「本」や「作品」とは、自分を「固めた」もの。 | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

最近たまたま、とある編集者さんのブログを見てたら
世間には「自叙伝を出したい人」が多いという記事があって

まぁこんだけSNSとかで皆が「自分自分」な時代だから

なるほどなとは思ったけど
 

……もしも出すなら相当な覚悟して出した方がいいとは思う。


なぜなら、もしも貴方がその「自叙伝」なり「自分史」を、死ぬまで「誇る」ようならば

それは貴方が「全く進化していない」という事を示唆するからです。


例として自分の作品で説明するけど

私は今、「紺碧の採掘師」のリニューアル版をサイトに掲載してますが
この作品、そもそもは2017年に自分のトラウマとか想いを表現したくて書いたモンなので

当時の感情とか苦しみが表現されてるんですが


しかしトラウマ治療を続けた結果、今となっては
「それを書いた時の自分が一体どんな感情だったのか」
「何を悩んでいたのか」


 全く分からなくなってしまっているので

トラウマが完全に解消されるというのはそう言う事です。

その時の感情やら苦しみやら、その「トラウマ」に纏わる事が
一切スコンと無くなってしまう。

だから今となっては

「何でこのキャラ、こんな事を言ってるんだろう」とか
「このキャラ、本当はどう思ってんだろう」とか

「今現在の自分が」考えながら修正作業する事になり
 

だからもう「自分事」というよりは完全に「物語」でして

完全なフィクションでもないけど、ノンフィクションでもない。

 

過去を忘れている(というか、無い)為に、今、新鮮に読めるので

だからリニューアル作業が楽しいんですけど

 

マジで「リニューアル」なんです。


で、最初のテーマに戻って

もしもこれが「自叙伝」で「書籍」として世に出ていた場合。
それは「その時の自分を固めたものを、世に出す」という事なので

後に自分が変化した場合に、もしその自叙伝を読んだならば
「自分は何でこんなの書いてんだろう」とか思うんじゃないかと推測します。
または自分が後退や停滞していないかという、

「今の自分を内省する為に使う」というのもアリですけど。

その「自叙伝」をどのように「使う」かは、個々人それぞれで違いますので



だって、作品のみならず
自分が好きで書いてるこのブログもそうなんですよ。
特に、この1年は結構な変化をしたので
1年前の記事とか「なんでこんなの書いてんだ」とか思ったりしますが

ただそこに書かれている「大嶋先生の心理理論」等は「知識」として役に立つし
それに他人から見ればどんな記事であれ「初めて見たもの」ですし
他人がどんな解釈や理解をするかは他人自身の観念によるので
(言い換えれば誰一人として他者と同じ解釈をする人は居ないという事ですが)

別に記事を消そうとか直そうとかは全く思いませんが。今は!


とりあえずブログとかSNSなら消したり記事修正したりは出来るんで
(ただ拡散されてしまうと難しくはなりますが)

しかし、本(書籍)として固めたものは、修正できませんし、廃棄するのも大変です!

昔、若い頃、私は同人活動を散々やってたけど
当時はデジタル本なんか無く、紙に印刷した本を売るしかない時代ですんで

単発の本ならまだしも、「続きもの」を作るのは凄い大変で。

 

何が大変かと言うと

 在庫管理が!

自分は全9巻の本を作ったんですが

最終巻が発行されるまで1巻とか2巻とか最初の巻の在庫を維持しないとならんので
初版を多めに刷ったり、在庫切れした巻を再版したら、エライ目に遭った。

在庫処分の為にマジで苦労しました

ちなみに、ぶっちゃけて言ってしまえば

新刊を売るのも「在庫処分」ではあるのですよ!

これ、分かる人は分かるよね

 

「新刊が出来たバンザーイ」ではないのです。

 

「売り物」ってのは 出来上がった瞬間から 「在庫」なのです!

 

今と違って、昔は通販も大変なので(全部自分でやる)

基本的には色んなイベントに出まくって売りさばくんです。

それでもどうしても残ったモンというか

自分が同人活動をやめて、もう「売る」作業が出来なくなった時に

「廃棄処分」となりましたがコレもマジで大変でした

 


だからね、自叙伝とか出したいって方はまずブログをオススメしますし

小説とか漫画とかも同人誌(本)ではなくネットに出すことを強くお勧めします。

在庫が無いので!
 

なんか最後にテーマがズレた気がするような気もするけどまぁいいや爆  笑