こんばんは!
いや~、お盆ウィークも終了し、きょうからまたフツーの一週間が始まった感じですかね~
まあ、江戸はおかげさまでこの夏は猛暑日とはほぼ無縁ですので、このママ秋に突っ込んで行って欲しいですね。
さて、きょうも前回の続きで1981年の動きです。
【1981年】
曲作りとリハーサルを繰り返しながら、メンバー全員でバイドで資金を稼ぐという毎日が続いた。
そして、5月11日に、暴威はジュクシンロフトで初のワンマンライブを果たす。
このとき、後に暴威のドラマーになる高橋まことが、友人に連れられてこのライブを見ていたのである。
ライブ終了後、楽屋で氷室と高橋は連絡先を交換したのだった。
その後、暴威はジュクシンロフトで月イチでライブを行えるようにもなった。
だが、ようやく活動が軌道に乗り始めたその矢先に、ドラムの木村マモルがバンドを脱退したいと言い出した。
もともと、正式のドラマーが決まるまでの代理という約束で無理やり引きずり込んだのだから、仕方がないことではあった。
ただ、 ファーストアルバムのレコーディングで既に何曲か録り終えていた状態であったため、ともかく急遽ドラマーを探さなければならないという、非常に切羽詰まった状況になってしまった。
そこで、木村マモルはオーディションを行うことを提案する。
前述のワンマンライブから1か月ほど経って、高橋まことのアパートに氷室狂介から電話があった。
「この前ロフトで会った暴威ってバンドなんですけど、覚えてますか?」
暴威は江戸川橋の音羽スタジオでリハーサルをしている最中だった。
「今、リハーサルをやっているんですけど、良かったらのぞきに来ませんか?」
そして、高橋はそのリハーサルに行き、氷室たちはオーディションを行った。
そこで、高橋は「IMAGE DOWN」を演奏することになったのである。
この曲、ドラムのカウント「ワンツー!」で始めるのだが、余りにも高橋のカウントの声がデカくて、ベースの松井恒松は笑って弾けなくなりそうだったというエピソードも存在する。
福島県出身の高橋は学生時代、既にバンド「グレープジャム」のリーダーをはじめとして、 バンドを3つも掛け持ちしながら活動していたという非常に精力的な人間だった。
何しろドラムを叩きながらボーカルを担当していたという、並外れたパワーの持ち主であった。
高校を卒業後、仙台へと出た高橋は、そこで「暗殺剣」というバンドを結成。
ホールを転々としながら、活動の舞台を東京へと移してきた。
アマチュアバンドの世界に顔の広い高橋は、「暴威」のこともジュクシンロフトの初ライブを見て以来記憶に残っていた。
一方の暴威のメンバーも、オーディションでのパワフルなドラミングを見て一発で高橋を気に入り、バンドに参加してもらうことにした。
こうしてドラマーの穴も埋まり、夏の間にファーストアルバムをレコーディングし完成させることができた。 しかし、レコード化への話はなかなか進展しなかった。
「MORAL」の歌詞のイメージが”汚い”という意見がレコード会社から出され、その発売に難色を示していたのだ。
音は出来上がっているのに発売の見込みが立たない、という状況に苛立ちを感じながらも、 メンバーはそのうっぷんを晴らすかのごとくライブ活動にのめり込んでいった。
さらに早くも、この年の後半から翌年にかけて、かなりの数の曲が次のアルバムに向け作られ準備されていた。
LIVE SCHEDULE
05.11 ジュクシンロフト
06.27 ジュクシンロフト
07.16 ジュクシンロフト
08.12 ジュクシンロフト
09.17 ジュクシンロフト
10.09 前橋ガルシア
10.10 前橋ガルシア
10.19 ジュクシンロフト
11.03 河口湖テルホライブ
11.06 ジュクシンロフト
