今日は個人的な話です。
だけど心理と悟りに密接に関わる話です。
私はこの方のブログをたまに読むんだけど
この記事はとっても興味深かった
この方は十数年、小説家になろうと頑張ったそうですが
私は小説家になりたいなんて全く思った事が無い所か
「自分には小説書くなんて無理‼」と、
つい最近、紺碧のリニューアル作業をするまで思ってたんですよ。
私は「漫画家」だった時期があります。
だからずっと「自分の漫画の為のシナリオを」書いていました。
その為に「紺碧の採掘師」はあんな妙な書き方をしているんです。
自分にしか分からない書き方です。
昔は散々色んな漫画作品を描いてましたが
常に「他者の為に」描いていて、自分が本当に望むものは描いてなかったにも関わらず
当時の自分は「それが自分の存在価値だ」と思っていました。
が、どんなに書いても満たされない。どんなに書いても「どうせ自分は」って落ち込む。
しかし当時の自分は「人が認めない作品には価値が無い」と思っていたので
皆が喜ぶと幸せを感じ、そうでないとガッツリ凹みました。
んで「成功して皆に認められたら幸せになれる」とか思って自己啓発とか行った訳ですよ。
まぁ波長の法則というか何というか、自我は自分が信じた世界しか見ないんで
私が行った自己啓発では「売れない作品は価値が無い」とか
「稼げない奴はクズ」だとか「成功し続ける事が人生の目的」だとか言われましてですね。
それをスコンと受け入れてしまう所が、上記に書いたように「自分が信じている世界を受け入れる」って事な訳です。
当時は「私は成功する」とか色んなアファメーションを自分で録音して四六時中聞いてました。コルクボード買ってきて「私は出来る」とか書いた紙をアチコチに張ってたり。アファメ祭りだった。もうなんか爆笑するしかない
そんなんやっても全然成功しないどころか、むしろ何も書けなくなった。
だってね、「成功するために」とか「世間の大多数が喜ぶもの」とか無理なんですよ。
……んでもな。「そんなの無理だよ」って言っても当時の自分は「いやそんなことは無い!」って言っただろうな。
「自分は絶対に成功できるししなければならない」と心底信じ切っている人に何言っても無理っす。
とりあえず、それが「楽しい」ならいいですよ。
んでもそれが「苦」ならばやめろって話です。
私は壮絶に苦しくて、なぜならその動機の原点がね。
「なぜ皆の喜ぶものを描かねばならんのか」ってとこが。
なぜ「自分の好きに描いてよい」ではないのか?という。
自己中、自己満足でもいいじゃないですか。別に認められなくても。
……とか言っても、無理な時は無理なんだよな。それがトラウマの力ってもんです。
それ以外の考えをスルーしてしまう。
とりあえずメッチャ苦しんで、まぁそのお陰で色んな体験したけども。
で、そんな苦しい渦中に、ある日突然、出てきたのが100人以上のキャラです。
以前の記事に書いたけど、何だか知らんが「単語」と「数字」の一覧表を作って
そこからキャラが出来たっていう。
んでシナリオが浮かんだんですけど、これが長い!
どう考えても絶対これ漫画に出来ないだろっていう長さのシナリオを書いてしまった。
しかしそれを何とか「売れる商品」にしなければと短編を考えたり色々やりましたが
短くするのは無理でした。「商業にしよう」と色々努力したけど、ことごとくダメでした。
しかしその「色々やってみた」リニューアル・改造・改変する中で出てきたのが
「紺碧の採掘師」という作品なんです。
細かく言うと、そもそもは「原初の星の物語」という作品ですが
上記のように色々出来たので、短編・長編、色んな物語を総合したのが
「原初の星の物語」という名になり、「紺碧の採掘師」はその中の一つになりました。
もう仕方ないから「自分しか読めないだろうシナリオ状態」で出すかと思って
とりあえず、とある知人に読ませたら「分かるよ、読めるよ」と言われたんで
ネットに出すことにした訳ですよ。その状態で色々応募してみたけど全部ダメで、
編集者さんに読んで頂く機会を得ても、結局駄目出しされてボツでした。
しかしどんだけダメ出しされて「もう諦めよう」とか「もうやめた」で放置しても
なんか知らんけど「書きたい」ってのが再び浮かんできて
最初は「めんどいなー」と思うんだけども作業を始めると楽しくなるという(笑)
だから「紺碧2」を作った時も最初は「めんどくさーい」
「こんなの作っても意味が無い」とか思ってたのに、
結局は楽しくなって作っているという。
んで今回の紺碧リニューアル2024も、自分は絶対に小説なんか無理と思っていたのに何でか知らんけど「小説風にしてみるか」と思って…
とは言え私は小説なんぞ、もう10年以上読んでないんで
小説の正しい書き方なんぞ知りませんが、他の人の小説をチョコッと参考にして
「多分恐らくこんな感じかな」で書いてみたら、まぁ一応小説的にはなったんで
少なくとも「自己流シナリオ風の書き方」よりはよっぽどマシだからこれでいいやと。
ここまで色んな経験させられて、人生ってのは自我の思い通りにはならんというか
真面目に「全体の流れ」って凄いなぁと。だから「無意識さんにゆだねる」になるんですが。
ちなみに自分がホントに楽しくてやっていると、「認められる」とかどうでもよくなります、マジで。
だって自分が楽しいのがイチバンだからです!
「苦」は嫌なんです!(笑)
例えばこのブログにしても、例えば仮にアクセスがドカンと上がったとして
もしそれが他人の為に嫌々書いた記事ならば、嫌な訳です。
むしろ見るな!とすら思う。それは苦なんですよ。
自分が楽しいと思う事がイチバンです。
「楽しい努力」なら何時間でも出来る筈です。
または自分が目標とする事をやりたい!ていう強い思いがあるならば。
大体人生ってのはそれでなくても「挑戦」を突き付けて来るのに
自分からわざわざ「苦しみ」を選ばなくていい訳です。
もっと言えば、
「苦しみの思考を信じるな」という事です。
全ての思考は「貴方の自我の観念のフィルタ」でしかなく
どんな思考も「絶対の真実」ではありません。
「わからない」が未知の可能性を拓くとはそういう事です。
上記に書いた私の実例を見てくださいよ
「人は自分が信じた世界を見てしまう」んです!
……とは言っても、上記に書いたように
その経験の果てに、気づいたり成長したりはしますんで
ぶっちゃけ、人生なにやってても良いという(笑)
どんな経験も宝だから。
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『自分の心に向き合うことほど重要なことは、おそらくない』
これはマジで同感です!物凄く大事です。