おはようございます。
一昨日で鎌倉へのお墓参り編が終了したわけですが、あれから約2ヶ月後の話です。
私は色々なことに行き詰まっていて、細かいことが全然上手くいっていませんでした。
正直参っていたんだと思います。
そこで普段は初詣に行くだけとなってしまっている地元の神社に行って少し気持ちをリセットすることにしました。
行って早々神様に「普段も来いよ」と圧をかけられましたが、その後行くべき場所を二つあげられました。
そのうちの一つが「畠山重忠のお墓」でした。(もう一つは後に記事にします。)
そういえば頼家さんに「実朝と比企に会いに行け」と言われた時と同じタイミングで「畠山にも会いに行け」と言われていたのでした。
ということで次の日に畠山重忠のお墓にお参りすることとなりました。
畠山重忠のお墓は、畠山の地元埼玉県の深谷にあります。
最寄り駅は秩父鉄道永田駅。そこから徒歩20分くらいです。
▲畠山重忠公之像がお出迎え
「武士の鑑」として後世まで語り継がれている畠山重忠ですが、お墓の周辺は公園として整備され、またお墓自体は劣化しないよう建物で覆われていました。
また私が滞在している時にも、普通に地元の方が訪れており畠山重忠がいかに地元に愛されているかを感じました。
頼家さんや和田さんらが「俺らの墓よりいいじゃんかよー」とぶー垂れていたのが面白かったです。
さて、ここまでお参りしてきた方達は鎌倉時代の方々なのですが、ここまで読んでくださっている皆様なら多分気付いている方もいらっしゃるかもしれません。
それは、「北条家のお墓に行っていない」ということ。
鎌倉時代の権力争いに勝利し、時代を牛耳ってきた鎌倉の勝者ともいえる北条家に、会いに行っていないんです(政子さん除く)。
それはなぜか?ここでお参りに行った方々の名前を挙げてみましょう。
源頼家、源実朝、源範頼、北条政子、比企能員、和田義盛、畠山重忠…
日本史を少しでもかじっている方であればお分かりだと思いますが、どなたも北条家に因縁のある方達ばかりなのです(範頼さんはちょっと微妙なポジションですが…)。
鎌倉に行ったときに北条家の墓に行かなかったのはそういう理由があるからです。
また、源頼朝に会いに行くつもりもありません。
うちは頼家さんが中心で回っています。
そこに頼朝さんが来てしまうとパワーバランスが崩れてしまいますし、当の頼家さんが嫌がっています。
さて、メンバーが続々と揃ってきていよいよという感じがいたしますが、まだ足りません。
範頼さんが、まだひとりぼっちです。
範頼さんの相棒に会いに行かなければなりません。
前日地元の神社で言われた行くべき二つの場所のもうひとつが、そこなのです。
それは後ほど…
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ではでは。