今回はビデオゲームについて話します。
私は少なくとも保育園の年長の時には姉のお下がりの携帯ゲーム機を握ってゲームを遊んでいました。それから2021年の11月まではゲームをやり続けていました。2021年11月以降私はゲームソフトを一度も起動していません。
少年時代にあれだけ熱中したゲームを止めた理由は一言で言えば「虚しさ」です。私は長年ゲームは生きがいを与えてくれるもので、心を満たしてくれる遊びだと思っていました。
しかし2021年にゲームは生きがいにはならないこと、ゲームでは心は満たされないことに気が付きました。
ゲームは世間では「自由な遊び」だと思われています。しかし実態はそうではありません。ゲームはプレイヤーを縛り付ける要素で溢れています。ゲームはプレイヤーから時間を奪い、お金を奪い、人生を奪います。
ゲームは時間泥棒です。何の価値も意義も無いアイテム収集やキャラクター育成の為に膨大な時間を取られます。ゲームに熱中してしまうと有意義なことをするための時間が削られ、あなたの人生が奪われます。これは自由でしょうか?
私が小学生の時はコンシューマーゲームは基本的にソフト買い切りで追加の費用はかからないものが殆どでした。しかし2010年代以降有料DLC(ダウンロードコンテンツ)が常態化し、ゲーム会社による露骨な搾取が横行しています。これは自由でしょうか?
オンラインゲームとソーシャルゲームには「ガチャ」があります。ゲーム会社はガチャの実装時期を決め、実装期間を決め、アイテムやキャラの排出率を決めます。プレイヤーはそれに従って何万円も払ってガチャを回します。
プレイヤーには何の決定権もありません。何の価値も無い電子データの為に多額のお金を失うだけです。期間限定ガチャはプレイヤーのガチャを「回さない」という判断の余地を無くします。
そうやってゲーム会社は莫大な利益を上げています。これは自由でしょうか?
ゲームのプレイヤーは開発者が決めた仕様に対して拒否権が全くありません。
不満があっても納得がいかなくても従うしかありません。これは自由でしょうか?
私は一時期「プロゲーマー」の動画や配信を見ていました。世間では苦痛で窮屈な労働と職場から解放された「自由人」だと思われている人達です。
しかし彼らをよく見ていると全く自由ではないようでした。サラリーマンや工場労働者のような労働に従事していないからといって自由だとは限りません。
まずプロゲーマーは事実上ゲーム会社の社員です。社員契約を結んでいなくてもゲーム会社に従属しています。当然ですよね?彼らの生活の糧になるゲームを開発しているのはゲーム会社です。プロゲーマーはゲーム会社の決定に逆らえません。アップデートによるゲームの仕様変更への対応に四苦八苦している様子を何度も見ました。
そしてプロゲーマーはゲーム会社による新作の発売に拒否権がありません。例えばストリートファイター5のプロゲーマーはストリートファイター6が発売されたら否が応でもSF6をプレイしなければなりません。5が気に入ってプロゲーマーの世界に入った人でもです。5を遊び続ける選択肢は無いのです。
そもそも競技性のあるゲームの殆どは一般的なスポーツのように完全に公平な競技になることはできません。キャラクターや武器の性能や強さにはどうしても差が生じます。何度アプデを繰り返しても不公平さが残ります。eスポーツは絶対に不公平を克服できない代物なのです。
そもそも単なる商品をスポーツと見なすこと自体に無理があります。
ゲームは誰にも自由をもたらしません。むしろあなたを見えない鎖で縛り付けてしまいます。
私がゲームを止めて感じたのは喪失感ではなく開放感でした。
ゲームがこれだけ持て囃されているのはこの国が病んでいる証拠です。嘆かわしい限りです。