今回はとても政治的な話ですが、私はキリシタンなので霊的な話も交えます。何故少子化対策について話そうかと思ったのかというと、これは無神論・ポリコレと切っても切れない話題だからです。私はある日興味深いブログ記事を見つけました。
この記事の結論はこうです。
政府は自らの政策が少子化を加速させることを(少なくともデータ上は)知っている。高等教育無償化が地方の若者を大都市に吸い上げ(地方創生との矛盾)、支援金が若年男性の可処分所得を奪い(婚姻率の低下)、女性への経済支援が彼女たちの「自由な独身生活」を補強すること(人口問題研究所の指摘)等を、全て理解しているのだ。
それでも、この矛盾した政策を続けるのは何故か。
それは真の対策を打つことの政治的コストが、国家が破滅するコストよりも「今この瞬間」においては高くつくからだろう。或いは権力的に出来ないのかもしれない。「若い男性の賃金を引き上げ、女性の社会進出を抑制する」などという政策を打ち出せば、メディアや特定の圧力団体から猛烈な非難を浴び、政権は倒れて指導した官僚の首も飛ぶだろう。なんなら「若年女性支援や所得制限撤廃や育児支援は効果がないのでやめる/縮小する」だけでも、色々危うくなるだろう。
私はこの記事を読んでストンと腹落ちしました。政府の少子化対策が全く効果をあげていない理由がよく分かります。政治家と官僚は自分達がマイナスのことをやっていることを実は理解しているのです。分かっていながら何故「女性の活躍推進」と「男女共同参画」をやり続けるのかといえば、それは自分達の権力の維持と保身の為です。私はメディアや特定の団体がというよりは、社会全体が無意識の内に醸成しているポリコレ絶対主義が本当の少子化対策を禁じているのだと思っています。
さてここからが本題です。
何故ポリコレは絶対なのか。
国家と社会を破滅に導く思想が何故正当化されるのか。
それは一言で言えば無神論・進歩史観のせいです。我々は常に西洋的な「進歩」を求められています。男女の平等の追求は常に最優先事項として扱われています。何故男女の平等が最優先なのかといえば、神への敵対心としか言いようがありません。
まず誰がどう見ても男と女は違います。しかしポリコレ的には「平等」である必要があります。ポリコレは違いを無視するように常に我々に圧力をかけてきます。男と女は何故違うのか、そもそも何故男と女に分かれているのかについては私は創世記を読めとしか言いようがありません。男と女が存在する理由、男と女が違う理由は旧約聖書の創世記を読まないと分かりません。教科書を何度読んでも分かりません。保健体育の教科書には男女の肉体の構造の違いは書いてありますが、違う理由は分かりません。つまり男と女の存在意義を教えられないのです。残念なことに現代の教育は創世記を学ぶことを禁じており、その代わりに進化論を教えています。これが問題なのです。
はい、創世記を読めなんて言ったら世間から「非科学的」「狂信的」などと揶揄されます。アダムとエバのことは誰でも知っていますが、二人は実在したと言うと「非科学的」だと言われます。しかし世間では太陽光発電や原子力発電で大気の気温が下がるなどという誰も証明のしようがない話が科学の名の下に信じられています。科学などその程度のものです。学問でも真理でもなく、単なる無神論哲学に過ぎません。「男女平等」を推進する人達はそれが正しいことであるかどうかはどうでもいいのです。とにかく神が初めに男を作り、次に女を作ったことを否定したいのです。
少子高齢化問題一つ取っても無神論が進歩とも繁栄とも無縁で、実は衰退と破滅をもたらすものだということが分かります。しかしこの世はこの事実を認めようとはしません。私は別に日本の将来に警鐘を鳴らしたいわけではありません。私も日本に住む日本人ですからこの国が救いようがないことはよく分かっています。ただ、分かっていただける人に私の言いたいことが伝わればそれで充分です。
日本は救いようがありませんが、この国の人々を救えるのはイエス・キリストただお一人です。
