。
それが私の壊死性腱膜炎との闘いの始まりになった。
病院は、いまだに慣れない。てか、慣れてたまるか!!