ライフコーチのさいまき 
ときどきスジャータです。 
 
 
12月2日(金)
 
タイトルで遊ぶの
そろそろやめますね爆  笑あせる
 

プレビュー数、伸びるのかも…

と思って試してみましたがチュー

さほど変わりはありませんでした。

 

 

富士山

 

 

 

今日は衣(ころも)をたくさん、たくさん

着せていただいた日、

 

ちょうど15年前の12月2日のことを

書きます。

 

 

 

 

い、いきなりあせる

失礼します。ワタシでございます。

 

この日に至るまでの

奇跡の連続・・・

(これについては、またの機会に)

 

この姿にさせていただくことを許してくださいました

神様には感謝しかございません。

 

また葉室の伯父は病床におられ結婚式にはいらっしゃいませんでしたが

伯父にかわり当時権宮司であった岡本様には大変お世話になりました。

 

 

この衣装は葉室の伯母による「衣紋道」という

着付けの作法にのっとり

正式に着せていただきました。

 

ただ衣を重ね着していくだけではなく

手順がすべて決まっていて

 

礼に始まり、

礼に終わる

 

おそらく平安時代からつづく作法です。

 

 

着る人を「お方(おかた)」といい

着せる人は「衣紋者(えもんじゃ)」と言います。

 

ふたりの衣紋者は終始無言で、お互いの熟練した呼吸によって

着付けをすすめます。

 

 

着付けしてもらっているワタシは、

というと

 

一枚目からとてもきれいな色

二枚目、えんじ色の深い色

三枚目、この色いいな鶯色

四枚目、黄色かわいいな

五枚目、橙色、わあ華やか

 

と、着付け中ずっと無言でしたが

心躍りながら衣のうつくしさに見とれていました。

 

 

虹

 

 

虹の衣をまとう、って

こんな感覚でしょうか。

 

伯父の本に、なにかヒントがあるかも、

と思いつき開いてみました。

 

 

葉室頼昭著

『神道と<うつくしび>』より以下抜粋

 

 

十二単は何枚も重ね着をして

神の美を表そうとします。

 

外国のファッションでは

下に着るものはあくまでも下着でしかありませんが

 

日本の’衣紋道(えもんどう)’の場合は

一番下に着るものからも素晴らしい装束を重ねているのです。

 

そして重ねていくために

下の装束の素晴らしさは隠れてしまい

わずかに襟元や袖口に見えるだけです。

 

この素晴らしい着物の美しさを隠し

少しだけ見えるところの重ね

美を表そうというところが

外国とは全く違っているところです。

 

日本の場合、見えなくして隠すところに

内面からの美を表そうというのですから

 

これこそ、この世の中の本当の美ではないかと

私は思います。

 

<中略>

 

この襟元や袖口に見られる

重ね着の美を見ていますと、

 

大空に見られる虹を思い出します。

 

太陽の光は、宇宙を飛んでいるときは

単なる波動でありますが、

 

それが地球の空気に反射すると、

生物を生かす明るいと、

そして七色の色が表れてきます。

 

この七色の色こそ、

神のいのちを表している色ではないでしょうか。

 

十二単は、この神のいのちの美しさを

重ね着によって表しているのではないか、と

私は思うのです。

 

 

 

 

重ね、隠しながらも

そこには、神のいのちの美しさが

あるのですね虹

 

着付けの写真もあるのですが、

そこまで赤裸々にはできませんので

 

着付け後の結婚式の様子を

写真でご案内しますね照れラブラブ

 

 

着付けがおわり

親族みなで本殿まで歩きます・・・

 

みな、押し黙って静かでした。

ザッ・・ザッ・・ザッ・・・・音だけ。

 

春日大社のご本殿です。

12月2日の午後3時、という遅い時間帯でした。

 

本殿わきの、通称ビッグイエロー(銀杏の木)が

黄金色に輝いていました。

 

お神酒。

これを、神前式では三々九度の作法で交わします。

過去、現在、未来をあらわしている、とか・・・

 

お祓いは欠かせないものです。

この後、「誓詞(せいし)」・・・だったかな

 

玉串拝礼(たまぐしはいれい)

※時計回りですね(すぐ忘れてしまいます)

 

 

「林檎の庭」で雅楽の音と巫女舞を・・・音譜

観光客の皆さまもご一緒にこの時を分かち合いました。

 

 

この日は、奈良市内でマラソン大会がありました。

あたたかく、紅葉も最高にうつくしい状態でしたもみじ

 

 

緋色、黄色、みどり、金・・・自然の美ですね照れ

この自然美を衣として表現されたのが、

 

十二単(じゅうにひとえ)。

 

平安時代から令和時代まで

変わりなく伝えられている

「衣紋道」とともに

 

このうつくしび、

伝えていくためにも

 

お恥ずかしい限りですが

ワタシの15年前のことをご紹介しました。

 

 

虹

 

 

葉室宮司さんがおっしゃっている通り

「虹」というものは

神のいのち、そのもののように思われます。

 

水と光の融合は、空気のある

地球でしか見ることができません。

 

さぞかし宇宙人のお仲間たちは

羨ましがっているのではないかと・・・

 

虹が見たくて、

ワタシも地球で暮らしているのかもしれません。

 

 

虹

 

 

つらいときに流す涙も

気が晴れて・・・

 

こころに虹がかかりますね照れ虹

 

 

つらかったからこそ

うつくしい虹を見ることができます。

 

 

次回は、そんな虹のお話を

したいと思います。

 

 

今夜の音声配信はコチラ↓

 

 

 

 

  神前結婚式、いいですよ~おねがい神社おすすめいたします。

 

 

  

 

ワタシがこのようなことをお話することを、どこかで

ひやひやしながら見ていらっしゃることでしょう。

 

ほんとうに、伯父は神様に近づいた人でした。

 

見えないことが見えてしまって

ワタシも・・・ずいぶん叱っていただきました。

叱られて反省し、気持ちを整えて・・・

 

そしてようやく37歳で「結婚」できました。

 

でも、気が付きました。

「結婚」ってゴールじゃないんですね。

スタートだったんですね。

 

毎日、朝スタート。夜ゴール。

 

夫婦が磨き合うことには

いろんな課題がつきつけられて

 

ときどき逃げ出したくもなります。

 

けれども

どこに逃げても、きっと同じことの繰り返し。

 

魂をみがく毎日を

続けていきたいと思います。

 

 

 春日大社前宮司 葉室頼昭氏

 

なので、おじさま。

これからもどこからか「そんなんじゃ、だめだ!」と

叱ってください。ありがとうございます。

 

 

 

 
読んでくださって、ありがとうございますもみじ

 

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