あなたの悩みの原因は潜在意識にあった!~人間関係の悩み・性格改善から人生の目的まで、催眠療法で心がスゥ~ッとラクになる~ -8ページ目

父の涙

毎日、ご家族のために一生懸命働いてくれているお父さんに、
こんなお話をどうぞ。


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自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、
夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。

大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、
しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、
凄く吃驚して変に印象に残ってる。

その後、何度か確認する機会があったが、
父がいつも「夢でも見たんだろう」と言っていたので、
何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。


が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。

当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。
夜は就寝後に帰宅の日々。

寝顔をそっと覗き見るのが日課で、
このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。

そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。

やばい、良く寝ていたのに、ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、
私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。

ろくに顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。

しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、
こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、
愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。

それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、どうしても本当のことが言えなかった。
嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。

内心は萌えつつも、
明日目が腫れたらど-してくれる!!と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。

いつかきっと、遊ぼうね。

あたりまえのように過ぎて行く毎日。

でもそれは、他の誰かが望んでも手に入れられなかった大切な一日なのかもしれない。

そんなお話です。


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俺が小学校5年生のとき、
寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。

その子、たまに学校に来たと思ったらすぐに早退しちまうし、
最初はあいつだけズルイなぁなんて思ってたよ。

んで、俺の家、
その子の家から結構近かったから俺が連絡帳を届ける事になったんだ。

女の子のお母さんから連絡帳を貰って、
先生に届けて、またお母さんに渡して…。それの繰り返し。

なんで俺がこんな面倒臭い事しなくちゃいけないんだ!って、
一人でブーたれてたのを良く覚えてる。

そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみたんだ。
ただの興味本位だったんだけど。

連絡帳にはその女の子のものらしい華奢な字で、ページ一杯にこう綴られてた。

『――今日もずっと家で寝てました。早く学校に行きたいです。
 ――今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。
 …学校に行けば、私も輪に入れるのかな…』

ショックだった。
学校行かないのって楽な事だと思ってたから。
ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。

でも彼女の文章には学校に行けない事の辛さ、
普通にみんなと遊びたいって気持ちに溢れてて、
なんだか俺、普通に毎日学校に通ってんのが申し訳なくなって。

だから、連絡帳にこっそり書き込んだんだ。
「いつでも、待ってるからな。体が良くなったら遊ぼうな!」って。

でも次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんに
「もう、連絡帳は届けなくていいの」って言われた。

あまりにも突然だった。
俺その頃悪ガキで、頭もすげえ悪かったけど、
その子のお母さんの言ってる意味は伝わったんだ。

……この子は天国に行ったんだ。もう一緒に遊ぶ事は出来ないんだ……。
そんな事考えたら涙が溢れて…止まらなくって…。

ずうっと泣き続けてた俺に、その子のお母さんは連絡帳をくれたんだ。
せめて君だけは、学校にも行けなかったあの子を忘れないで欲しいって。


そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。

あの時の連絡帳は、引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。

就職したり、結婚したり、子供が生まれたり…。今まで、本当に色んな事があった。

時には泣きたい事、辛い事の連続で、いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。
けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、女の子の連絡帳を開くんだ。

そして、彼女が亡くなる直前に書かれた文章を読み返すんだ。

『ありがとう、いつかきっと、遊ぼうね』

12歳違いの父と6歳違いの姉

久しぶりの更新です。

今がどんなにつらくても、きっと力になってくれる人は現れる。きっと道は開ける。
そんなお話を見つけましたのでご紹介です。


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高校の時、母親が病気で亡くなった。

父は弱い人だったのだと思う。

苦しむ母親から目をそらして、
他に恋人を作って、母親が亡くなると家を出ていった。

「高校卒業までは面倒をみる。その後は自力で暮らしてくれ」

受験も追い込みに入る3年生の秋、
わたしはこうして独り暮らしを始めることになった。

わたしの通っていた高校は進学校で、
ほぼ100%の生徒が大学を目指していた。

わたしだけ、大学受験という目標は消えた。

授業料や家賃や光熱費は父が負担していた。

生活費は送ってもらえなかった。

どこを探しても家にはお金がなかった。

父の新しい相手は他人の奥さんだった。
きっと慰謝料のために何もかも持っていったのだろう。


わたしは母の死から立ち直れていなかった。

バイトと奨学金で自力で進学することすら思いつかない
世間知らずの甘えた娘だった。

「お金を送って」と父に連絡すらしなかった。
父を憎みすぎて声を聞きたくなかったから。

目先のお金がなかった。

受験勉強する友人から離れてアルバイトを始めた。

お小遣いをかせぐバイトはあんなに楽しかったのに。

食べるものがなくて追い詰められてするバイトは苦しいだけだった。


心配してくれる友人はいた。大人の人も。

父の噂がひろがり、わたしは恥ずかしさと情けなさで、
周囲の人から距離をおいた。

年が明けて、
TVでセンター試験の話題が出始めたころ、心が折れた。

バイトに追われてはいたが、惰性で勉強は続けていた。
それをやめた。

年末年始のわずかなバイト料を持って、わたしは家出をした。

昔は仲良しの家族が住んでいた、
もう誰もいない賃貸マンションから逃げた。

3年生の登校日はもうほとんどない。

誰も心配もしないし探そうともしないはず。


遠い場所まで逃げた。冬の家出はつらい。

考え事をしたいだけなのに、寒くて外にはいられない。

怪しまれないようにネカフェを転々として、
お金はどんどん減っていった。

最悪の決心をした。
援助交際をしよう。処女を売ろう。体を売ろう。

街に立って親切そうな人にこちらから声をかけることにした。

良さそうな人はなかなか見つからない。

ようやく優しそうな30代くらいの人に目をつけた。

声をかける前に目が合った。

「何か?」

「あの・・・」

練習したはずなのに、
わたしと遊びませんか、とは言えなかった。

その人は察したらしかった。

じろじろと見られた。
警察の人かも知れないと思っておびえた。

「家出?」 頷くわたし。

「お金がない?」 また頷く。

「泊まるあては?」 首を横に振る。

男の人は少し考え込んだ。
そして「一緒においで」といった。


立派なマンションに着いて、少し驚いた。

エレベーターで上がり、男の人は「ただいま」といってドアを開け
わたしに「上がって」といった。

「おかえり」と若くて綺麗な女の人が出てきたときは死ぬほど驚いた。

「あら、こちらは?」

「俺もよく知らん。家出してきて困ってるらしい」

「ええ? あら、それは、えっと、あ、とにかく上がってね」

奥さんらしかった。すごく驚いて慌てていた。


先にお風呂をすすめられた。
その間に夫婦会議があったようだ。

わたしがお風呂から出ると、奥さんはすっかり落ち着いていて

「大変だったね。すぐご飯にするから」と笑いかけてきた。

こんな展開になるとは思わなかった。どっと安心した。


事情はきかれなかった。
でも黙っていたら怪しまれるし、間が持たない。

食後のお茶の時間、わたしは勝手に自分の事情を説明した。

時々、質問された。2人とも真剣にきいてくれた。

奥さんは口に手をあてて「つらいわね」と涙声でいってくれた。

旦那さんも「つらいな、それ」といって黙ってしまった。

わたしは思わず泣き出してしまい、
ご夫婦はわたしが泣き止むまで長いこと待っていてくれた。


それから覚悟を決めて、
旦那さんに援助交際を持ちかけようとしたことを謝った。

信じてもらえる自信はなかったけど、
今回が初めてだと必死に強調した。

怖かった、もう二度としないと言った。

奥さんは
「ああ、そういうことか」と旦那さんの方をちらっと見て笑った。

「成功してたら旦那とあなたをグーで殴るとこだった」

「もうこんなこと考えるのもだめ」

優しく言われた。怒られはしなかった。

「ごめんなさい」と繰り返して、また泣いた。


旦那さんは30歳、奥さんは24歳。新婚さんだった。

「落ち着くまで泊まっていくといい」

お言葉に甘えることになった。

翌日、学校の先生に連絡をいれてくれた。

「そうですか、よろしくっていわれたよ。冷たいもんだな」

旦那さんは苦笑いしてた。騒ぎになってなくてよかった。

「のんびりしててね」

何日かはそうした。

いつまでも何もしないでいると申し訳ない。
奥さんの家事を手伝わせてもらうことにした。

奥さんは優しくて明るくて、急に姉ができたような気がした。

2人並んで旦那さんに
「いってらっしゃい」「おかえりなさい」を言うようになった。

「不思議な光景だな」と旦那さんは笑った。


ご夫婦に相談に乗ってもらって、今後のことを話した。

「地元が嫌ならこっちで職探ししたら? こうなったら最後まで協力するよ」

そうしますといって卒業式に出るために一度帰宅した。

お寺に行って母のお墓の供養のことを頼んだ。

卒業式の後、安い菓子折りを持って、
近所や学校の先生や友人宅に挨拶回りした。

父には
「○○で働きます。引っ越すので後始末よろしく」とだけ連絡した。

みんな旦那さんのアドバイスに従ったこと。

「それでいい。けじめは大事だよ」と旦那さんに言われた。


父からは卒業祝いか手切れ金か、いくらかお金が振り込まれた。

「いまさら」と腹が立った。

「無視されるよりましだと考えたら」と慰められた。

そのお金で引越しができた。


ご夫婦の近所のアパートを紹介してもらった。

心苦しかったけど、お金を借りて敷金と礼金を払った。

アルバイトはすぐ見つかった。

バイトしながら正社員の口を探す日々が始まった。

最初は疲れてしまって、
食事はご夫婦のお世話にばかりなっていた。

奥さんが何かと物をもってきてくれた。

2週間くらいで体が慣れて自活できるようになった。


今はある会社で経理事務をやっている。

節約すれば貯金もできる。

正社員として決まったとき、ご夫婦はすごく喜んでくれた。

「娘が独立したみたいだ」と旦那さんは笑った。

「妹でしょ」と奥さんも笑った。

「俺が12歳のときにできた娘」と旦那さんがいった。

年齢でいえばそうなる。

ご夫婦にいろいろ借りてしまったお金も少しずつ返せている。

まだ先は長いけど。



どうしてこんなに親切にしてくれたのか聞いたことがある。

「たまたまだよ」と言われた。

「誰でも助けるかというとそうじゃないが。でも放っとけない」

ご夫婦のこともいろいろときいた。

わたしほどじゃないけど、
お2人ともあまり良い家庭環境ではなかったこと。

それで意気投合して温かい家庭を作ろうと、
奥さんが卒業してすぐに結婚したこと。

「そうは見えません。奥さんはずっと幸せに育ったお嬢様みたい」

というと 、「あら嬉しいことを」と奥さんは笑った。

「俺のおかげだな」と旦那さんがいった。

「でもね、きみには悪いけど、
俺たち、きみ以上にきみのお父さんを嫌いかもしれないよ」と言われた。

「子供捨てるような親はね、大嫌いなんだ」と旦那さんがいった。

奥さんが頷いて、わたしの方を見て「ごめんね」といった。


今でもご夫婦のお宅をたまに訪ねている。

仲良しのご夫婦を見るのが好きだから。

自分の両親も昔はこうだったと思うとつらくなる。

でも、
このお2人のおかげで将来は自分も温かい家庭を持ちたいと思うことができる。



わたしには母がいた。亡くなってしまったけど優しかった母。

優しかった父はどこかに消えてしまった。

かわりに6歳年上のお姉さんができた。

12歳年上のお父さんもできた。


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