こんにちは
ライフコーチ☆さいまきです。
1月10日(月・祝)
いかがおすごしでしたか?
成人の日。
はるか過去、自分の成人の日のことを
思い出しながら・・・
なぜか
バッハが聴きたくなって
いま、素晴らしい演奏を聴いた後
涙をぬぐって書いています。
*
この演奏・・・
すばらしいな。
ギエルミさん。
はじめて聴きましたが
ともすれば
単調で退屈なバッハを
最後の音まで集中して聴かせるような
演奏で・・・・・・
私はちょっとした瞑想状態だったと思います。
途中、さまざまな事を
「走馬灯」のように思い出していました。
まるで死を目前にしている人みたいだった。。。
いや、もしかすると、
この曲
「トッカータとフーガ」って
そんな曲なのかもしれない。
そう
死ぬ直前に体験する(らしい)
人生を振り返る時、
このメロディーのような雰囲気のものが
降りてきて
さまざまな出来事を見せてくれる。
*
ひとそれぞれに
感じ方は違うとおもいます。
そこはどうぞ
ご自由に、そして
わたしの感じたことを
わたしも自由に書きたいと思います。
ちょっと長くなるかもしれません。
お付き合いのほどを
よろしくお願いします。。。
*
なぜ、今晩、バッハ
それは、
ちょうど一年前になりますが
わたしが思い立ってYouTubeチャンネルにて
体験談を語りました。
「一瞥体験」と、他の方も言っているので
わたしもそのようなタイトルで公開しています。
要は、
宇宙とわたしが一つで
過去も未来もなく
すべてがわたし、というような感覚を
一瞬のうちにわかった(気になった)体験。
*
その語りの中で
思いがけず、私の口から出てきた
「あの、瞬間を例えるならば
バッハのパイプオルガンのような音が
落ちてきた・・・」
というくだり。
*
自分自身でも、うん、ぴったりと言い当てたものだなあ、と
収録後見返したときに思ったんです。
そして、
数あるバッハの曲のなかから、
どの曲だったかな、
と、今晩
(中一の娘が明日の試験勉強をしている隣でパソコンを開き・・・)
探していたのです。
数人のパイプオルガン奏者の演奏、
教会音楽、
クリスマス礼拝の模様
・
・
・
「パイプオルガン、バッハ」
と検索ワードを入れて
たくさん聴いておりました。
*
その中から、
ピタッとはまり、
しかも
自分の人生をふりかえったり
これまで問題が深くて
私の人生に影響を与えた父のことや
いま抱えている問題事・・・
そういったものが
この演奏とともに
湧きあがってきました。
涙が出そうになりました。
隣に娘がいるから
我慢しましたが・・・
*
わたしの「一瞥体験」。
何の知識もなく
修行らしきこともしていない
ただの大学生のわたしに
突然
このバッハのパイプオルガンの曲のような
さまざな音(のように感じられるもの)が
ドカン、と胸に届きました。
*
重厚感のある低音は、
足で踏むペダルから奏でられ
旋律を奏でる中音は
奏者の好みの速さで演奏される。
ときどき聴こえる高音は
空から降る流れ星のように登場し
それらすべての音が
調和され、
不協和音だとしても
すべてが必要な曲の一部分であり
メロディーに欠かせない
曲の大切な要素となっている。
*
まるで人生だな、
人の一生を
この曲はあらわしているのか
そんな風におもうと同時に
あの「一瞥体験」で感じられた大調和
つまり
死ぬってこういうことか
全部が人生の大切な要素なんだ
いいことも、わるいことも
全てが調和していて意味がある
あの時に感じられた大調和と
同じようなものがこの一曲にあるなあ、と
思いました。
寸分の狂いもなく演奏されるギエルミさんの
このバッハの曲「トッカータとフーガ」。
決められた鍵盤を正確に選びたたくが
スピードは奏者の思いのままに進んでゆく。
(ギエルミさんはほかの人の演奏よりも早くてなめらかなので違う曲のようにきこえます)
演奏の終焉に向けて
メロディーは調和を極め
美しさを増して・・・
聴衆の胸に感動を与える。
まるで
ある人物の物語を
始まりから終わりまで見せてもらったような
感覚になりました。
*
この演奏をききながら
オーバーラップしていたのが父のこと。
ピアノ弾きの私の父は、
小学生のころから鍵盤に向かい
毎日数時間、練習していたそう。
中学生のころ(?)だったか
コンクールに入選し新聞にも掲載された(らしい)。
ピアニストになりたいと
純粋に思っていた父だったが・・・
両親、つまりはわたしの祖母、祖父から
大反対されて
結局べつの道を歩むことになった。
祖父がクラシック音楽を父に聴かせ
祖母が熱心にピアノを習わしていた、
それなのに。
*
父のひねくれ癖は
そのあたりからきているのかわからないが、
母やわたしたち兄妹に
いまでいう
パワハラ的な態度を向けてきたために
子ども達(わたしたち兄妹)との
関係をうまく築くことができなかった。
*
わたしたちと会話するよりも
ピアノに向かっていた、父。
冷たい態度を向けられている、と
わたしたちは思っていたから
私も妹も、(いまは兄が苦しんでいる)
父に心を開くことなく育った。
*
そんな父なのだが、
数年前、がんになり
入院、そしていよいよ手術、というときに
手書きのメモを看護師さんに手渡した。
そのメモは
私に宛てたもので
「あとのこと、たのむ
おかあさんは印鑑や通帳の場所を忘れるから
まきこが管理して」
と震えるような文字で書いてあった。
*
一番、嫌われている(と思っていた)私に
父が初めてお願い事をしたのだった。。。
(私にとってはありえないような出来事だった)
この人は
ただ不器用なだけで
実は愛情のある人なんだ、とわかり
手術の待合室でその手紙をみながら
これまでの辛い出来事を振り返ったりしていた。
ほんとうに・・・辛かったよ、おとうさん。
(辛かったし悩みぬいたからあんな体験できたんだと思う)
☆今年のお正月も一緒にケーキでお祝いできました。長生きしてください。
手術後、父は回復。
いまは自宅で母と共に暮らしている。
私が時折、実家を訪ねると
「お尻が痛い、足が痛い・・・」と
文句をいいながらも
いつも変わらずにクラシック音楽を聴いている。
調子がいいときはピアノを弾いている。
あと何年、この父とこうして関わっていられるのか
わからないけれども
「トッカータとフーガ」の最終局面あたりの
おだやかで調和のあるメロディーのような
生活をおくってほしい。
*
父と娘の関係。
父と息子の関係。
どちらにも根深いものがあって
互いの人生を形づくる大切な要素。
私と父は山を越えることができた。
つぎは、兄の番。
兄も父との関係を修復し仲良く暮らしてもらいたいものだ。
成人の日に、
そんなことを思い綴りました。
お付き合いくださりありがとうございました。
では。また
【わたしの一瞥体験】まだ見てない
そんなアナタへ。 どうぞごらんください
☆父への恨みつらみが一瞬にして消え去ったあの瞬間。すべて意味があり感謝しかない、ってこと。