自分に優しくする事の意味 | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

…昨日の記事の補足になるけど
何で私が昨日ああいう記事を書いたかというと

自分がメッチャ自分に厳しい人だったから、というか

…色んな事に自力で耐えて自分で頑張らねばならない
誰にも言えず自分で耐えたという、そういう苦しみがあると
他人にもそのレベルを無意識に求めてしまうからなんだな。。。
そして「そうではない」と見える他人を無意識に裁きまくってしまう

その根底には「自分はこんなに頑張ったのに」
「苦しみを誰にも言えず、誰にも分かってもらえなかった」という怒りがある。


昔、とある本を読んでて、とても良い本だったんだけど
著者が「鬱になるのは余計な事を考えてるから」みたいな事を書いてて
つまり精神が弱いからと言う事だけども

(出版年月が昭和真っ只中の本だったんで)

その瞬間、ふざけんなと思ってしまった
人は色んな理由があって心を病むんよ
人の事も知らんと勝手に決めつけんなと

その時に「立派に生きてる人って他人を裁くんだな」と思った

その本は瞑想の本だったんだけど

ちなみに私はどんなに頑張っても瞑想ってのが出来ない…と書くと
それが自己暗示となってホントに出来なくなるから断言はしない(笑)

人って何かしらショックな事があると無意識に身体が臨戦態勢のままになる
つまり「緊張度が高くなる」
この辺の事は臨床心理の本に書いてると思うけど
大嶋先生の本だと「それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?」の本かな

FAPの本(本当の私よ こんにちは FAP療法で過去を手放し「今」を生きる)

だったかな…何はともあれ

 

つまり「その感情を感じてしまったら自己崩壊するから
自分が壊れるのを防ぐために」感情を身体に閉じ込めるみたいな
だから緊張度が高いままになる。一種の防衛反応

で、全身緊張状態になるけど自覚は無い。
なぜなら人の身体には恒常性があり
その状態でバランスを取って慣れてしまうから

それが、「緩む」と緊張が解けてその時の感情(恐怖等)が出て来るので
(身体は賢いので「出しても大丈夫だ」、となった時に出て来る)

だから仕事中毒者は長期休みになると体調崩したりするし

地震とかでショックな事があった数年後に何かしら症状が出たりするし
トラウマ持ちはなかなかリラックスできない
ってかリラックス出来たらトラウマが癒されたって事なんで

だから私の場合は瞑想しようとすると寝るか、逆に緊張が高まるか、となる
その当時は瞑想教師にマンツーマンで瞑想を教わってたけど
瞑想を始めると恐怖と緊張が出て来てそれを抑えようとすると増々緊張するという
…「寝ようとすると逆に寝られなくなる」のと一緒。
意識的に抑えようとすると増々酷くなる

でもお金払って先生を招いたし「瞑想出来るようにならねば!」で

しかし瞑想の時間は緊張時間になって
「早くこの時間が終われ」と思ってた。。マジで地獄だった。。。

それから数年後にたまたま大嶋先生の本を読み
何で瞑想時に緊張が起きたか納得した。。。

更にその後、アニータさんが動画で

「瞑想したくないならするな」と言ってて安心した。。
「それ以外でも瞑想状態になれる」と

だから私は「瞑想しよう」とはあんまり思わんけど
とはいえ「多分瞑想状態」になる時はある
それは「二度寝してる時」

私は寝る時はなかなか落ち着かないけど
一度寝て、目が覚めてまた寝ようとする時
その時が最もリラックスしてボケッと出来る時なので
目が覚めて、二度寝出来る時はします。


寝るか寝ないかのうつらうつらしてる時が最もリラックスしてて
そういう時に何か考えると必ず「ひらめき」が起こります。
だからゴロゴロしててもいい時はずーっとゴロゴロしてます。
二度寝、三度寝しまくります。。。

が、昔の自分は「そんなのはダメだ」と自責してました。
「こんなのはダメだ」「ダラダラしててはいけない」と
んでも責めたからってどうなる訳でも無く。。。

だってさ瞑想どころかリラックスさえ出来ない時があるんですよ
もう問答無用で眠るしかない、寝て落ち着かせるしかないという
そういうトラウマ恐怖が出て来る時があるんです、私は。

そしたらもう身体と感情の言う事を聞いて「ゆだねる」しかない訳で。
「急がば回れ」ですよ。。。

むしろそんな自分を責めてても波長が落ちてネガネガになるだけだから
自分に優しくしてノーンビリしようって思うんです。。。

…という自分に変わったのはインサイトに通い始めてからです(笑)
それでも数年かかったな。自分に優しく出来るようになったのは。


という事で世の中色んな人が居るんで
自分が「当たり前」と思ってる事が当たり前じゃない人も居る訳で
だから自分に優しくした方が他人を裁かずに済むと思うという話でした。